王立軍に追加求刑か 米、政変計画書を中国に提供=海外華字サイト

2014/03/13
更新: 2014/03/13

【大紀元日本3月13日】米国のジョン・ケリー国務長官は2月の訪中時、周永康前最高指導部メンバーらが企てた政変の計画書を習近平国家主席に手渡したという。計画書には党や軍の高官の名が連ねられている。また、同計画書は王立軍前重慶市公安局長が2012年2月に米総領事館に駆け込んだ時、米側に渡したものとみられる。王は計画の中で重要な役割を果たしているため、のちに刑期をこれまでの15年間から少なくとも20年間に引き上げられたという。海外華字ニュースサイト博訊が12日に伝えた。

それによると、周を調査する過程で、王が計画書を起草し、重要な役を任されるなど政変に深く関与していた疑惑が浮上したという。上層部は周らを反党集団と断罪し、習主席は王に対して追加調査を行うよう指示したという。追加調査は2014年1月に開始し、ケリー国務長官から手渡された資料はその容疑を確実なものにした。新たな求刑に必要な法的手続きは3月5日に完了し、少なくとも刑期20年間に引き上げられたという。

香港誌・臉譜3月号も周の自宅を家宅捜査した際、政変後の組閣名簿が押収されたと伝えた。名簿には、政変が成功すれば、薄煕来を党総書記、国家主席、中央軍事委員会主席を兼任する最高指導者に擁立、国務院国有資産委員会主任だった蔣潔敏(2013年9月に失脚)を副総理に充てる人事が書かれていた。ほかに、公安部長が江蘇省トップの羅志軍党委書記、最高人民法院(最高裁)院長は河北省トップの周本順党委書記。また、軍の重要ポストに薄に近い人物をつかせた。江蘇省の羅書記と河北省の周書記は現職に留まっている。

王の米総領事館駆け込み事件後、当時国家副主席だった習が訪米し、米側から周らが政変を計画していたとの証拠を提示された(米ニュースサイトワシントン・フリー・ビーコン2012年2月14日付)。これを受け、2012年3月、薄の免職処分が発表され、政変に関わったとされる人物は相次ぎ失脚した。

(翻訳編集・高遠)

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