世界中が新年を祝うなか、中国では2025年の大晦日、多くの都市で年越しイベントが突然中止された。
上海の有名な観光地をはじめ、各地でカウントダウンや花火、ライトアップ演出が取りやめとなり、街には祝賀ムードではなく大勢の警察が配置された。
それでも若者たちは広場や商業施設に集まり、新年を迎える瞬間を待っていた。
12月31日の夜、各地でスマートフォンを構え、「あと少し」で年が変わるその時を待つ光景が見られた。
ところが直前になって、異様な事態が起きた。
広場や商業施設に設置された大型スクリーンが、次々と突然消えたのだ。

「3、2、1」と声を上げようとしたまさにその瞬間、画面がブラックアウトしたという証言が相次いだ。
山西、南昌、広西、昆明、杭州など各地で同様の報告があり、「何時間も待ったのに直前で消えた」「全国一斉に消されたのではないか」と不満の声が噴き出した。
上海、北京、重慶、成都、南京といった大都市でも、カウントダウンが行われなかった、あるいは途中で中断されたという証言が出ている。
(2025年12月31日、中国各地で年越しイベントが中止され、人々が集まる中で大型スクリーンが消灯した)
現地では警備が強化され、交通規制が敷かれた地域もあり、人が集まること自体を当局が強く警戒していた様子がうかがえる。
なぜ当局は、政治色の薄い年越し行事にまでこれほど強い警戒を示したのか。
海外の中国語圏では、その背景としていくつかの理由が指摘されている。
最大の理由とされるのが、「人が同じ時間、同じ場所に集まり、同じ感情を共有すること」への恐怖だ。中国では過去、もともとは政治と関係のない集まりが、感情の連鎖によって抗議行動へと発展した例がある。当局は、年越しの集まりが再び同じ流れを生む可能性を強く警戒したとみられる。

もう一つの理由は、現場の空気が当局の想定を超えて一気に変わり、制御できなくなることへの強い警戒だ。
たとえ短時間でも、想定外の歓声や行動が映像として残れば、「すべてを管理している」という体制のイメージが崩れる。起きてから対処するのではなく、起きる前に封じるという姿勢が前面に出た。
花火への厳しい取り締まりも、単なる環境対策ではないとみられている。
中国では、夜に大勢が同時に光を放つ行為は、「ここに人が集まり、気持ちが動いている」という合図として受け取られてきた。過去には、スマートフォンのライトやろうそくが抗議行動の象徴として使われたこともあり、当局側にはその記憶が残っている。
そのため、許可されていない花火や光は、管理できない集団行動のサインと見なされやすい。監視が徹底された社会では、人の集まりだけでなく、「目に見える光」そのものが警戒対象になる。
こうした厳戒態勢の中でも、街に出た若者はいた。
各地で、路上で手持ち花火を点火する若者と、それを追う警察の様子が撮影され、SNSでは彼らを「花火少年」と呼ぶ投稿が広がった。浙江省寧波や山東省臨沂などでは、実際に連行された例も伝えられている。



ネット上では「ただ新年を迎えたかっただけ」「楽しむことすら許されなくなった」「人が集まるのがそんなに怖いのか」といった声が相次いだ。
一方で、「人混みで誰かが声を上げるのを恐れているのだろう」「雰囲気そのものを消しに来たようだ」と、当局の過剰な警戒を指摘する投稿も多い。
公式な年越し行事は消え、大型スクリーンも暗転した一方で、年の変わり目を自分なりの形で迎えようとする若者の行動が、かえって象徴的な映像として残る結果となった。
台湾の研究者は、「最も安全だと自称する政権が、新年を迎える集まりすら恐れていること自体が、統治への自信のなさを示している」と指摘する。
(年越しの夜、若者が集まる中で警察が多数配置され警備に当たった。2025年12月31日、中国浙江省杭州)
祝うことさえ管理される年越しの夜。
新年の瞬間を一緒に祝うことすら許されない社会で、守られているのは市民の安全なのか、それとも体制そのものなのか。
花火は上がらず、静かなまま年が明けた中国の夜には、深い不安と失望がにじんでいた。
(年越しの夜、中国各地の街中で花火を上げる若者の様子。こうした行為を理由に、複数の地域で身柄を拘束された例が伝えられている。2025年12月31日、中国国内の抗議行動を記録するXアカウント「昨天」@YesterdayBigcat より)

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