法輪功弾圧 江沢民の決定が先行 法整備はその後

2026/08/18
更新: 2026/08/18

中国共産党(中共)中央テレビのドキュメンタリー『江沢民』は、1999年7月20日前後に起きた出来事が、人々が想像するような正常な国家の通常の運営ではなく、一連の策謀によって進めていたことを図らずも明らかにした。

江沢民個人が決定 先に罪ありきで証拠を列挙

中共中央テレビは最近、全12回のドキュメンタリー『江沢民』を放送した。その第7回「風雲本色」では、1999年4月25日の法輪功学習者による陳情と、その後の弾圧を取り上げている。番組内容からは、当時の経緯をうかがわせる点がいくつも見えてくる。

ドキュメンタリーは当時、1万人を超える「極めて組織性の高い身元不明者」が中南海を取り囲んだにもかかわらず、関係当局が事前に状況を把握できず、江沢民自ら外に出て状況を確認したと説明している。中央610弁公室主任だった王茂林へのインタビューも紹介された。王茂林によると、江沢民はその夜、一晩中思案し、政治局常務委員に宛てた書簡を起草した。書簡では、一部の地方や部門における思想政治工作や大衆工作が十分に機能していないと厳しく批判し、各級、とりわけ高級幹部について「目を覚ますべき時だ」とした。

ドキュメンタリーはさらに、江沢民がこの問題について「党と国家の前途と運命」に関わるものだと表現したと伝えた。その後、全国規模の弾圧が始まり、同年10月30日には全国人民代表大会常務委員会が決定を採択し、「邪教の取り締まりを全面的に法治の軌道に乗せた」としている。

これはまったくの虚偽だ。ただし、この説明そのものが、1999年7月20日に始まった法輪功への全面的な迫害が法治に基づくものではなく、当初は政治局常務委員会の決定ですらなく、江沢民個人の決定だったことを裏付けている。

しかも、ドキュメンタリーに映し出された江沢民から政治局委員への書簡を見ると、江沢民は自ら何の調査も行っていない段階ですでに結論を下している。まさに、先に罪ありきで結論を下し、その後から証拠を並べる典型だ。

「極めて組織性が高い」ことが犯罪になるのか

番組がいう「極めて組織性の高い身元不明者」という表現は、罪を着せるためのこじつけだ。第一に、「極めて組織性が高い」というのは事実ではない。第二に、仮にそうだったとしても、中共自身が定めた法律には違反していない。

法治社会で問われるのは犯罪行為の有無であり、「極めて組織性が高い」といった政治的なレッテルではない。もちろん、中国は法治社会ではない。

もし「極めて組織性が高い」こと自体が犯罪になるのなら、中共と、その八つの花瓶政党(中国で「民主党派」と総称される8つの小党派)こそ最大の犯罪組織ということになる。とりわけ中共は、組織性が極めて高いだけでなく、加入はできても自由に脱退できない。一方、法輪功には名簿すらなく、参加するのもやめるのも自由だ。それをどうして「極めて組織性が高い」と言えるのか。

4月25日夜の書簡自体も、この主張と矛盾している。

書簡では一貫して「法輪功」と名指ししており、そもそも「身元不明者」ではなかったことを示している。また、「インターネット上ですぐに各地の法輪功の連絡網を見つけることができる」と認めていることも、法輪功がもともと公開性の高い存在であり、秘密結社などではなかったことを示している。

1999年4月25日、一万人以上の法輪功学習者が中南海で平和的に陳情した(明慧ネット)

法治ではなく政治迫害運動

江沢民は書簡の中で、マルクス主義の唯物論と無神論によって法輪功に打ち勝たなければならないと強調している。

これは、江沢民の目には当初から、法輪功が何らかの違法行為を行ったことが問題なのではなく、神への信仰そのものが、中共の無神論的イデオロギーへの挑戦と受け止められていたことを示している。

ドキュメンタリーに登場した王茂林の証言も、そのことを裏付けている。

4月25日夜の書簡に加え、江沢民は6月7日に政治局会議を開き、その場で「中共中央法輪功問題処理指導グループ」の設置を発表した。王茂林は、その指導グループの下に置かれた弁公室の主任を務めた。この弁公室は、設置された6月10日にちなみ「610弁公室」と呼ばれた。

中共統治下では、政治運動を展開する際に「指導グループ」が設置される。指導グループは政府機関ではなく、党中央の組織。

毛沢東が文化大革命を進める際に「中共中央文化革命指導グループ」を設置したのと同じように、習近平も就任後、権力を集中させるため一連の中央指導グループを設置した。その本質はいずれも、党または党の最高指導者が特定の政治運動を進めるために構築した指揮系統だ。

番組が王茂林の肩書にあえて「国務院」の名称を加えたのは、これが党主導の政治運動だった事実を覆い隠すためであり、迫害を正当化するために用いた欺瞞の一つだ。

中共が虚偽情報を流す 弾圧のうわさを否定

中共の他の政治運動と同様、中共は約3か月にわたって秘密裏に準備を進める一方、虚偽の情報を流していた。

1999年6月14日、中央「610弁公室」が設置されてから4日後、中共中央と国務院の信訪局、いわゆる「両弁信訪局」の責任者による談話要旨を、中央の官製メディアが報じた。談話は弾圧に関するうわさを否定しただけでなく、人には特定の功法を信仰し、練習する自由があることを改めて確認した。

これは、4月25日当時の朱鎔基首相が法輪功学習者の代表と面会した際に示した約束の一つでもあった。

しかし、この「両弁」の談話は、江沢民が内部で行った発言とは食い違っていた。考えられる説明は一つしかない。「両弁」が党・政府を代表する権威ある機関として前面に出て、進行中だった迫害準備を覆い隠していたということだ。

「取締り」のすり替えと拙速な「立法」

『江沢民』は、法輪功を「取り締まった」ことを既成の歴史的事実として描いている。しかし、実際の経緯はそうではない。

法輪功学習者に対する大規模な一斉拘束は7月20日未明に始まったが、法的根拠は何もなかった。その2日後の7月22日、民政部と公安部がそれぞれ通知を発表したが、これも法的根拠にはならない。せいぜい部門レベルの措置にすぎない。2日前に始まった拘束を合法化することもできなかった。

民政部の通告が取り消したのは、その時点ですでに3年前から存在していなかった「法輪大法研究会」であり、その理由は民政部に登録していなかったことだった。登録していないこと自体が違法だというなら、真っ先に取り締まるべき組織は中共になる。一方、公安部は民政部の通告をもとに「六つの禁止」を発表し、特定の組織である「法輪大法研究会」に対する禁止を、すべての法輪功学習者と法輪功に関する活動全般にまで拡大し、法輪功学習者を大規模に迫害する「根拠」とした。

長年、江沢民が「3か月で法輪功を消滅させる」と言い放ったとの話が伝えられてきた。これを裏付ける事実もある。

中共中央テレビの番組「焦点訪談」を例にすると、完全な集計ではないが、1999年7月20日から2005年までに、法輪功を中傷する内容の番組が102回放送された。1999年だけで、半年に満たない期間に39回放送されている。特に7月20日から8月31日までの43日間だけで30回に上った。一方、2000年は年間5回に急減した。その後、2001年に天安門広場での焼身自殺事件を捏造したことで再び増加し、二度目のピークとなった。

これは少なくとも、中共が宣伝材料を当初は3か月分ほどしか準備していなかったことを示している。

しかし、江沢民の見通しは明らかに外れた。法輪功学習者の不屈の姿勢と抵抗は、中共が過去に迫害したどの集団にも見られなかったものだった。

江沢民は、この問題が終わりの見えない長期戦になりかねないと認識した。その時になって初めて、それまで進めてきたものが短期決着を狙った政治迫害であり、何の法的根拠もなかったことに気づいたのだ。

1999年に中共が法輪功への弾圧を開始した後、多くの法輪功学習者が天安門広場で陳情を続け、中共警察によるその場で暴力や不法な拘束を受けた(明慧ネット)

江沢民の10月発言後、全人代が急きょ「決定」 法輪功には触れず

長期戦を続けるには、さらに法的根拠となる条文が必要だった。そこで必要になったのが、『江沢民』が軽く触れるだけで済ませようとした次の一文である。

「同年10月30日、全国人民代表大会常務委員会は決定を採択し、邪教の取締りを全面的に法治の軌道に乗せた」

これは少なくとも、それ以前の3か月余りに法的根拠がなかったことを認めるものでもある。

しかし、実際の状況はさらにひどい。全国人民代表大会常務委員会は、まさに「ゴム印」の役割を果たした。

迫害の過程で江沢民が初めて「邪教」という言葉を使ったのは、10月25日にフランス紙「フィガロ」の書面インタビューに答えた時だった。翌26日、中共の主要メディアは一斉に、このインタビューを一面で報じた。そして30日、全国人民代表大会常務委員会は、いわゆる「邪教の取締り、防止および処罰に関する決定」を慌ただしく採択した。

この「決定」は、実際には執行できないスローガンのような内容で、法輪功についても明記していなかった。それでも、全国人民代表大会常務委員会には中共の法体系上、立法権があるため、江沢民はようやく、形だけでも法的根拠と呼べる「法律」を手にした。全国人民代表大会は、最短の「立法」記録まで作った。江沢民の発言から、「反邪教法」が成立するまで、わずか5日しかかからなかった。

理論上は、全国人民代表大会常務委員会が採択したものは法律となる。しかし、その名称は「法」ではなく「決定」であり、法輪功についても明記していない。

この点は西側メディアも見抜いていた。ワシントン・ポストは、全国人民代表大会常務委員会による「立法」から3日後の11月2日、次のように論じた。

「中国共産党の指導者たちは、平和的な瞑想団体を強権的に弾圧するために必要な法律がないことに気づくと、新たな法律を作るよう命じた」

法輪功への迫害は一つの陰謀

以上から分かるように、一般に考えられているのとは異なり、法輪功は中国で、いかなる法律によっても「取り締まられた」ことはない。人々の誤解は、大規模な中傷宣伝と、一見もっともらしい法律用語によって生み出したものだ。

7月22日の決定は、中共の二つの部門が出したものであり、法律ではない。全国人民代表大会常務委員会が10月30日に採択した「決定」には、法輪功への言及がない。その後、最高人民法院と最高人民検察院の司法解釈で法輪功に触れたが、これらの司法解釈も法律ではない。

したがって、法的に見れば、法輪功は中国で一度も「取り締まられた」ことはない。だからこそ、法輪功への迫害は法治ではなく、政治運動だったと言えるのだ。

つまり、法輪功への迫害は一つの陰謀であり、法治ではなく政治迫害運動だ。中共は全国の資源を掌握し、1999年の時点ですでに50年間政権を握っていた。にもかかわらず、その発想とやり方は、なお地下活動を行う革命政党のままだった。

それから27年が過ぎた今日になって、こうした陰謀を自ら語りながら、恥じるどころか誇らしげに扱っている。これもまた、実に奇異なことである。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
橫河