THE EPOCH TIMES
大紀元社説シリーズ『共産党についての九つの論評』

【第五評】法輪功への迫害における江沢民と中国共産党の相互利用

2018年01月10日 06時00分

 

序文

張付珍さん(女性、38歳)、山東省平度市現河公園の元職員であった。2000年11月、法輪功の陳情のために上京したが、不法に連行された。情報によると、公安局関係者により、張付珍さんの衣服はすべて剥ぎ取られ、髪の毛もすべて切り落とされ、辱めを受けた。更に、ベッドの上に「大」の字に縛り付けられたため、ベッド上で用を足すしかなかった。そして、何らかの薬物注射を打たれ、直ちに狂ったかのようにもがき始め、そのままベッドの上で悶絶し死亡した。その場に居合わせた「610オフィス」の官員らは、一部始終を監視していたという(明慧ネット2004年5月31日による報道より)。[1]

楊麗栄さん、(女性、34歳)、河北省保定地区定州市北門街に居住していた。法輪功を修煉しているという理由で、家族はいつも警察から嫌がらせと脅迫を受けていた。計量局の運転手である彼女の夫は、職を失うことを恐れていたが、2002年 2月 8日夜、またしても警察からの嫌がらせを受けると、ついに耐え切れなくなった。翌日の夜明け、両親がいない隙を見計らって、妻の首を締めた。こうして楊麗栄さんは、10歳の息子を残して無惨にも世を去った。その後、夫は警察に自首した。警察は現場に到着すると、まだ体温が残っている楊麗栄さんを解剖しては、多くの臓器を持ち去った。取り出された臓器はまだ熱を出しており、絶えず鮮血がしたたり落ちていた。定州市公安局の一人が“これは死亡した人を解剖しているのではなく、生きた人を解剖しているのではないか”と言った(明慧ネット 2004年 9月 22日による報道より)。[2]

黒龍江省万家労働教養所で、妊娠6,7ヶ月になる妊婦が虐待を受けた。椅子の上に立たされ、両手を縛られた状態で鉄棒を握らされる。この状態で、椅子を蹴飛ばされる。すると体は一瞬宙に浮いた状態となる。我慢できずに、手を離すと床に落下するが、両手は縛られており、受け身も出来ない。筆舌に尽くしがたい苦痛を受け続け、流産してしまった。さらに残酷なことには、警察は、妻が虐待される様子を、全て夫に側で見るように強制した(明慧ネット2004年11月15日、万家労働教養所で100数日間の残酷な刑を受けた王玉芝さんへの取材報道より)。[3]

この様な聞くに堪えない残酷な事例が、現代の中国でも起こっている。しかも、その迫害は、法輪功学習者の身の上で起こっており、5年間に渡り継続的に行われて来た無数の虐殺事件における、氷山の一角にすぎないのである。

改革開放以来、中国共産党は国際社会において、積極的に一つの進歩的なイメージを、作り上げることに全力を傾けている。しかし、昨今の広範に渡たる、法輪功への血なまぐさい理性を欠いた迫害の凄まじい圧迫、及び残忍な手段は、国際社会に中国共産党の真実な一面を再び露呈すると共に、中国共産党の人権における最大の汚点となっている。現在、一部の人々は、それらの責任は警察機構の堕落にあると思い込み、中国共産党は改善され進歩していると、誤認しているが、今回の上から下まで、すべてに渡る組織的な法輪功への迫害は、その人々が抱いていた幻想を、徹底的に破壊しているのである。

「このような血なまぐさい、かつ荒唐無稽な迫害が、なぜ中国で発生しうるのか?20年前の文革に対して、“混乱が静まり正常に戻った”ばかりの今日、なぜ再び歴史は邪悪循環へと墜落したのか?“真・善・忍”を原則とする法輪功は、世界60ヶ国へと広く伝えられているのに、なぜ、たった一国、中国だけで迫害に遭わなければならなかったのか?今回の迫害で、江沢民及び中国共産党は一体どの様な関係にあるのか?」と、多くの人々は考えるようになった。

江沢民には、徳もなければ能力もなく、中国共産党という、殺人と嘘のでっち上げを専門とする、正確に動く暴力マシンがなければ、全中国に波及し、ひいては海外にも及んだ集団虐殺的な迫害を発動することは、決して出来なかったのである。

目前の開放政策及び世界と軌道を接する国際情勢の中、江沢民という、強情で独断専行の邪悪な独裁者がいなければ、中国共産党も歴史の潮流に逆行しては、動けなかったはずである。江沢民及び共産党邪霊の相互の呼応と共鳴が、雪山を登る者の声と積雪との共振により、雪崩のような災難を引き起こすように、江沢民及び中国共産党は互いに利用しあい、その弾圧の邪悪なることを古今未曾有となるまで、拡大することができたのである。


一 類似した成り上がりの歴史がもたらした、同様の危機感

江沢民は1926年に生まれた。中国共産党が常に人民に、その血なまぐさい権力闘争の歴史を覆い隠してきたように、江沢民も常に中国共産党及び人民に、その売国奴としての歴史を覆い隠してきた。

江沢民が17歳の時、世界ではファシズムに反対する勢いが、非常に激しくなっていた。愛国青年たちは、次々に前線へと馳せ参じ、抗日救亡運動に参加していた。一方、江沢民は、汪精衛の傀儡政府が、1942年に南京で創設した中央大学で、高等教育を受けることを選択した。様々な調査によれば、その理由は、江沢民の父である江士駿は、日本が江蘇を占領している間、関東軍の反華宣伝機構の高官に任命されていたためである。正に正真正銘の売国奴である。

江沢民は、国を売る売国奴としての一面においても、まるで一つの轍から出たように、中国共産党と同様に、中国人民に対する感情が欠落し、思うままに中国人民を虐殺することができた。

中国共産党が、内戦において勝利を得た後、江沢民は中国共産党に紛れ込み、富貴を求めるために、自分は早年に中国共産党に加入し、後に賊に撃たれて死亡した叔父の江上青の養子となったと偽証し、この関係を利用して、数年間で初級幹部から電子工業部の副部長へと昇進した。江沢民の昇進は、その本領によるものではなく、人間関係において上手く立ち回ったためであることは、明らかである。江沢民は上海市委書記在任中、毎年上海で春節を過ごす李先念氏、陳雲氏[4]などの党内の元老に対して、媚びへつらうことを極めた。かつて、李先念氏に誕生日祝いのケーキを送るため、上海市委書記たる者が、大雪の積もる中、数時間も恭しく待っていたのである。

1989年6月4日に起きた“64”天安門事件は、江沢民の生涯におけるもう一つの転機となった。事実を報道しようとする『世界経済導報』を強烈に弾圧し、更に人民代表大会委員長の万里氏を軟禁した。そして、“64”事件への弾圧を支持したことで、中国共産党の総書記まで、のし上がったのである。江沢民は“64”事件よりかなり以前に、鄧小平宛に秘密裏の書簡を送り、“断固とした措置”の採用、さもなければ“国及び党も没する”と要望していた。この15年来、江沢民は“安定はすべてを圧倒する”ということを理由にして、異議を唱えたすべての人士、及び独立信仰団体に対して、ほしいままに弾圧虐殺を行って来た。

中ロ両国が1991年に国境線を定める際、江沢民は、中国により帝政ロシア及び旧ソ連への侵略を全面的に認め、『アイグン条約』をはじめとする、すべての中ロ不平等条約を引き受け、百数十万ヘクタールのも中国領土を譲渡した。江沢民の略歴を見渡すと、売国奴の長男であるにも関わらず、烈士の遺児と偽証し、身をもって共産党の“騙し”を実践して来たのである。“64”天安門事件の虐殺を支持し、民主化運動及び信仰の人士を弾圧することで、自ら共産党の“殺し”を実践したのである。かつて中国共産党は、第三コミンテルン遠東支部として、ソ連の命令に従ったが、江沢民は無償で国土を譲渡し、身をもって共産党の“売”を実践したのである。

江沢民及び中国共産党は、類似した卑劣な成り上がりの歴史を持っている。このため両者は権力に対して、極度な不安感を持つことが、避けられない運命となっている。


二 江沢民及び中国共産党は、同様に“真・善・忍”を恐れている

共産主義運動の歴史は、数億人の血で塗られたものである。共産主義国家のほとんどは、スターリン式の粛清を経験してきたのである。みだりに無辜な人民を殺し、その数はすぐに百万人、千万人に上る。1990年代、ソビエトが崩壊し、東欧に激変をもたらし、共産党陣営は一夜のうちに、大半の山河を失った。中国共産党が、この事件から得た教訓とは、即ち弾圧を停止し、広く言論発表の道を開くことは、自ら滅亡を招くことになるということである。

もし広く言論発表の道を開いたならば、血なまぐさい暴行をいかにして覆い隠すのか?イデオロギー上の騙しは、いかにしてつじつまを、合わせることができようか?もし弾圧を停止すれば、人民は恐怖及び威嚇から開放され、共産党以外の生活様式及び信仰を選ぶようになるのではないか?共産党の生存を支える社会基礎はどこにあるのか?中国共産党はその形式がどんなに変わろうとも、本質が変わることはないのである。そのため民衆を騙すなら、必ず死ぬまで騙さなければならない。人民を弾圧するなら、必ず最後まで弾圧しなければならない。これは“64”事件の後、“すべての不穏な要素を萌芽の状態のうちに消滅せよ”と声高に叫ぶ江沢民が、極度の恐怖の中で出した結論である。

そのような時、法輪功が現れたのである。法輪功は当初多くの人に、病気治療及び健康保持に、不思議な効き目のある気功だと考えられていたが、後に人々は徐々に法輪功の核心は、簡単で学びやすい五式の功法ではなく、“真・善・忍”を持って、学習者に良い人となるように指導することにある、ということに気づいてきた。

(一) 法輪功は“真・善・忍”を信じ、共産党は“偽、悪、争”を信じる

法輪功は“真”を唱道する。これには本当のことを言い、偽りのないことを成す、ということを含んでいる。しかし、中国共産党はその反対に、常に嘘によって洗脳を行ってきた。“嘘を言わなければ偉業は成し遂げないものだ”という手口より、政権を掠め取った後、毎回の運動の中で、累々と血の債務を負っているのである。もし人々が本当のことを言うようになれば、民衆は中国共産党が、元来ソ連に頼り、殺人、拉致、逃亡、アヘン栽培、偽の抗日などで、家業を作り上げたということを知るようになる。これは中国共産党にとって正に最期の到来である。法輪功は“善”を唱道し、常に他人を考慮し、善を成さなければならない。しかし、共産党は常に“残酷に闘争し、無情な仕打ち”を提唱してきた。中国共産党の模範的英雄である“雷鋒”は、「敵に対しては厳しい冬のように冷酷無情でなければならない」と言っている。実際のところは、中国共産党は敵に対してだけでなく、党内部の人に対しても、ほとんど変わらない。中国共産党の開国元老、元帥そして国家主席をも含めてみな、情け容赦もない批判や殴打、残酷刑などを受けていた。“階級の敵”に対する虐殺は、なおさらそれ以上に恐ろしいものである。もし“善”が社会で優勢に立ったら、それらの“悪”を基礎とする群衆の運動は、もう出現できなくなるのである。

『共産党宣言』の中で、「今日に至っても、すべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と述べている。これは共産党の歴史観及び世界観を代表している。法輪功は矛盾が現れてきたら、自分の問題を顧みるように唱道している。この世界観は、内に向かい反省するというものであり、共産党の外へ向けられた闘争哲学とは、きつ然と対立している。

しかしながら、闘争は共産党が政権及び生存を維持するための、主要な手段である。周期的に粛清する政治運動を発動することは、正に自分を絶えず充電し、“革命の闘志を煥発させる”ためである。この種の暴力及び嘘によってさらに強化させ、熟知させる過程こそが、また人々の恐怖を刷新するものであり、その統治の過程を維持するためでもある。

このように、イデオロギーから言っても、共産党の生存のよりどころとなる“哲学”は、法輪功の教えとは、きつ然と対立するものである。

(二) 信仰により人は恐れというものを知らなくなるが、中国共産党は恐怖というものによって政権を維持しなければならない

真理を認識し、そして十分に理解した人は、恐れというものを知らないものである。キリスト教はかつて三百年もの迫害を経てきた。無数のキリスト教徒は、ローマ皇帝によって斬首され、焼死され、溺死させられ、ひいてはライオンの餌とされてきたが、キリスト教徒は屈服しなかった。歴史上の佛教法難も、同じように節操を堅く守り、屈服しないという表現がそこにあった。

無神論宣伝の一つの重要な目的とは、人々に天国も地獄も、善悪による応報も、信じることのないようにするためである。それによって、良心による自制を放棄し、現実の栄華及び享楽ばかりを重視するようになる。そして、人間性おける弱点に対して、操作し、脅迫し、利によって人を釣ることに、充分な効力を発揮することができる。しかし、信仰者は、生死及び世俗の煩わしさをも、看破することができ、このようになれば、世俗の誘惑及び生命への威嚇は、非常に軽いものとなり、共産党が人をコントロールしようしても、その力の入れ所を失わせるものとなる。

(三) 法輪功の道徳面での高い基準は、中国共産党にとって耐え難いものである

1989 年の“64”事件以来、中国共産党のイデオロギーは徹底的に崩壊した。特に1991年8月、ソビエトの崩壊、そして東欧の激変は、中国共産党に極大な恐怖及び圧力をもたらした。内外共に行き詰った形勢は、共産党統治の合法性とその存続に、空前の挑戦をもたらしたのである。このときの中国共産党には、すでにマルクス、レーニン、毛沢東らの本旨の主義によって、党員を統合することができなくなり、全面的な腐敗により、党員の忠心を交換することで、手に入れるようになった。

言い換えれば、誰でも党に追随すれば、汚職行為といった方法により、入党しない人には得られないメリットを、手に入れることを認めたのである。特に1992年、鄧小平[5]の南方巡回以来、中国には至るところに、役人ブローカーの横行、土地産業及び株式市場の投機、密輸、愛人囲い、扇情的風俗、賭博、薬物乱用などが蔓延した。“洪洞県内にはもう良い人はいない”とまでは言えないものの、すでに民間は中国共産党の腐敗を一掃することに自信を失い、中級及び上級幹部の腐敗の割合は、半数以上と考えるように至ったのである。

(四)法輪功の発展及び管理方式は、中国共産党の嫉妬の元となった

法輪功の発展の方式は、人から人へ、心から心へ伝わり、採用される管理方式は、来るも去るも自由であり、非常に緩い管理である。これは中国の厳密組織とは全く異なっている。それにも関わらず、中国共産党の毎週一回、あるいは数回に渡る政治学習、組織生活はまるで形骸化されたものとなっている。党のイデオロギーに対する党員の承認は、ほとんどゼロである。しかし、法輪功学習者らは、自覚を持って“真・善・忍”を実践している。また、法輪功の心身の健康に対する改善は、修煉者数を二乗の速度で増加させ、修煉者は自ら望んで李洪志師の諸著作を学び、自費により法を広めていた。わずか7年間で、法輪功学習者は無から一億人にまで増加した。当時、およそすべての中国の公園で、法輪功を煉功する際の音楽が流れていた。

共産党は、法輪功が中国共産党と群衆を“争奪”している“宗教”であると流言している。実際のところ、法輪功が人にもたらしたのは、一種の文化と生活様式であり、中国人がすでに遺失してから久しくなった、祖先の文化及び伝統の根である。江沢民及び共産党が、これほどまでに法輪功を恐れているのは、この種の伝統的な道徳が、一度群衆と溶け合って一体となってしまえば、いかなる力もその迅速に拡大する勢いを、阻むことができなくなるからである。こうした生まれついての伝統は、共産党により数十年間断絶され、改ざんされた。

再び伝統そのものを拾い上げることは、歴史の選択であり、一種の広大な群衆が苦難を経験した後に、自分の選択した帰結である。この種の選択の必然となる結果は、つまり是非を唱え、邪悪を捨て去ることである。つまり共産党に対する根本的な否定及び除去でもある。これは中国共産党にとって死への急所を刺されたようなものである。特に法輪功を修煉する人数が、中国共産党員の人数を超えたときの、中国共産党の内心から発した恐怖と嫉妬は想像に難くない。

そして、中国共産党の社会へのコントロールは、徹底されたのである。農村の“すべての村には党の支部がある”、都市の中で党の支部は、幹線道路、軍隊、政府及び企業といった最も末端にも、党の組織がある。この種の絶対的な独占性及び排他性は、中国共産党が政権を維持するための重要な手段である。『憲法』の中で、その名を美化して“党の指導を堅持する”と定められている。法輪功の修煉者は“真・善・忍”を基準としたいと心から願っている。しかし、中国共産党から見れば、これは全く受け入れることのできない“党の指導を否定する”ものなのである。

(五)共産党は、法輪功が“有神論”を信仰することで、その政権の合法性を脅かすと考えている

真の有神論の信仰は、共産党にとって必ず重大な挑戦となる。なぜなら共産党が政権を握る合法性の源は、いわゆる“歴史唯物主義”である。“人間の天国”を建てるためには、人間による“先鋒隊”に頼らなければならず、つまり“共産党”の指導である。そして、“無神論”は、随意に道徳の善悪を解釈できるようにさせたものであり、本来の道徳ではなく、共産党が永遠に“偉大で栄光に満ち、正しい”とさえ、民衆が覚えればそれでよいことになる。

有神論は、民衆に一つの普遍的な善悪の基準をもたらすものである。法輪功学習者にとっては、ある事柄が正しいかどうかは、“真・善・忍”を持って判断するものであり、中国共産党の一貫した“統一思想”にとって障碍となったものである。

さらに多くの理由があげられるが、上述された五つの原因の中のいずれも、中国共産党にとっては十分に致命的である。江沢民が法輪功を弾圧することも、同じ原因がもたらした結果といえよう。

江沢民は嘘の略歴を報告することで、今日の地位の基礎を作り上げた。よって“真”を恐れるものである。民衆を弾圧することによって早く出世したのであり、もちろん“善”は好まない。党内で互いに腹を探り合って、暗闘することによって権力を維持したため、もちろん“忍”も嫌いである。

江沢民の度量の小さいこと、嫉妬心の強いことは、ある些細な事件からも分かる。浙江省余姚県(現在は市となっている)には、“河姆渡遺跡博物館” [6]があり、全国の重要な文物を保護している施設である。当時の“河姆渡遺跡博物館”の看板の題辞は、喬石氏[7]に依って書かれたものである。1992年9月、江沢民が参観した際、喬石氏の書いた題辞を見て、直ちに暗い顔となった。同行者らも一瞬にして緊張した。江沢民が喬石氏を受け入れないことも、また自身をひけらかすのが好きで、どこに行っても、その場所で題辞を書き記すようにしていることを、皆知っていたからである。

“済南市公安局交警支隊”及び“鄭州市退職エンジニア協会”でさえも、題辞を書き記すようにしていた。博物館の幹部は、狭量な江沢民に対するもてなしが、不行き届きとなるのを恐れ、1993年 5月、博物館が休館後再公開されるということを口実にして、江沢民の題辞に替えたのである。

毛沢東のものは“雄文四巻”と称されている。『鄧小平文選』の中にも“猫論” [8]の実用主義の思想がある。江沢民は苦労してやっと三つの言葉を作り出し、またそれを“三講”と名づけたのである。本が印刷された後、中国共産党組織による系統的な宣伝を経て、強制的に発注させることで、初めて売り出されるようになった。しかし、党員らは江沢民に少しの敬意もなく、却っていたるところで、女性歌手とのゴシップ、国外で“オー・ソレ・ミオ”を歌ったこと、スペイン国王の前で、髪をすくなどのスキャンダルを広めた。一方、法輪功の創始者は平民の出身であるが、講演する時には、大学教授、専門家、留学生などが集まり、多くの博士、修士などが遠路をいとわずに、講演を聞きに来ていた。充実した明快な話を原稿もなく数時間講じ、そして説法の録音が活字になれば、すぐに本として出版された。虚栄心と嫉妬心に満ち、狭量な江沢民にとって、これらのすべては、我慢ならないことであった。

江沢民の生活は、極めて荒んで腐敗していた。豪華な専用機を購入するため9億元をも使い込んだ。国庫から数百億元を取り出しては、息子の商売に使った。姻戚関係を利用して、すべての親族及び腹心を、部級以上の高官に抜擢した。部下の汚職行為を庇護し、すべてにおいて頂点を極めていた。そのため、江沢民は法輪功の道徳の力を非常に恐れ、さらに法輪功の講じる天国と地獄、善悪による応報が、本当であることを恐れていた。

江沢民は、中国共産党の最高権力を手に入れたものの、政治における業績及び才能に欠けているため、常に自身が中国共産党の残酷な権力闘争の中で、失脚することに対し不安を感じていた。その権力の“核心”の権威に、非常に敏感になっていた。自身と見解を異にするものを取り除くために、江沢民は陰謀詭計をめぐらしては、政敵の楊尚昆、楊白氷兄弟らを排除した。

1997年の中国共産党十五大会及び2002年の中国共産党十六大会のとき、江沢民は政敵 を失脚させたが、彼自身は規定を顧みず、権力を握ったまま退こうとはしなかった。

1989 年の“64”事件の後、中国共産党の新しい総書記となった江沢民は、国内外の記者会見に出席した際、フランスの記者が、64事件によってある女子大生が、四川の農場のレンガ運搬作業へ配置され、地元の農民によって、何度も強姦されたということを述べたが、江沢民は「その事情が事実であるかどうかは知らないが、彼女は暴徒である。もし本当であるならば、その罰を受けるだけのことがある」と答えた。文革の中で、張志新[9]が中国共産党の監獄の中で、輪姦されてから喉を切られたことは、江沢民から見れば同じく“罰を受けるだけのことがある”ということなのであろう。この様に、江沢民の下劣で変態かつ残虐な人格を伺うことができる。

概括的にいうと、江沢民の暗い心理、独裁権力への欲望、残虐な人格及び“真・善・忍”に対する恐怖により、江沢民が理由もなく、法輪功の弾圧を起こしたゆえんである。このことは共産党組織と極めて一致しているのである。


三 江沢民及び中国共産党の間における相互利用

江沢民は、一心に法輪功を“消滅”させ、自身の私憤を晴らそうとしていた。しかし、自身をひけらかすことに夢中になり、政治をもてあそび種々の計略に夢中となり、その無学無能さは、広く知れ渡っていったのである。中国の伝統的な文化に根を下ろし、広範な社会的基盤をもつ、煉功の群衆に対して、江沢民一人では無力も同然であった。しかし、都合よく中国共産党という暴政マシンがすでに磨きがかかり成熟していた。そして同じように法輪功を取り除こうとした。共産党総書記である江沢民にとっては、正に火に油を注ぐようなもので、弾圧をするというキーを軽く叩いたのである。二者の弾圧の呼応共鳴は、まさに登山者の叫び声により、雪崩を引き起こすような効果があった。

江沢民が弾圧の命令を下達する前、中国共産党の法輪功への討伐、監視、調査及び無実の罪をでっち上げることは、早くから始められていた。中国共産党という邪教組織が固有に持つ、邪悪が本能的に、“真・善・忍”の存在が脅威であると感じていたからである。

さらに、これほども広大で依然として迅速に拡大していく、修煉団体を容認することができなかった。1994年当時より、中国共産党の公安員が、すでに法輪功の中に潜り込んでいたが、何の問題も発見されない上、多くのスパイも法輪功を修煉しはじめるようになった。1996年、『光明日報』は気功に対し、“宣伝しない”、“干渉しない”、“打撃しない”という三つの政策に背いて文章を発表し、思想領域で理由もなく法輪功を批判した。その後も、公安局及び“科学者”の肩書きを持つ政客による法輪功への攪乱は、一向に後を絶たなかった。

1997年初頭、中国共産党中央政法委員書記・羅干は、職権を利用し、公安部門に全国規模で法輪功に対する調査を行うよう指示した。その意は無実の罪名をでっち上げ、法輪功を取り締まることにあった。各地で“未だ何の問題も発見されず”という結論が出された後、再び羅干は1998年7月、中国公安部一局より、公政[1998]第555号の『法輪功に対しての調査を展開する通知について』を出した。法輪功を“邪教”と断罪し、全国各地の公安部門に組織的な“潜入調査”を行わせ、証拠収集をしていた。しかし、調査の結果は依然として何も見つからずに終わったのである。

中国共産党が、一つの邪悪組織として手を出そうとするときには、もう一人の最も肝心な弾圧マシンを起動する人が必要である。この際、中国共産党の指導者の処理は重要な役割を果たしてくる。一人の個人として、中国共産党の党首は、人間性の中にある善と悪を同時に持っている。もし“善”を選択すれば、しばらくは、中国共産党の邪悪な政党の性質の発作を抑制することができる。もし“悪”を選択すれば、中国共産党の邪悪な性質が十分に現れることであろう。

64天安門事件のとき、中国共産党総書記である趙紫陽は、学生を弾圧するつもりはなかったが、中国共産党を支配する八大元老は、執拗なまでに弾圧をしようとした。その当時、鄧小平は「二十年間の安泰と引き換えに、二十万人を殺すことだ」と言った。この“二十年の安泰と引き換え”とは実質上中国共産党の二十年間の政権と引き換えるということである。これは中国共産党の独裁専制の根本的な目的と合致したため、中国共産党はそれを受け入れた。

法輪功の問題においては、当時の中国共産党政治局の7人の委員の中で、ただ江沢民だけが弾圧することに固執していた。江沢民の打ち出した口実とは、“党が滅び、国が滅ぶ”ことに関連しているのである。これが中国共産党の最も敏感な神経に触れた。江沢民個人の権力維持と中国共産党の一党独裁維持は、ここで高度な統一が得られたのである。

1999年7月19日夜、中国共産党高層会議を司会する江沢民は、権力を持って法に代わり、自ら認識を “統一”し、一人で全面的な弾圧の決定を下し、中国政府の名義で全面的に法輪功を取り締まり、世人を騙した。中国共産党及び中国共産党のコントロールする中国国家政権及び暴力マシンは、スピードを上げ、天地を覆い隠すように、無辜の法輪功民衆を弾圧し始めた。

これより、私たちは一つの仮説を立てることができる。もし当時の中国共産党総書記が、江沢民ではなく、他の誰かであれば、今回の弾圧は発生しなかったことであろう。この意味合いから言えば、共産党は江沢民を利用したのである。

もし、共産党のその血による債務及び危機感のためではなく、その十悪をすべて備えている卑劣な天理、及び人間性の絶滅した本性でなければ、共産党は法輪功を脅威とみなさなかったことであろう。中国共産党の社会に対し、あらゆる隙を狙い、全面的なコントロールを行うというものがなければ、江沢民の弾圧をしようとする意志は、組織による保障、財政による保障、メディア宣伝による保障、外交による保障、人員による保障、設備による保障、及び監獄、警察、国家安全隊、軍隊、偽宗教団体、科学技術、民主党派、労働者連盟、団結委員会、婦人連盟などからの支持も得られなかったであろう。この角度から見ると、江沢民は共産党を利用したのである。

関連キーワード

関連特集

^