三字経物語:孟母三迁

2005/03/20 10:31
【明慧ネット2005年2月14日】中国の有名な思想家で教育家でもある孟子は山東省鄒城に生まれた。孟子は3歳の時父を失い、母がひとりで育てあげた。

孟家の近くには墓地があり、会葬の隊列がいつも家の前を通っていた。すると孟子は会葬隊列の泣く様子をまねるようになった。孟子の母は息子のこのような戯れに腹を立て、この環境は彼の勉学に不利だと判断し、町の中に家を移した。

町に引っ越すと、彼の家は繁華街の中だったので、豚を殺す音、呼び売りの声が1日中途切れることがなかった。すると孟子は隣近所の子供と商売ごっこを始めた。

孟子の母はこの場所も集中して勉学に励むには難しいと感じ、再度学宮の向かいに家を移した。夏になって毎月の一日になると、官吏たちが廟を訪れ、お辞儀や叩頭をしては、挨拶を交わし、譲り合いながら出入りしていた。すると孟子はまたもやそれらを1つ1つしっかり覚えた。孟子の母は思った:「こここそが子供が住むのに最適なのだ。」そしてここに定住したのである。

ある日、孟子は学校をサボって家に帰ってきた。孟子の母はすぐにはさみを取って、織機で織っていた布を切りながら孟子に言った。「求学の道理は私の布織りと同じで、一本一本重ねて織らなければならない。あなたの勉学も同じで、努力を重ねて、長い月日の累積を重ねて初めて成果が出るものだ。あなたのように努力もしないで、どうやって大事を成し遂げることができるのか?”

孟子は母の話を聞いて大変恥ずかしく思い、それから奮って勉学に励み、ついに博識で高徳の人になったのである。
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孟子の母は子供の幼い頃からの教育を重視したからこそ、不良な環境が自分の子供に及ぼす悪い影響に気がつくことができた。幼い頃の孟子を学業に専念させるため、3度も住居を変え、後世に「昔孟母,択隣処;子不学,断机杼」(訳者注:昔孟子の母は周り近所を選び、子が勉学をサボると織機の筬を折った。)との幼児教育に役立つこの逸話を残したのである。
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