【大紀元日本11月1日】
「捷」とは敏疾であること。「捷足先登」とは、行動の早い者が先に目的に達すること。 早い者勝ち。
紀元前200年頃の秦朝末期。各地の豪傑たちが天下を争い、動乱が絶えなかった。当時、最強の武将・劉邦には韓信という優秀な部下がおり、韓信の活躍で次々とライバルの城を攻め落とした。功を成した韓信は、劉邦から「斉王」に称せられた。
その時、韓信の策士・荊通(かいとう)は、韓信に劉邦を離れてライバルの項羽と手を結び、天下を分割して、将来自らが王になるよう勧めた。しかし、韓信は、劉邦の恩義に背くことはできないといって、劉邦と共に項羽を攻めた。長い戦いの末、韓信の活躍により劉邦が天下を取った。
その後、漢帝国を築いた劉邦は、韓信に対して疑念が芽生え始め、あれだけ功のあった韓信を淮陰侯に降格した。韓信はそれを不服として立ち上がったが、密告されて誅殺された。
死に臨んで韓信は、「当初、荊通の進言を聞き入れなかったのは、最大の過ちだった」と嘆いた。これを聞いた劉邦は荊通がかつて韓信に謀叛を勧めたことを知り、手下に命じて荊通を捕まえ、殺そうとした。
韓信に謀叛を進言したかと尋問する劉邦に荊通は、「秦が力を失った後、英雄たちは皆が天下を取ろうとしていました。当然、才の高い、行動の素早い者が勝つわけです。才のある者なら、皆王になろうとするものですが、彼らをことごとく殺すことができましょうか?それに当時、韓信は主であって、臣である私はただ主のために全力を尽くしただけなのに、何の過ちがあるのでしょうか?」と劉邦に反問した。劉邦は道理がないわけではないとも感じ、荊通を赦免した。
その後、このエピソードから「疾足先得」という熟語ができ、後に「捷足先登」に変わった。「行動のもっとも早い者が勝つ」ということだ。
(翻訳編集・柳小明)
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