沖縄県は6月23日、「慰霊の日」を迎えた。これは、太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日であり、沖縄県が条例で定める公式な記念日である。県内の自治体や学校、職場はこの日を公休日とし、県民が一斉に戦没者を追悼し、平和を祈る日となっている。
沖縄戦は1945年3月から6月にかけて行われ、日本国内で唯一の大規模な地上戦となった。住民を巻き込んだ激しい戦闘の末、20万人以上が犠牲となり、そのうち約9万4000人が一般県民や子どもだったとされる。沖縄県民の4人に1人が命を落としたと言われており、戦争の悲惨さを今に伝えている。
慰霊の日は、当初1961年に琉球政府(1952年から1972年までの間、アメリカの統治下にあった沖縄で設置された住民側の自治機関)が6月22日を記念日と定めたが、1965年に6月23日に改正され、1974年には本土復帰後の沖縄県条例によって正式に6月23日が「慰霊の日」となった。この日は、沖縄戦終結の象徴的な日であり、摩文仁の丘にある平和祈念公園では、毎年「沖縄全戦没者追悼式」が開催される。
2025年は戦後80年の節目にあたり、糸満市摩文仁の平和祈念公園では午前11時50分から追悼式が行われた。式典には玉城デニー知事による平和宣言、地元小学生による「平和の詩」朗読、正午の1分間の黙とうが行われ、国や県の関係者、遺族ら約4500人が参列した。また、県内各地でも慰霊祭や追悼行事が営まれ、多くの遺族や市民が平和の礎に刻まれた24万人以上の犠牲者の名前に手を合わせた。



石破首相の追悼式あいさつ
今年の追悼式には石破首相も出席し、あいさつの中で「平和の礎に刻まれた全ての戦没者の無念と残された方々の悲しみを私たちは決して忘れてはならない」と述べた。

さらに、沖縄が今もなお米軍基地の集中による大きな負担を担っている現状に触れ、「沖縄の皆様には、今もなお、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております。沖縄の負担軽減を、目に見える形で実現する。それが私自身の強い決意であります。本年3月、西普天間住宅地区跡地に、高度な医療・研究機能を有する健康医療拠点が誕生しました。沖縄の発展と福祉向上に資するこの取り組みは、跡地利用のモデルケースとなるものです。5月には、地元の経済界等を中心として、今後の返還予定地を活用した経済成長のグランドデザインが策定されました。政府においては、引き続き、在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小に取り組むとともに、沖縄の皆様と連携し、駐留軍用地跡地の有効利用を進めてまいります」と決意を示した。
近年、戦争体験者が高齢化し、直接証言を聞く機会が減っていることから、沖縄県では平和教育やデジタル教材を活用した歴史継承の取り組みも進められている。
沖縄の米軍基地
沖縄には依然として多くの米軍基地が集中している。
米軍が沖縄に駐留する主な目的は、アジア太平洋地域における抑止力の維持と、地域の安全保障体制の強化である。特に近年は、中国や北朝鮮など周辺国の軍事的動向に対応するための前方展開拠点としての役割が強調されている。
沖縄は地理的にアジアの要所に位置し、朝鮮半島や台湾、東南アジアへのアクセスが容易である。このため、有事の際には迅速に部隊を派遣できるという軍事的な利点がある。
また、沖縄本島と宮古島の間の「宮古海峡」は、中国共産党(中共)海軍が太平洋に進出する際の主要なルートとなっているため、沖縄の米軍基地は中共海軍の海洋進出を抑止する役割も果たしている。
冷戦時代には、沖縄の米軍基地はソ連や中国の共産主義勢力に対抗する最前線基地として機能していた。ベトナム戦争や朝鮮半島有事の際にも、沖縄は出撃拠点や物資集積地として活用された歴史がある。現在も、日米安保体制のもとで日本の防衛や地域の安定に寄与している。
米軍の駐留部隊には、嘉手納空軍基地の空軍、普天間などの海兵隊、ホワイトビーチの海軍、トリイステーションの陸軍などが含まれており、これらが連携してインド・アジア・太平洋地域でのさまざまな事態に対応できる体制が整えられている。
慰霊の日は、戦争の悲劇を繰り返さないという沖縄県民の強い願いを国内外に発信する日である。戦後80年を迎えた今年、記憶と歴史の継承、そして恒久平和への誓いが改めて問われている。
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