THE EPOCH TIMES

英国バイリンガル子育て奮闘記(34)

2010年05月10日 05時00分
 【大紀元日本5月10日】

 小学校低学年 (1994年9月—1997年7月) 校長先生

 小学校1年から3年まで、娘の小学校は「やり手」の女性の校長先生が取り仕切っていた。とにかく活動が多く、活動の運営資金も潤っているという印象を感じた。

 校庭で子供を待ちながら、親同士が立ち話していると、音もなく校長先生が後ろに立っていて、さりげなく今度の週末の学校行事にボランティアとして参加できるかの打診がくる。定期的に様々な行事があり、入場料をとって、資金を集め、学校の設備がどんどん改善されていくようだった。

 英国では、11月11日に花火大会が行われる。夏は日が長いため、夏季の花火大会は11時頃になってしまい子供たちには不向きだ。11月くらいだと、夜の6時には暗いので、子供たちが花火を楽しむのにちょうどいい。その昔、国会議事堂を爆破しようとしたガイ・フォークスの未遂事件に因んで、当日は、たき火を焚いてガイ・フォークスの人形を燃やす。娘の学校では、お父さんたちが大掛かりなたき火となるよう木を積み重ね、花火も大々的な催しだった。ついでに、お母さんたちが夜店のようにして、暗闇で光るおもちゃを売ったりしていた。この売り上げも学校の設備にまわされたと思う。サッチャー政権の落とし子のような学校だった。

 地域に貢献している人を推薦して、女王陛下が勲章を授ける制度がイギリスにはあるのだが、この校長先生も、地元の人の推薦で候補にあがり、みごとに勲章を授かることとなった。ある日、娘が、あめ玉をもらって帰って来た。校長先生からのプレゼントということだった。日本だったら紅白まんじゅうでも配るところだろう。

 この先生が退職されてから、学校の雰囲気が突然大きく変わってしまった。クラスはうるさくなるし、先生も親も、枠がとれて方角がなくなってしまったかのようになった。日本の小学校が、ここまで一人の校長先生に頼ることは恐らくないだろう。

 (続く)

 著者プロフィール:

 1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。

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