THE EPOCH TIMES

特別リポート:凍てつく辺境の地、北朝鮮を逃れた脱北者は語る

2018年04月29日 19時14分

Seung-Woo Yeom and Hongji Kim

[ソウル 12日 ロイター] - 脱北者のほとんどが、国境の川を越えて北朝鮮から逃れている。ソウルにたどり着いた脱北者に、話を聞いた。

<川で命を落とした父>

ソン・ビョクさん(48)は、プロパガンダ作品のアーティストだった。父親は、2000年に図們江を渡ろうとして溺れて死んだ。ソンさんは2001年に北朝鮮を脱出するとき、家族の写真を持ってきた。

「(2000年の)8月に、食べ物を探して故郷を出た」と、ソンさんは最初に脱北しようと試みた当時を振り返る。

「私たちの町は内陸部にあったので、川の水位はどこが高くて、どこが低いのか分からなかった。その当時は知らなかったが、そのとき川は、雨の多い季節で増水していた。それでも渡らないとだめだと思った。

「中国に渡って、食べ物を手にすることしか考えられなかった。服を脱いで縛り、そのひもで体をつないだ。父には、離さないように言った。川の中ほどまで来たときに、急にひもが軽くなり、振り返ると、父が流されていくのが見えた。

「私は慌てた。父は水にのまれかけていた。私は大急ぎで北朝鮮側に戻り、国境警備兵に父を助けてほしいと頼んだが、彼らは、なぜお前は死なずに逃げてきたのか、と言うだけだった。私は手錠をかけられ、連行された。8月28日のことだった。

「私は、会寧(フェリョン)で保衛省(秘密警察)の拷問を受けた。その後、清津(チョンジン)の強制収容所に4カ月入れられた。釈放後、私は生き延び、生き続けなければならないと思った。

「再び脱出を試みる前に、故郷の家に戻り、家族の写真を持ってきた。もし脱出しようとして死ぬことになっても、少なくともこの写真を持っていたいと思ったのだ。

「父を見つけることはできなかった。韓国に到着後、2004年に中国に戻り、川のほとりで父の弔いをした。心が、まだ痛む」

<母親から贈られたコート>

カンさん(28)の両親は、カンさんが2010年に韓国に脱北した後に、中国国境を経由してコートを送ってくれた。

「母親にこのコートを送ってほしいと頼んだわけではなかったのに。でも私が寒がりだと知っていたから送ってくれた」と、カンさんは言う。彼女は、下の名前の公表を拒んだ。母親は、一緒に蜂蜜も送ったというが、途中で紛失されてしまった。

「このコートは、犬の毛皮。どんな犬かは知らない。2010年当時、約70万北朝鮮ウォン(非公式レートで88ドル=約9500円)もして、本当に高価だった。北朝鮮出身の友人が、中国まで引き取りに行ってくれた。

「受け取ったとき、すぐに気に入った。母が大枚をはたいたに違いないと思った。私の父は党職員で、家族は自家用車を持ち、特別なアパートに住んでいた。

「普通の人は、こんなに高価なコートを着ることができない。兵士でもそうだ。将校は買えるだろう。国境警備隊の隊員も。この種類のコートを買うのは、簡単ではなかった。でも、次第にニセモノが出回るようになった。

「国は、この種のコートを取り締まっていた。本来は軍の支給品なので、デザインを勝手に変える人を監視していた。見ただけで、私のコートは、正規品ではなく、模造品だと分かる。

「模造品は、正規品とだいぶ見た目が違う。軍の将校も、正規品よりデザインがいい模造品の方を好んでいた。裕福な家の子どもがよく着ていた。

「私はこれを着ると太って見えるので、ここでは着ていない。修理すれば、着られると思う」

<国境の収容所から脱出>

中国の今を伝える 大紀元時報を「LINE@」で登録する方法
【Mac/PC】スマホでLINEを起動 > その他 > 友だち追加 > QRコード

【スマホ】下記ボタンをタップ
友だち追加
^