大紀元時報

1944年延安を訪問の米視察団、共産党の宣伝で警戒心失ったか 中国共産党史が当時言及

2021年5月28日 17時33分
1944年7月22日、米政府の視察団は中国共産党の根拠地である延安を訪問した。写真は毛沢東と視察団責任者のバレット大佐(資料写真)
1944年7月22日、米政府の視察団は中国共産党の根拠地である延安を訪問した。写真は毛沢東と視察団責任者のバレット大佐(資料写真)

中国外務省はこのほど、中国共産党成立100周年を記念するために、党の対外関係に関するシリーズ記事を発表した。そのなかで、1944年7月22日、米政府中国共産党の本拠地である延安に、初めて訪問団を派遣し視察した歴史を振り返った。当時、米視察団が中国共産党のプロパガンダに騙され、共産党に好印象を持ったことがわかった。

中国外務省が公開したシリーズ連載記事、「100日間に中国共産党の対外交誼のストーリーを物語る(原題名:100天講述中國共產黨對外交往100個故事)」の21本目は、当時の状況に触れた。

当時、米陸軍のデイビッド・ディーン・バレット(David Dean Barrett)大佐と外交官のジョン・サービス(John S・Service)が率いる代表団は、「米軍の中国・ミャンマー・インド戦区駐延安視察チーム」として延安に到着した。これは、中国共産党指導部と米政府の最初の公式接触となった。

ユートピアのような延安

中国外務省の記事によると、米視察団のメンバーの目に映った延安は、「エドガー・スノー氏ら親中国共産党のジャーナリストが報道した『進歩的な延安』であった。これは「国民党政府が長年宣伝した『反動的な延安』」と違っていたという。

同記事は、当時の米軍将校らは、中国共産党に対して好意的だったとした。

「根拠地の軍民と触れ合うことで、視察団メンバーの1人、カーター氏は、簡素は中国共産党の最大の魅力との認識を示した。彼ら(共産党員)の目標はまじめに仕事をし、簡素な生活を送ることだ。(中略)これは腐敗した国民党と大きく違っているところだ」

記事によると、毛沢東はサービス氏と複数回、「話し込んだことがある」。「毛とサービスは毎週、2~3回会っていた。話し合いの回数は50回を超えていた。毛はサービスに対して、中国共産党の抗日作戦、対米姿勢と(抗日)戦争後に工業化を展開する計画、国民の生活向上に関する政策などを話した」という。

いっぽう、視察団のトップであるバレット大佐は、「国民党が統治する地域で、住民らが縛られて兵隊に入れられたのを目撃した。しかし、共産党が統治する地区では、このようなことを見たことがない。バレット氏は、共産党の軍隊について、『良好な訓練、実際の戦闘を受けた。情報収集の水準も高く、士気が高い』と評価した」という。

「バレット氏は根拠地の軍民が、日本軍の攻撃によって墜落した米戦闘機の操縦士を救助したことを見て、『共産党の政府と軍は、中国近代史上で、初めて国民の支持を得た政府と軍だ』と感激した」

「視察団のメンバーの心は、中国共産党によって、強く打たれた。彼らは、『共産党が統治する所には、生き生きとした雰囲気とエネルギーを感じた』とした」

共産党員の中の延安

米ラジオ・フリー・アジア(RFA)は、中国外務省の同記事は当時、中国共産党が米視察団を懐柔するために行った演出の様子を反映したとの見解を示した。

中国共産党は党史の中で、延安をユートピア、革命の聖地と喩えた。しかし、1990年代以降、当時延安で起きた党内の権力闘争粛清運動を記録した『延安日記1940-1945』『赤い太陽はどのように登ったのかー延安における整風運動の経緯(原題名:紅太陽是怎樣升起的是—延安整風運動來龍去脈)』などが相次いで発行された。共産党員の長老らは本の中で、延安では残酷な権力闘争が常に行われたと証言した。また、毛沢東らを含む党の指導者らは男女関係が乱れていたという。中国共産党が宣伝している党史の記述と大きく違っていた。

延安で党中央軍事委員会秘書長兼政治部秘書長を務めた陶鋳の妻、曽志氏が執筆した回想録、『一人の革命の生存者(原題名:一個革命的幸存者)』は、延安での日々を記録した。

「暴行を受けた一人の女性同志の顔は血だらけとなった。生理が来たにもかかわらず、つるし上げにされ、暴行を受けていた。彼女のズボンは(血で)真っ赤に染められた。窰洞(ヤオトン、中国北西部にみられる横穴式住居)の地面にも大量の血が落ちていた。夜、周りが静かになると、(中略)罵声、殴打の音、悲鳴が土でできた壁を通り越して、真っ暗な野山に伝わっていく。このような音は、断続的に、次から次へと聞こえて、恐ろしくてびくびくして、ぞっとしていた」

『赤い太陽はどのように登ったのかー延安における整風運動の経緯』によると、延安では党内の反対派は、銃刑、生き埋め、斬馬刀で切るなどの方法で処刑された。

中国共産党は、延安を視察した米代表団の日程を細かくコントロールしていたため、代表団のメンバーらは実際に行われている残酷な粛清を見ることはなかったと推測する。

RFAは、中国外務省の記事は、1949年に武器を近代化された国民党軍が中国共産党の軍に負けた原因の一つを示唆したとの見方を示した。「代表団などの影響で、米政府が重要な時期に国民党に強力な支援をしなかったことが影響している可能性があった」

中国共産党は表面を飾り立て、国民と国際社会を騙す手法は今も昔も変わっていない。

(翻訳編集・張哲)

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