「中共を傍観してはならぬ」日本が今とるべき策は何か?

2022/08/25
更新: 2022/08/25
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ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まった2月24日から、まもなく半年となる。
一向に出口が見えない両国の状況に世界の多くの人々が心を痛め、1日も早い平和の回復を願っているのは言うまでもない。

「独裁は自滅する」は誤り

それに関連して、8月18日の産経ニュースに出ていた『「鎌倉殿の13人」の先にマルクスの呪縛』と題する文章を興味深く拝見した。筆者は日本中世史が専門の青山学院大准教授、谷口雄太氏である。

その文章のなかで谷口氏は、昨今のウクライナ情勢について「ロシアの国民がプーチン体制を打倒すれば戦争は終わるのではないか」というような希望的観測が、往々にして語られることに注目している。
つまり、ロシア国内の反プーチン世論や反戦運動が報じられるとき、「(日本人をふくむ)海外の人々はそういった希望を膨らませる」というのだ。

谷口氏は、それが核大国であるロシアを前にした「欧米(日本を含む)の無力感の表れ」であり、結局のところ「人々はロシアのプーチン体制の自壊に期待を託さざるを得ない」と分析する。
その上で同氏は、そのような独裁体制が崩後した後の「民主主義をゴールとする考え方は、現実を見る目を曇らせる」として注意を促している。

つまり、プーチン大統領の現体制は典型的な独裁体制であり、そのような体制には根本的な矛盾があるから「やがて必ず崩壊する」という希望的観測を人々が抱いてしまう。しかし、谷口氏はこれを「誤った考え方だ」と指摘する。

今も影響する「マルクスの呪縛」

その理由として、谷口氏は以下のように言う。

「その一因としてはマルクス主義的な理解による影響が考えられよう。共産主義社会を目指すマルクス主義では、《体制の構造的矛盾→闘争→革命》という思考の枠組みで物事が語られがちである。20世紀、アカデミズム(学問の世界)を席巻したマルクス主義は、当然ながら歴史学にも大きな影響を与え、歴史はしばしばそうした枠組みで論じられるようになった」

20世紀末、ソ連の崩壊もあって、確かに従来のマルクス主義は退潮を余儀なくされた。しかし谷口氏は、マルクス主義の「分かりやすい思考の枠組み自体は、人々の頭の中に色濃く残っている」と指摘する。

「体制に矛盾があるから必ず崩壊する」というのは、確かに短絡的な思考であろう。
本記事の筆者がこの文章に興味を持ったのは、谷口氏の見解に基本的に同意するとともに、20世紀のマルキシズムの思考方法が、知らずして21世紀の我々にも影響しているということの「不気味さ」および「危険性」を再認識したからである。

実際、こうした「マルクスの呪縛」に見られるような悪魔的思考は、今も消えていないのだ。

傍観者であってはならない

いずれにせよ、私たちが独裁国家について考察するときに、「放っておいても内部崩壊する」というような楽観的な考えは捨てるべきであろう。

なぜ捨てねばならないか。これは谷口氏も書いているが、専制的な体制は必然的に内部崩壊するといった甘い見通しは、「現実にそれと戦っている人々への支援を緩め、かえって侵略者・独裁者を延命させかねない」からである。

ここで唐突ながら、本記事の筆者は中国を想起する。
この「日中友好の50年」とは、あるいは「日本が中国共産党を今日まで延命させてきた半世紀」ではなかったか。もしそうであるならば、日本はそれを大いに反省するとともに、今後、決して同じ轍を踏んではならないだろう。

早急に解体されるはずの悪しき体制が、いまだ地球上に存続している現実に接するとき、私たちはそこに、「早く滅ぶべき悪魔に対し、日本が延命の輸血や点滴をしてきたのではないか」という自責の念をもたずにはいられないのである。

「今後も注視していく」は無策と同じ

もちろん私たちは、以下のことも認識しなければならない。

秦の始皇帝の命を狙った荊軻(けいか)は、義ある暗殺者であった。
しかし今、誰かが義侠心ある刺客となって独裁者(例えば、プーチンあるいは習近平)ひとりを暗殺しても、その体制は崩壊しないし、それによって自由と民主主義を掲げる新しい国家に生まれ替わることもない。つまりテロリズムは、悪魔を喜ばせこそすれ、何の役にも立たないということである。

だからといって日本が何も具体的なアクションを起こさず、「今後も注視していく」「遺憾に思う」「情報の収集に努める」「対応策を検討する」に止まっていて良いのだろうか。

そのような不明瞭な態度を日本が引き続きとるならば、現在も数々の非人道的な所業をおこなっている独裁国家に対して、日本が「容認」あるいは「黙認」という誤ったメッセージを送ることにもなりかねないだろう。

中共は、中国ではない」という事実

冒頭に引用した谷口氏の文章は、プーチン大統領のウクライナ侵攻を切り口に論を進めている。以下は本記事の視点として、ロシア以上に日本と関係の深い隣国であり、もう一つの独裁体制の大国である中国を念頭において考えてみたい。

旧ソ連は20世紀末の1992年に崩壊した。しかし、中国共産党の中国は、バブル期の日本から多額の投資や円借款を受けたこともあって、その命運が尽きることなく世紀末を越え、現在に至っている。

しかし遅ればせながら今、私たちは厳然たる事実に気づかなければならない。中国共産党は正統な中国史を継承する資格を持たない、つまり「中共は、中国ではない」ということだ。

伝統文化に基づく中国歴代の王朝史からすれば、共産主義という外来の悪魔思想を根幹とする中国共産党は全くの「異物」であるとともに、1949年に中国大陸の政権を簒奪した、いわば「強盗政権」なのである。

遠い歴史に鑑みれば、中国の歴代王朝は必ずしも漢民族によるものではない。
漢民族以外で比較的長期にわたる王朝としては、北方の騎馬民族である鮮卑(せんぴ)の血をひく唐王朝をはじめ、モンゴル族の元朝、満州族の清朝などがある。

しかし異民族である彼らは、中国の伝統文化を擁護し、また自らも積極的に学んだ。元朝は、統治の方法はモンゴル人第一主義をとって上下の階層を厳格に定めたが、少なくとも中国文化を破壊しなかった。それが、20世紀の中共とは決定的に異なる点である。

易姓革命」が正統な革命

さらに中共は、第二次世界大戦後の平時、つまり「戦争ではない状態」において8000万人ともいわれる罪なき自国民を悶死させた。

これはヒトラーやスターリンでさえなし得なかった巨大な悪行に他ならないはずだが、なんと2022年の今日まで、中共は易姓革命を逃れて、北京の政権にしがみついている。

易姓革命とは、天が「徳を失った王朝を廃して新王朝を立てる」という、中国伝統の革命思想である。マルクス主義の革命ではなく、こちらが中国の正統な「革命」なのだ。

政権としての中共73年のうち、今日に至る50年間は、日本とのつきあいのなかで営まれてきた。その全てを否定する必要はないが、日本として、中共に対して甘美な幻想を抱いてきた部分は、果物で言えば腐った箇所なので、今を機会にナイフでばっさり切り落とすべきではないか。

日本が「旗幟を鮮明にする」必要性

今の日本人にとって、台湾が「好ましい国」である一方、大陸中国は「嫌いな国」であることは間違いない。そうした日本人の中国(および中国人)に対するマイナスの印象は、ある意味で現在の必然的結果とも言える。

しかし、だからといって日本人が「あいつら、どうせ自滅するよ」と中国や中国人を冷視することは、実は日本人自身にとって大変不幸な考え方であるかもしれないのだ。

ここで日本人が、谷口氏のいう「マルクスの呪縛」つまり「独裁体制自滅論」を踏襲して、中国を遠くから冷たく傍観する必要は全くない。

明確に言うならば、私たち日本人もまた、中共と正反対の立場にたつことで旗幟を鮮明にする必要があるからだ。もはや「あいまいな日本」であってはいけないのである。

いま日本人が問われていること

恐縮ではあるが、谷口氏の文章の一部を、ここに再度引用させていただく。
「専制的な体制は必然的に内部崩壊する、などといった甘い見通しは、現実にそれと戦っている人々への支援を緩め、かえって侵略者・独裁者を延命させかねない」

中共の迫害に屈しない善良な中国人は、今も大陸に多くいる。
それは例えば、法輪大法を修煉している人々である。中共から残酷な迫害を受けている彼らには、無神論の共産主義者が最も恐れる「神への信仰」という強さがあるのだ。

神の側に立つか、中共という悪魔に魂を売るか。
「日中国交正常化50周年」を前にして、実は今、日本人の胆力が問われていると言っても過言ではない。

究極的に言えば、中共との関係を全て断ち、善良な中国人の側に立つことが、日本という国家の未来に栄光と福寿をもたらすことになるだろう。

胆力が問われるとは、その選択ができる日本人であるか否か、ということである。

鳥飼聡
中国の文化、とくに漢詩が大好きです。