六四事件の36周年を迎える前夜、中国全土で厳重な治安体制が敷かれ、北京の天安門広場では警備が強化され、各地で反体制派が監視・拘束されている。
今年6月4日、1989年の「六四天安門事件」から36周年を迎えるにあたり、中国本土は再び全面的な「維穩(治安維持)」体制へ移行した。北京の天安門広場周辺では、制服警察と私服警官が多数配置され、市民や観光客に対して身分証の厳格なチェックを行っている。中国共産党当局は、社会的な動揺や抗議行動の発生を防ぐため、SNSや通信手段、出入りの自由を徹底的に制限している。
6月2日早朝、天安門広場での国旗掲揚式が終わりに近づいた頃、黒い服を着た男性が突然ガードレールを乗り越え、旗竿へ向かって突進しようとした。複数の警官がこの男性を即座に制止し、現場から排除した。この出来事を受けて、広場周辺の警備体制はいっそう強化され、入場者全員に対して携帯型カードリーダーによる身分証のスキャンを義務付けた。北京の陳情者・周氏は「一人一人にカードをスキャンしている。外地から来た陳情者や敏感な人物を特定しているのだろう」と語った。
天安門広場周辺にとどまらず、北京市内の著名な反体制派や活動家も例年通り厳格な監視下に置かれている。独立系ジャーナリストの高瑜氏は、「強制旅行」という名目で自宅から遠ざけられ、滞在を禁止された。維権活動家の李氏は「前日にスーパーへ行く際、警察が車で送迎し、全行程に同行した。なぜ毎年こうするのかと尋ねたところ、『任務だから』と返された。従うしかなかった」と証言した。
こうした安定維持措置は北京に限らない。貴州省貴陽市では、地元の国家保安当局が連日反体制派に電話をかけ、行動報告を義務付け、外出や面会を禁止している。人権研究会メンバーの黄氏によれば、組織内の十数人が「強制旅行」や自宅軟禁の状態に置かれ、警察は「6月6日までこの体制を維持する」と通告したという。
湖南省株洲市の維権活動家・小邵氏は、地方の反体制派は近年ほぼ「一掃」されたと語る。「欧標峰(オウ ビャオフォン)のように出所したばかりの人物は重点監視対象となり、他の者も随時行動報告を求められる。かつての古参活動家は投獄されるか、米国などに移住した。邵陽市の朱承志も現在は監視を受けつつ、広州市の娘の家で暮らしている」と実情を明かした。
広東地方も同様の状況にある。人権派弁護士の陳氏は、国家保安当局から「六四」に関する一切の情報をネット上に投稿しないよう厳重に警告を受けた。「警察は『どんなに隠しても分かる。暗示的な表現も見逃さない。余計なことはするな』と念を押してきた」と述べた。
出張中の人権弁護士も監視の網から逃れられない。709事件に関与した弁護士は、無錫に滞在中にもかかわらず、警察から即時帰郷と地元公安の監視下に入るよう命じられた。
毎年6月4日前後になると、中国共産党当局は「特別維穩モード」へと切り替え、監視強化・移動制限・身柄拘束など、あらゆる手段で反体制派や敏感なグループの活動を抑え込んでいる。山東省の人権監視員は「この臨戦態勢はすでに慣例となっており、当局が社会の安定や政治的記憶に極度の恐怖を抱いている証拠である」と指摘する。「多くの人々が『六四』について口にしなくなったが、政府の過剰な反応そのものが現実を物語っている」とも述べた。
1989年6月3日から4日にかけて、北京の天安門広場では数千人の市民や学生が民主化と反腐敗を訴えて座り込みを行い、最終的に軍隊の武力によって鎮圧された。この事件は現在も中国共産党にとって「政治的立ち入り禁止区域」となっており、情報封鎖と記念活動の禁止が続いている。「天安門の母」など遺族団体も長年にわたり弾圧と監視の対象となってきた。
36年を経た現在も、毎年この時期は中国における最も政治的に敏感な時期の一つである。年々強化される警備と技術的な情報統制の下でも、「六四」の記憶は消失せず、中国社会の深層に刻まれ続けている。
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