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82集団軍が北京進軍 中国共産党内でクーデターか

2025/10/03
更新: 2025/10/03

四中全会直前の北京。9月28日、大量の軍用車両が急速に北京に向かって進入した。この部隊は張又侠の指揮下にある第82集団軍とされている。外部では、「武力による逼宮(クーデター未遂)」の兆候と見る見方が広がっている。習近平が退陣を拒めば、事態はどのような展開を迎えるのか。

本日の報道では、この問題を深く掘り下げて分析を試みる。

82集団軍の北京進軍と張又侠の意図

9月29日、中国共産党は1年以上延期していた第20期四中全会を10月20~23日に開催すると発表した。党上層部に大きな人事異動がある場合、その正式発表は四中全会で行われることが多い。過去にも、第12期四中全会では葉剣英が引退し、第13期四中全会で江沢民が新たに就任した例がある。

第20期四中全会の日程が1年遅れで決定したことは、内部抗争が激化していたことを示している。両陣営が1年間にわたり激しく対立した結果であると見られる。ただし、最終人事の合意が成立したかは不明である。

同じく9月29日、中国のネットユーザーが海外へ投稿した情報によると、9月28日、保定から北京へ向かう高速道路で、大量の軍用車両が北京へ進軍する様子が撮影された。目撃者によれば、軍用車は100台以上に及び、装甲車、物資車、兵員輸送車、医療車などが含まれていた。

約30秒の公開動画からは、兵員輸送トラックが最も多く確認されている。これらの大型トラックは厚いシートで覆われており、内部の兵士は見えなかった。保守的な見方では、数十台の兵員輸送車に数百人の兵士が乗っていたと推定されている。

保定は82集団軍の駐屯地であり、同軍は中共軍事委員会副主席張又侠の直系かつ「北京の近衛軍」と称されている。首都防衛における重要な部隊である。四中全会の日程発表直前に、張又侠が82軍の一部兵力を北京市に向けて動かし、日中に交通量の多い高速道路を通行させたことは、武力による圧力、すなわちクーデターの意図を強める動きと評価されている。

張又侠は胡錦濤との見解の違いを踏まえ、一気に決着させる覚悟か

複数情報源によれば、張又侠や温家宝らの元老は「汪洋を中共総書記に、胡春華を国務院総理に就任させ、習近平は党と軍の権限を手放して引退すべきだ」と求めているという。

この動きは外部から見て歓迎されるシナリオであり、中国政治の転換点となる可能性がある。一方で、「習近平が権力を形式的に保持しつつ実権を失う」という選択肢も浮上している。前党首胡錦濤はこの穏便な解決を望んでいるとされる。

胡錦濤は、習近平が全面的に権力を失うことで党内混乱が起き、最悪の場合、政権が崩壊すると懸念している。そのため、習近平に名目上の地位を残しつつ実権を汪洋と胡春華に委ね、秘密裏に権力移行を進める方策を模索している。こうすることで、習近平側近にも移行期間を与え、政権の安定的交代を目指している。

しかし、この案には大きなリスクもある。一つは、胡錦濤が高齢で健康状態が悪化した場合、反習派が「正統性の象徴」を失い同盟の崩壊が懸念されることである。

もう一つは、張又侠にとっての不安材料だ。習近平が依然として軍事委員会主席に留まり、張又侠が副主席のままだと、習近平が機を窺い張又侠を排除し軍権を掌握する恐れがある。こうした状況下、胡錦濤存命で張又侠が権力を握る今が、強硬策を講じて習近平排除を図る特異な時期である。

張又侠が82軍を北京に向けた背景の一つは、胡錦濤案に反対し、武力による直接的な圧力で問題を解決しようとしたからだと推測される。

中国共産党(中共)内部の権力闘争は交渉での解決が困難であり、最終的には「銃口の力」で決まる。鄧小平以降の最高権力移譲では、3度のうち2度が成功したクーデター、1度が未遂事件であった。

20回党大会と習近平のクーデター、共青団派の失脚

海外情報によると、2022年の北戴河会議および複数回の内部協議で、中共元老や習近平は「李克強を党総書記に、汪洋を国務院総理に、胡春華を常務委員に、習近平は引退する」という人事合意を得ていた。習近平は第二十回党大会でこれを実施する予定だった。

しかし習近平は軍事クーデターを発動し、北戴河合意を覆した。結果、第二十回党大会後の政治構図は一変した。

流出情報によると、習近平は二十回党大会議前に軍を配置し、汪洋や胡春華を含む15人の元老・共青団派系重要人物の拘束命令を準備。実行役は張又侠であった。

張又侠は胡錦濤政権下で昇進の恩義を踏まえ、命令を消極的に遂行し、元老に「動くな、自身も動かない」という合図を送り安全を確保した。

結果として、胡錦濤は大会から強制退席させられ、団派は最高指導部から完全に姿を消した。習近平は3期目に入り、常務委員会は習近平派の一色となった。

江沢民の16回党大会のクーデターと軍事委主席の留任

20年前の2002年11月の中国共産党第16回党大会で、江沢民は党・政・軍の三権から退く予定であった。

ところが同大会の主席団常務委員会で、江沢民に扇動された軍事委副主席の張万年が突然、江沢民の軍事委主席留任を求める強硬な動議を提示。20人の軍人が連署した。

軍の威嚇もあり、胡錦濤は逆らえず軍提案を支持。江沢民は軍事委主席の座に2年間留まり、同派閥の軍内影響力をさらに強化した。

この背景には、江が軍権を手放さず新指導部監視に利用し、法輪功弾圧政策の維持を図ったことがある。

胡錦濤による18回党大会前夜のクーデター鎮圧と権力移譲

鄧小平以降の中共権力移譲史で唯一、2012年11月の第18回党大会において胡錦濤が習近平に円滑に権力を譲渡した。

しかしこれはクーデターがなかったという意味ではない。当時、江沢民派の周永康と薄熙来がクーデターを企て、胡錦濤と習近平の失脚を狙った。

2012年3月19日深夜、北京市民の報告によると、長安街は軍用車両に埋め尽くされ空港封鎖、中南海から銃声が聞こえたとされる。外部では大事件の噂が広がった。

流出情報では、未遂クーデターの主犯は中共中央政法委書記の周永康。彼は大量の武装警察を動員し、新華門や天安門を包囲、大連の富豪で薄熙来事件の重要人物徐明の奪取を試み、温家宝暗殺計画も立てた。

胡錦濤は急遽第38軍を北京に呼び寄せ、武装警察と対峙。武装警察は空に警告発砲したが、38軍は迅速に武装警察の武装解除に成功した。

この一夜で周永康は権力を失い、同年11月の18回党大会で円滑な権力移譲が実現した。

張又侠の反乱は成功が絶対条件

今年の第20回党大会第4回全体会議を振り返ると、北京は依然として緊迫している。張又侠は元老15人と団派幹部逮捕リストから立場を変え、習近平の敵に回っているとされる。逮捕予定には習近平、蔡奇、王小洪らも含まれる可能性がある。

張又侠は、この瞬間が非常に貴重な機会であると理解している。2024年7月、習近平は脳卒中で倒れ意識不明となったが、その際張又侠は劉源を通じて胡錦濤と温家宝と連絡し、習近平の軍権奪取に合意した。

以降1年以上の激しい権力闘争で張又侠は軍内の習家軍メンバーを粛清し、苗華や何衛東を排除。ついに82軍を動員し、北京でのクーデター実施の機会を得た。

張又侠は「引き金を引いた以上、後戻りはできない」という覚悟のもと反乱を起こし、成功させる以外に道はない。習近平は失脚し、軍委主席および党総書記職は汪洋が引き継ぐ必要がある。

ロシアのプリゴジンのように途中で挫折すれば、張又侠と反習連盟は壊滅の危機に陥る。

反乱開始から1年が過ぎ、軍隊の掌握は維持されているが、党政システムは依然として習近平陣営のままである。習近平が築いた党政組織には息のかかった人物が全国に残存し、習近平失脚後も汪洋に従うことは困難であろう。新指導部の基盤は揺らぎ、重要政策の推進にも消極的対応や妨害が予想される。このままでは新体制は局面を打開できない可能性が高い。

結び

張又侠による82軍の北京進軍は、中国共産党内部の権力闘争の激化を明確に示すものだ。

歴史が示す通り、中共の高層権力交代は常に武力の威嚇を伴ってきた。今回のケースも例外ではなく、張又侠は覚悟を決め、習近平体制を直接終わらせ、汪洋と胡春華の台頭を切り開く可能性がある。今後の動向から目が離せない。

習近平側は妥協して退陣するのか、それとも最後まで抵抗を続けるのか。逆転の可能性は残されているのか。

この権力闘争の行方は、中共の高層だけでなく、中国の今後の進路にも大きな影響を与えるであろう。