「三国志」曹操の墓、盗難が深刻 顔部分切り落とし 仇敵の報復か

2010/06/15
更新: 2010/06/15

【大紀元日本6月15日】「2009年度新発見、中国十大古代遺跡」に選ばれた曹操陵墓について、河南省文物局は11日、最新の研究結果を公表した。曹操の陵墓は歴史上、何度も盗難に遭ったとみられる。侵入口と思われる穴が7カ所発見されており、壊滅的なほどに破壊されているという。

三国志の英雄として知られる曹操は、中国の後漢末の有名な武将、政治家、詩人であった。実力を失った漢の皇帝を傀儡(かいらい)として利用したが、自ら皇帝の位につくことはなく、息子の曹丕は後漢の献帝から禅譲を受ける形で皇帝になった。

その陵墓が、昨年12月27日、河南省安陽市安陽県の安豊郷西高穴村で発掘された。

11日の河南省文物局の責任者による発表では、曹操の陵墓は長方形で、その前方は広がっている。面積は約9千平米。二つの墓で構成されており、一つは、曹操の墓。もう一つは陪葬者の墓だが、身分はまだ判明していない。

今回の発掘で、鉄製の剣1本と石牌60個が出土した。石牌には陪葬する物品の名称や数量を記録した銘文が刻まれている。この陵墓が「曹操の墓」と判断された最大の決め手は、漢の献帝により封じられた称号「魏武王」の文字が刻まれた石板だという。

また、発掘された当時、曹操の遺体が寝床から墓の前部に移動されており、その顔の部分は切り落とされていた。理由は解明されていない。また、「魏武王常所用」の文字を刻んだ銘文の石牌が全部折られていたことから、報復的に破壊されたことが窺える。

陵墓の盗難、破壊状況は非常に深刻であり、多くの謎を解明するには、遺跡の綿密な研究や出土文物の分析が必要と専門家は指摘する。

一方、同陵墓を曹操の墓とすることに関しては、中国では「異論」が多く、曹操の部下だった夏侯惇の墓の可能性など、様々な解釈が挙げられている。

(翻訳編集・叶子)
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