論説
今週末、医療の自由をテーマにしたカンファレンスで登壇する機会に恵まれた。こうした場では常のことだが、メインホールの外で交わされる会話にこそ真の面白さがある。新旧の友人たちとともに、この10年間に起きた驚くべき出来事を振り返り、詳細を語り合った。そこには決まって、企業の策動、政府の腐敗、検閲、情報工作(心理戦)、悪意ある関係者、そして隠蔽工作などが含まれている。
言い換えれば、世間でしばしば「陰謀論」と蔑まれる事柄について議論したのだ。陰謀論はあらゆるテーマに存在する。2001年9月11日の同時多発テロから25年が経過した。今なお論者の数だけ説が存在する一方で、公式報告書が真相のすべてを語っていないという点では誰もが一致している。
エプスタイン文書、1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件、COVIDを巡る混乱などについても同様だ。あるタクシー運転手は、この傾向について楽観的な見方を交えて気さくに語ってくれた。政治の世界はずっと昔からこのように不透明だったのかもしれない。単に、私たちがかつてないほど多くの情報を持っているに過ぎないのだ、と。誰にとっても確実なのは、私たちが完全な真実を握っていないということだけである。
その日の夕食時、ある年配の男性が興味深い疑問を投げかけた。「上記のような陰謀論のいずれか、あるいはすべてが本当に事実であるなら、なぜ共謀者たちの輪から外れて事実を公表する内部告発者がもっと現れないのか?」
公認されたものの中で最も危険であることが既知の全データから明らかになっている、COVIDワクチンを巡る策動だけを考えてみてもいい。なぜ真相が公になるまでにこれほど時間がかかったのか。そしてなぜ、いまだに多くの人々が沈黙の中で苦しんでいるのか。
この疑問への答えはいくつかある。一つは、内部告発者を最も必要としている制度そのものによって、彼らが悲惨な扱いを受けるという点だ。彼らは多くの場合、無視され、中傷され、調査対象にされ、解雇され、他者への見せしめとして惨めな生活を強いられる。その光景を一度でも目にすれば、自らその道を選ぶ選択肢は完全に排除される。職を辞した後でさえ、人々は声を上げるよりも沈黙を守る傾向にある。
一流の科学者、医師、そしてロックダウンの被害者たちが声を上げ、多大な代償を払う姿を私は見てきた。彼らは職を失い、メディアへの露出を断たれ、同僚や友人から疎外された。権力者たちは彼らの人生を破滅させようとした。そのような見通しに立ち向かおうとする者は極めて稀である。
もう一つの答えは、ゲーム理論で説明がつく。2人のプレイヤーによる古典的な「囚人のジレンマ」では、口裏を合わせて嘘を守り抜く(協調する)よりも、相手を裏切って責任を押し付ける確率のほうが高い。しかし、ゲームの条件を現実社会に合わせて少し変えてみよう。ゲームが一度きりではなく「何度も繰り返され」、得られる「見返りが跳ね上がる」とどうなるか。参加者は、一人だけ裏切って輪を乱すよりも、周りに同調して口裏を合わせ続ける(共謀する)ほうが常に得策だとすぐに学習するのである。
理屈っぽく聞こえるかもしれないが、これには社会心理的な側面もある。ある集団が掲げる「共有ストーリー」が成立するかどうかは、全員が足並みを揃えて同調し続けられるかにかかっている。そうなると、どれほど荒唐無稽な嘘であっても延々とまかり通ってしまうのだ――例えば、「工業化の負荷に耐えきれず地球はまもなく氷解し、大陸全土が水没する」といった、今では間違いと証明された言説のように。
ここまでの理屈は分かりやすいだろう。だが、本当によくできた「共謀(プロット)」は、破綻するまでにどれほど広がり、どれほど長く続き得るのだろうか。ここからが実に興味深い点だ。たとえば製薬会社は、大学などの学術界、学会、シンクタンク、メディア、医療現場、さらには小売チェーンにまで絶大な影響力を築き上げてきた。その手の伸び先は、現代社会のありとあらゆる隙間に及んでいる。
だからこそ、「この薬は宣伝どおりの効果などない。ただのボッタクリだ。治験データは改ざんされ、審査機関は買収されていた。処方した医師たちも実態を何も分かっていなかったのだ」と、真正面から声を上げる者はほとんど現れない。実際、たった一人の研究者が真実を告発するまでに、薬は何十年も売られ続け、何千億円もの巨額の利益を生み出し続けることすらある。それどころか、ようやく告発者が現れたとしても、その真実の声に世間が誰も耳を貸さないことすらあるのだ。
この議論をしている最中、私の意識は以前働いていた魚料理のレストランでの仕事へと飛んでいた。私たちの店で最も利益率が高く、1ダースや2ダース単位で飛ぶように売れた看板メニューは、名物の「ホットパフ」のバスケットだった。1回の注文で1ダース提供される。テーブルには蜂蜜が置かれており、客は熱々のパフに蜂蜜をたっぷり流し込んで貪り食べていた。
厨房の裏で、私たちはその光景に驚嘆していた。自分たちが何を売り、客が何を食べているかの真実を知っていたからだ。そのホットパフの正体は、細長い筒に詰められた市販の缶入りビスケット生地をスライスしたものに過ぎなかった。筒を開け、煮えたぎる油の槽に放り込む。片面が揚がったら、きつね色になるまで裏返す。
従業員の誰一人として、それを口にしようとする者はいなかった。ホットパフたった1個の中に、実に計量カップ4分の1(約50ml)ものコーン油が染み込んでいたからだ。私たちはペーパーナプキンを使って実験したことすらある。揚げたてのパフを2枚のナプキンで挟んでギューッと押し潰し、どれだけ油が滲み出るかを確かめたのだ。その結果は、毎回笑ってしまうほどすさまじいものだった。そんな油の塊に蜂蜜を山盛りに注ぐのだから、もはや「胃袋へのテロ」と言うほかない。
客席に出て行って、こう叫びたくなることが何度もあった。「こんなものを何ダースも食べるなんて正気じゃない。心臓発作で早死にする前に今すぐやめろ!」
だが、実際にそんなことをしただろうか? いや、しなかった。なぜなら、それは店の極めて大きな利益源だったからだ。店はそのメニューで有名だった。そして実際、客はそれを心から愛していた。客が何を食べるべきで何を食べるべきでないかなど、私たちが口を挟む筋合いがあっただろうか?
私はこの事例をよく思い出す。そこには一種の「沈黙の共謀」が存在していた。多かれ少なかれ悪意のないものであり、食品業界の大半でよく見られる類のものだ。彼らは自ら売っているものが体に良くないことを知っているが、健康事業を営んでいるわけではない。彼らはビジネスをしているのであり、人々は体に悪い食べ物を好む。もし人々が賢くなってジャンクフードを食べるのをやめれば、業界は単に崩壊する。
これが、「安全で効果的」と見なされているものの、実際のデータでは宣伝どおりではないことが判明している医薬品の話になると、事態ははるかに深刻化する。そこには往々にして厳しいトレードオフが存在し、副作用の可能性が皆無な医薬品など存在しない。莫大な利益を生む売上は、何年、何十年にも及ぶ隠蔽を動機づける。全員が利益を得ている限り、誰も警鐘を鳴らす理由がないのだ。
ここに、政府による規制が真の問題となる要因がある。私たちは現場の警察官として機能させるために米食品医薬品局(FDA)を設立した。しかし、その警察官は、規制対象である企業と緊密に連携するよう、とっくの昔に買収されている。FDAのプログラム予算の半分近くを製薬会社が支払う審査手数料が占めているのだ。一方で、この問題の深刻さを完全に理解している者はほとんどおらず、FDAという存在そのものが、民間による監視の試みを排除してしまっている。
政府の調査委員会についても同じことが言える。委員会が何かを解決した直近の例はいつだっただろうか。一つも思い浮かばない。だからこそ、私は「COVID検証委員会」の設置という構想に一度も賛同したことがないのだ。何よりも避けるべきは、政府の手によって「真っ赤な嘘」が公式見解に仕立て上げられ、報告書に異を唱える人々がことごとく検閲され、晒し者にされる事態だ。「何が本当か分からない」という混乱の中に留まるのは確かに居心地が悪い。だが、政府が作った耳ざわりのいいおとぎ話(まやかしの安心感)に浸るよりは、そちらのほうがはるかにましである。
今や、あらゆる場所に疑心暗鬼が渦巻く時代となった。AIがこの不信感を解消してくれることなどあり得ず、むしろ火に油を注いでいるのが現実だ。個人であれ公的機関であれ、自らの手でゼロから勝ち取らない限り、信用が戻ることは決してない。だが、その信頼を築き直すには並大抵ではない勇気がいる。周りに同調するのをやめ、群れの列から一歩抜け出さなければならないからだ。だからこそ、本当の信頼が回復するまでには、まだまだ果てしない時間がかかるだろう。

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