紀元曙光(27)

2006/07/21
更新: 2006/07/21

【大紀元日本7月21日】サッカーW杯の幕が、熱狂のうちに降ろされた。しかし、決勝戦でフランスの主将ジダンが頭突きで退場処分となり、その余韻は依然として残っている。

ジダンが異常な行動をとったのは、イタリア選手マテラッツィの「自分の母や姉を深く傷つける」言葉に挑発されたからだという。一進一退の攻防戦、波乱万丈の瞬時勝敗、戦略戦術の深謀遠慮など、機略の満ちるスタジアム。そこは一風変わった戦場だ。ジダンは惜しくも相手の術策にはまり、終戦間際に戦場を後にした負傷者となった。

最優秀選手にも選ばれたが、有終の美にいささか遺恨を残した。「もしもう少し耐えていたら」、人々は悔しがる。1、2回目は耐えたが、3回目で我慢できなくなった、と彼は心情を吐露した。忍耐が彼の限度を超えた瞬間、その微笑みも消え、大爆発した。ジダンにして「士は殺すべし、辱しむべからず」(『礼記』)としたようだ。

中共が法輪功を弾圧して、今日7月20日で丸7年。3ヶ月で決着をつけるとしたが、7年経った今も征服できない。これまで、監禁、洗脳、拷問、虐殺、性的嫌がらせ、レイプ、臓器狩りなど、手を尽くしてきた。しかし、絶滅させるのが不可能にしても、いくら挑発してもそれに乗らない。もうお手上げだ。

一方、7年来、法輪功学習者はいかに侮辱され、虐待や暴力を受けても、微塵も揺るがず、終始「真・善・忍」をもって対応するのみだ。彼らは真心をもって真相を伝え、善なる心でさまざまな苦難の中で耐えに耐えてきた。もし、法輪功学習者が一度でも一矢を報いる暴力的な行動をとったならば、とうに中共の術策にはまってしまっていただろう。

「一度二度ならよいが、再三再四してはいけない」。この中国人の忍耐観は、東西を問わず人類に共通しているようだ。「士」たる者は往々にしてこの「再三再四」という手裏剣に倒されるのだ。一方、昔は「股くぐり」した韓信、今は法輪功学習者という「大我慢者」もおり、高雅な境地を見せている。しかし、「大我慢者」を前に、われわれは、傍観や評価するより悲劇の張本人である「機略」の作動を防止すべきではないだろうか。

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