社会対立の緩和を試みる胡・温政権の和解策

2007/08/23
更新: 2007/08/23

【大紀元日本8月23日】中国当局の第17回全国人民代表大会(略称・全人代)を前に、党内外から様々な批判の声があがり、各種の対立が日増しに突出している。最高指導部の情報筋によれば、胡錦濤・主席と温家宝・総理が率いる胡・温政権は、和解策を打ち出し、国民の不平不満を緩和させ、難関を乗り越えようとしているという。また、中国問題の研究者は、「いま、中国の最大かつ最も重要な問題は、法輪功への弾圧問題」と指摘しており、弾圧を主導する江沢民・前主席が率いる残存の抵抗勢力は、胡・温政権の和解策を実行する上で最も大きな障害物であるという。

香港メディアはこのほど、「第17回全人代を前に、党内関係者は相次ぎ胡錦濤・主席と温家宝・総理に書簡を進呈、各自の不満と論点を訴え、今回の全人代で解決を望んでいる」などと報じている。

その報道によると、党内の論点は主に二つに分かれている。一つは、社会主義の道への回帰を強く主張し、さもなければ、共産党と国の存続が脅かされる大規模な社会動乱が起きると警告している。すなわち、経済改革を中止し、政治と経済は毛沢東路線に戻す。もう一つの論点は、今一番の急務は、政治改革を実施すること。さもなければ、不健全な経済発展は、さらに大きな病に見舞われる。すなわち、政治改革を同時に行い、民主を導入するという見解である。

香港メディアによると、一つ目の論点を保持しているのは、元部長クラスの中央幹部17人、軍の上将28人、その他の引退した高級幹部などである。彼らは政治、制度、経済、社会、対外政策、対台湾政策などの6つの方面から立証し、現行政策は15の方面において、危機をもたらすと指摘し、是正しなければ、「党が破滅し、国が崩壊する悲劇が発生」と警告した。一方、政治改革を求める声は、胡啓立(1987年11月から1989年6月から中央政治局の常務委員を務め、1989年の大学生民主運動「天安門事件」に同情的な態度を示したため、失脚した)、王光英(1998年から全人代常務委員会の副委員長を務める)、陳錦華(全国政治協会の副会長、中国企業家協会の会長)などが最も強い。

10月に開かれる予定の全人代を前に、中国はまさに各勢力の競い合いが最も激しい時期に差しかかっている。胡錦濤・主席と温家宝・総理の出方が注目され、今大会が歴史的な転機となり、中国社会の発展を推進することが期待されている。政権内部の情報筋によると、胡錦濤も一連の和解策を通して、社会の対立を緩和させ、難関を乗り越えようと試みている。

中国の軍事博物館は最近、展覧会「国防と軍隊建設成果展」を開いた。「十大建国元帥」の展示ブースでは、林彪の写真があった(※)。今回の展示は、1971年の逃亡死以来、林彪が初めて評価された。

政治評論家・陳破空氏は、「常勝将軍」「戦争の神」と呼ばれていた林彪は、実は人柄がよく、優れた才能の持ち主であるとみている。「中国共産党内部において、毛沢東、林彪の両者は共に政権を左右する重要人物であったが、2人の性格、人格、人生観などの各方面は完全に異なる」と指摘し、「毛沢東はマルクス・レーニン主義の崇拝者だが、林は、孔孟の道を鑑みて、『個人の私欲を抑え、礼を重んじる』との信条を堅く守る。毛は、私生活が贅沢三昧かつみだらで、凶悪極まる人間であるが、林は自分を厳しく律し、清廉な政治を行い、公私混同しない倹約家だった。毛は部下への振る舞いは非常に乱暴で、恣意に罵倒するが、林は寛容かつ慈悲で、部下に敬愛されていた」と分析した。

陳氏は、「胡錦濤・主席は、このように言葉ではなく、行動で林彪の名誉を回復した。その控え目なやり方は、人の心を掴むためである」と指摘、「中国共産党内において、林を尊敬し、毛を嫌う政権関係者が多くいる。林が最高指令官を務めた第四野戦軍の将官らは、長垣xun_ネ来、心中で不平不満を溜めていた。胡錦濤のこの行動は、毛沢東と_deng_小平に不満を持つ政権関係者を丸め込む作戦であり、胡・温政権が党と軍における地位を一層強化させた」との見解を示した。

また、これまでに、江沢民・前主席と、元国家主席・楊尚昆(故)とその一族の不仲説が流れていた。米国人投資家・クオンの著書『江沢民伝』英語版(The Man Who Changed China:Life and Legacy of Jiang Zemin)は、江沢民と楊尚昆一族の摩擦を言及した。楊は江沢民の政敵であり、その死は、江沢民とその腹心・曾慶紅の謀略と関連するとの噂も流れている。

7月20日、元国家主席・楊尚昆(故)の生誕100周年に際して、胡・温政権は全国範囲で大々的に記念運動を行い、胡錦濤は、楊尚昆を「真理を追求し、自己を厳しく律し、公正である」「団結を守り、大局を重んじ、原則を守る」「国民はその高尚な思想品格を見習うべき」などと讃える談話を発表した。権力争いしている江沢民の残存勢力をけん制するためと受け止められている。

また、国内の学者は、「1989年の6・4天安門事件以前に、楊尚昆は一貫して当時の趙紫陽・元総書記(大学生らを理解する姿勢を示し、武力弾圧には反対)を支持していたが、後に、大学生への武力弾圧を支持した。その後、90年代の初めに、楊は6・4天安門事件の大学生に名誉回復すべきであると主張し始めた」と説明。今回、胡錦濤が第17回全人代開催前の最も敏感な時期に、楊尚昆を大々的に記念する動きについて、外部は、中国当局の政策変化を連想している。

中国当局の政府誌『炎黄春秋』2007年第7期目は、田紀雲・元副総理が書いた、故・趙紫陽・元総書記を高く讃える文章を写真付きで掲載した。1989年、学生らが政治改革を求める民主運動に理解を示し、武力弾圧に反対したため、当時の総書記だった趙紫陽は政権から全面的に退けられ、_deng_小平・江沢民の命令により、2006年はじめに亡くなるまで、自宅に16年間軟禁されていた。この間、中国当局が趙紫陽を公で評価するのは、一度もなかった。

国外の中国問題の専門家は、「胡・温政権が打ち出しているこのような一連の和解策は、エッジ・ボールに過ぎず、中国が抱えている社会問題の本質に触れていない。いま、中国で最も怒りが蓄積し、恨みが強く、範囲が広く、国際社会で圧力を受けているのは、法輪功問題である。約1億人の民衆が法輪功への迫害に巻き込まれている」と指摘し、国際人権団体などは、五輪と人権侵害が同じ国で同時進行してはならないと再三に呼びかけ、法輪功への迫害の停止を強く求めるグローバル人権聖火リレーも開始したことなどを挙げ、胡・温政権が法輪功問題を避けては通れないとみている。

江沢民派は法輪功への集団弾圧を発動・指揮してきたが、国際社会が「江沢民を法的裁きにかける」と強く訴えている中、江沢民の残存勢力は必死に抵抗しているが、法輪功問題への対応は、胡・温政権が社会の調和を実現できるかどうかを決める最大の難関である。

(※)(林彪は1969年に副主席となり、毛沢東の後継者として公式に認定されたが、後に毛がその野心を疑い始めた。1971年9月、南方視察中の毛沢東が林彪らを批判、これを機に林彪は毛沢東暗殺を企てるが失敗、1971年9月13日に、旅客機で国外逃亡を図ったが、モンゴルで墜落死した。燃料切れとの説と、逃亡を阻止しようとした側近同士が乱闘になり発砲し墜落したとの説と、ソ連が入国拒否した為ミサイルで撃墜された説がある。死後の1973年に党籍剥奪。林彪事件には今なお謎が多い)

(記者・文華、翻訳/編集・叶子)

 

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