日本人の対中国観

2007/11/14
更新: 2007/11/14

【大紀元日本11月14日】戦後既に半世紀以上が経ち日本人も国際化の道を歩み、偏狭な愛国主義も往時と過ぎ、以前程は肩肘を怒らせて外国人に接するような雰囲気もなくなり洋行や舶来なる言葉も死語になって久しい。戦後の一時期は米国への憧れや劣等感も重症ではあったが、時間が経つにつれ米国の偉大さと欠点を等身大で見るようになった。欧米程ではないにせよ国際化の波にも乗ったのであろう。一方、隣国の中国については情報不足もあってか未だに日本人の対中国観にはコンセンサスらしいものが出来ていないようだ。ここ数十年中国と付き合って来た人々の中にも、心のどこかに日中戦争の贖罪意識を持つ人達もいたし、欧米での豊富な経験を持ち中国業務にも精通した人達もいる。心底中国が好きな人達も多いし中には昔の友好商社のように本音はともかく建前として中国については全てを善とし中国人に日本の悪口を言って恥じぬ人達もいる。日本は民主主義国家であり百人百様の考え方があって然るべきであるが、名実共に中国人から尊敬され一目置かれる人達もおれば、そうでもない人達も少なくない。中国人のなかにも立派な人達が多いし、悪人もいる事は間違いのない事実であろう。

北京を筆頭に沿海省市の都市や近郊の発展が目覚しい反面、内陸の農村における三農問題は極めて深刻であり黄土高原ともなると近代化には程遠い状況にある。米国ですらニューヨークだけを見て判断すれば間違うように中国も近代化された部分だけ,或いは内陸部の農村だけを見て全体を判断すると間違った結論になろう。中国は巨大な国家であり体制も違う。限られた情報から全てを類推すれば管見になり、さりとて全て中国側の発表に全て同調するのも如何なものか。 矢張り個々の見聞や中国に関する限り遠慮の過ぎた若しくは偏向したマスコミの情報であっても極力客観的に咀嚼して判断するほかはない。つまり眼光紙背に徹するよう心掛けたいものである。

中国の情報について特に目立つのが中国当局による徹底した情報操作である。残念なことに中国当局の統制が全ての分野に及び、その公式発表のみで外国人が全てを俯瞰して評価するのは至難の技である。その結果,貿易でこそ切っても切れぬ関係にあるが、反日デモとか、日本の経済水域に隣接する海底ガス資源開発或いは日本の国連常任理事国への反対等も含め、日本人の中国への見方には、漠然とではあろうが警戒心や反感を持つ人も多くなった。一方,中国でも偏った教育の結果や当局の誘導の結果なのか日本に対する反感が異常に強いと聞く。中国人は最早政府の見解に重きを置かないらしいが、こと反日については例外のようだ。中国当局の情報操作にもそれなりの理由と戦略もあるのだろうが困ったものである。

筆者の世代では幼い頃から,よく先輩達から日本人は直ぐ感情を顔に出すが中国の大人(たいじん)は懐が深く軽々には感情を表に出さない、例え腹の中では激怒していても柔和な顔で応対するだけの度量を備えているとよく聞かされたものである。おそらく若者に島国感情に流されぬよう誡めたものであろうし、男は不言実行や「沈黙は金なり」を旨とすべしと聞かされて育ったのであるが、実際に欧米のビジネスマン達と交渉する段になると、どうも先輩達の忠告は日本でしか通用しないものだと実感する事が少なくなかった。事ほど左様に国情や民族性により人間の社会は多様なあものであるが、中国についてはどうしても一衣帯水とか同文同種と言う先入感が邪魔をするのか、誤解を生じる場合が少なくない。率直なところ中国人の物の考え方は日本人よりむしろ米国人に近いのではないかと思うことが多い。勿論、これは決して優劣の問題ではなく飽く迄考え方の問題である。

古来、日本人にとって中国は昔から憧れと脅威の国であった。それは聖徳太子の遣隋使の時代から今に至るまで左程変わってはいない。むしろ、ここ百年程が例外的な期間であったろう。中国の経済発展の結果、所得の格差が異常な程広がり、中には世界的な水準で富豪とされる人達も多いらしい。その中には紅色富人とか言う国家財産の民営化で巨利を得た共産党幹部や子弟の一族も少なくない由である。元々、中国人は勤勉な人達であり、富豪になっても衣食住について貧乏な頃の生活パターンを維持し更に金持ちになっていくとか、大勢が重い物を一緒に持ち上げようとすると誰も力を出さない等、毀誉褒貶もあったが、立派な人も多いし悪人がいるのも他国と同じであろう。にもかかわらず、我々日本人が等身大で見ず、極論すれば偏見を持っていた事は事実だろうし、一方,中国でも「東洋鬼」とか「日本鬼子」という言葉は今も生きているのだろう。我々も幼い頃「鬼畜米英」という親から教えられたスローガンには何の不信感も持たなかった世代である。日本人が中国を支那と呼んだのも元々秦の名称が淵源であり、今もサウスチャイナシーを南支那海と訳すが決して蔑称ではないのだが如何なものだろう。福田首相が相手の嫌がる事はしないというのも分からぬではないが、中国当局も同じように態度を改めて欲しいものだ。

好き嫌いは飽く迄個人の判断によるが、隣国であり御互いにもう少し胸襟を開いた関係になりたいと思うのは何も筆者だけではなかろう。国益は大切なものであることは論を待たないし時として国益が近隣諸国と摩擦を生じる事も事実であるが、今やボーダーレスの時代である。人種の違いはあっても同じ人間である事に変わりは無い。当局が内憂を外患に摩り替える姑息な方策を採ったところでインターネットが普及し情報が駆け巡る時代には長期的には通用しない。民は「お上」が思うほど馬鹿ではない。中国当局もそろそろ精神的鎖国を断念して民主主義国家への道を歩み自由世界に伍して貰いたいものである。軍備についても近隣諸国に脅威となるような施策さえ中止すれば日中関係はもとより近隣諸国の疑惑も解け、良好な関係が築けよう。さすれば日中両国間の懸案も着実に改善しようというものだ。ひいては日本人の対中国感も本来の姿に戻るのではなかろうか。何事も片思いでは長続きしない。人民元の交換レート共々、中国当局に真の親民政策と本音の善隣外交を期待したいものである。そうしてこそ中国は真の大国となるのではなかろうか。

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