助教授、公開状発表で降格=南京師範大学

2007/12/12
更新: 2007/12/12

【大紀元日本12月12日】中国共産党第17回党大会後、中国民主同盟メンバー、南京師範大学の郭泉・助教授は、中国政府に公開状を4回提出したため、12月6日に南京師範大学に授業停止を告知され、資料整理係に降格された。

郭泉氏は取材を受ける時に「私の公開状が憲法と教師法に違反したという理由で、学校は私を授業からはずした。今の仕事は資料員整理だ」と述べた。

今回学校側が一方的に彼を授業から外したことに関して、郭氏は「僕は多党、民主、民生を主張した。しかし共産党の指導が現行法律の基本となる。従って、僕は反党と言われて、教授手当てがなくなり、基本給しか残ってない。月収は何千元も減少した」と説明した。

中国共産党17回党大会後、中国知識人の間で公開状ブームが現れ、汪兆継氏の公開状に引き続き、11月14日に郭泉氏も中国共産党新指導部の胡錦涛と呉邦国宛てに初めての公開状を提出した、「国民全体の福祉をもとに多党選挙の民主政体」を提案した。その後、中国石油、中国石油化学にリストラ(中国式のリストラは退職金や保障金なしの解雇)された59万労働者の権利保護と「犯罪者への強制労働教養」制度などために、再び、公開状を提出した。三度目の公開状は中国工商銀行の「リストラと効率アップ」や「改革政策」の中で、犠牲された13・.8万人の従業員のために踏み切った。12月5日、郭泉は中国各地軍人退役後の生計問題と軍隊国家化問題について四度目の公開状を出した。

郭泉は、1968年生まれの男性。中国民主同盟メンバー。国有企業の幹部、南京市政府経済体制改革委員会秘書、裁判所幹部を歴任した。1996年に南京大学社会学部卒業、法律学修士。1999年に南京大学哲学部を卒業、哲学博士。1999年~2001年南京師範大学文学オーバドクター。

2001年にオーバドクターとして卒業後、教員として学校に残った。助教授として、大学院生の指導を担当。文学院の大学院生クラス担任、通信教育事務室主任、学院長補佐、南京師範大学の文学院学報編集部主任などを歴任。南京大虐殺研究センターの非常駐研究員。

(翻訳/侍傑)
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