<香港国安法>新出先機関のトップ、かつて広東省「民主の村」を弾圧

2020/07/07
更新: 2020/07/07

中国当局は7月3日、「香港国家安全維持法」に基づき香港に設置した当局の出先機関「国家安全維持公署」の署長に、広東省「民主の村」の村民による抗議活動を鎮圧したことで知られている鄭雁雄氏を任命した。鄭氏が今後、強硬的な手段で香港のデモ参加者を抑え込んでいくとの見方が広がっている。

鄭氏は1963年生まれで、広東省汕頭市出身。1984年、同省の広州中医学院(広州中医薬大学に改名)を卒業した。同氏は医療活動をせず、同校で政治補導員として勤務した。その後、共産主義青年団(共青団)の幹部として、省の共青団委員会に入った。1998~2002年まで、共産党機関紙・人民日報の華南支社の事務局長を務めた。広東省共産党委員会政策研究室の副主任も担当したことがある。2005~13年までは、同省汕尾市党委員会副書記、代理市長、市長、市党委員会書記などを歴任した。2011年以降、鄭氏は、烏坎村の大規模な抗議デモに対応した。

発端は、2009年に同村の幹部が私利私欲をむさぼるため、無断で村の土地を不動産開発業者に売却したことだ。村民は複数回、村政府や汕尾市政府に対して、土地売却を撤回するよう陳情した。しかし、当局に対応してもらえなかったため、若い村民20人余りは、2011年9月21日に大規模な抗議デモを発起した。当時、村の人口の約半分にあたる約5000人の村民がデモに参加した。村の幹部が行方をくらましたため、同年9月23日、村民が自発的に選挙を行い、臨時代表理事会(以下は理事会)や村の婦人代表連合会、青年団を立ち上げた。村が、中国国内で唯一の民主主義が実践された地方自治体となったことで、世界各国に注目された。理事会などは引き続き、汕尾市当局との対話を求めた。

2011年12月、汕尾市トップだった鄭雁雄氏は、烏坎村の村民が「海外勢力やメディアと結託した」として、村の臨時代表理事会などを「違法組織」と認定し、取り締まる方針を示した。12月9日、同理事会の副会長を務めた薛錦波氏を含む村民5人が拘束された。この5日後に薛氏は拘置所で急死した。遺族によると、薛氏の遺体には暴行の傷跡が多数あったという。

薛氏の死をきっかけに、村民らの反発が一段と強まった。同年12月18日、村民と警官隊が激しく衝突した。警察当局は、村へ通じる道路を封鎖し、物資の輸送を禁止した上、水道や電気も遮断した。

広東省党委員会が同年12月20日、烏坎村民の要求に応じると示唆した後、鄭雁雄氏は態度を軟化させ、土地を強制収用された村民に対して賠償金の支給、または土地の返却、デモに参加した村民を厳罰しないと約束した。しかし、その一方で、鄭氏は、村民間の対立を煽り、若い村民の激しい抵抗に反対した村の党員、林祖鑾氏を村の党委員会書記に就任させた。

2016年6月17日、鄭氏が5年前に約束した土地の返却を実行していないとして、村民は林祖鑾氏らを説得して、抗争の再開を計画した。しかし、6月18日、地元警察当局は突然、収賄罪の容疑で林氏を拘束した。20日、林氏の孫も逮捕された。21日、林氏が犯行を認めた「テレビ自白」が放送された。同年9月13日、村民は、林氏が3年の有期懲役を言い渡されたことに反発し、大規模なデモを行った。当局は、千人以上の警官を村に派遣し、催涙スプレーやゴム弾を使用して鎮圧した。村民と警官隊は激しく衝突し、村民50人以上が負傷した。当時、村民によると、およそ100人が当局に拘束された。

2013年以降、鄭雁雄氏は、広東省党委員会宣伝部常務副部長、省党委員会事務局長、省党委員会常務委員などのポストに次々と昇進した。

烏坎村の元村民で、米国に亡命した荘烈宏氏は7月4日ツイッター上で、鄭雁雄氏について「中国共産党の傀儡(かいらい)だ」と非難し、「香港市民は、烏坎村民と同じように弾圧される」と懸念した。

香港の事務に関わったことのない鄭氏が、烏坎村の集団抗議を抑え込んだ手腕を買われ、香港の出先機関のトップに任命されたとみられる。当時、烏坎村のデモ活動を計画した主要メンバーは村の若い住民だった。2019年に始まった香港の民主化活動の主な参加者も、学生や若い市民だった。また、鄭氏は、人民日報の華南支社や広東省党委員会宣伝部の幹部を務めたことがあり、プロパガンダ工作や思想教育にも経験を持っていることが署長に選ばれた理由の一つだと考えられる。

香港に住む時事評論家の石山氏は、「香港市民は欧米の自由・民主主義の影響を強く受けており、中国共産党の洗脳や文化大革命を経験したことがない。正義のために命を捨てるという中国の伝統的な考え方を持っている香港人が多い。鄭雁雄氏が強硬的な手法で香港人を屈服させるのは難しいだろう」との認識を示した。

(翻訳編集・張哲)

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