「自由は死せず」板垣退助が警告した社会主義の台頭【20世紀の記憶】

2022/09/30
更新: 2022/10/21
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明治維新の元勲の一人である板垣退助(1837~1919)は土佐人である。

身分差を問題としない人格

同じ土佐出身の坂本龍馬(1836~1867)とは同年代である。ただし、龍馬は暗殺により短命であったため、20世紀はもちろん、明治の世も目にすることはなかった。

土佐藩は、藩祖・山内一豊の時代から、同じ武士であっても上士と郷士(下士)という厳格な身分差を設けている。板垣退助は上士であり、龍馬は郷士であった。

ただ、当時は乾(いぬい)姓であった板垣退助は、そうした藩内士族の身分差を越えて広く交友できる人間であった。

明治のはじめ、日本初の近代政党である自由党の党首となり、帝国議会開設を視野に入れ、四民平等をふくむ自由民権運動の中心となった板垣退助の快活な人柄は、こうした青少年期の思想からも伺われるだろう。

犯人を許した「板垣の武士道」

1882年(明治15)4月6日、自由党総理として全国を遊説中の板垣退助は、岐阜で演説したあとの帰途、自由民権思想に反対する暴漢に襲われた。

「国賊、覚悟!」。そういって飛びかかった暴漢は1人。凶器は短刀である。
板垣は、若いころに練磨した柔術で防戦したが、体に7カ所の傷を負った。命に別状はなかったが、大久保利通が明治11年に紀尾井坂(実際は清水谷)で暗殺されたように、死の危険を感じたことは疑いない。

その際、襲いかかった暴漢に向かって板垣が一喝したとされる言葉が、有名な「板垣死すとも自由は死せず」である。

もちろん実際の言葉通りではなく、当時の新聞によるデフォルメが加えられている。ただ、卑劣なテロリズムに対する板垣の毅然たる態度を象徴するものとして、ほとんど芝居がかっているものの、この言葉は歴史のなかに定着した。

なお、凶行に及んだ犯人は、板垣自身が助命嘆願したため死刑にはならず、無期懲役となる。

さらに、明治帝へはたらきかけた板垣の尽力により、事件から7年後の明治22年、恩赦をうけて釈放されている。刺客にも義あり、と見たのだろう。板垣退助は、そうした武士道の人であった。

後日談であるが、釈放された相原という犯人は、自身の過ちを知って改心し、なんと板垣退助のもとへ謝罪に訪れている。板垣は、相原に向かってこう言った。

「君は、心より国を思うからこそ事をなしたのだろう。私に謝罪するには及ばない。ただし、もし私が今後、国の行く末を誤ることがあったら、そのとき君は再び白刃をとって、私を殺しなさい」

安倍晋三氏による揮毫「板垣死すとも自由は死せず」(パブリックドメイン)

 

板垣が発した警世の言

板垣退助が82歳で病没した1919年(大正8)は、世界の近代史において重要な意味をもつ。

同年3月2日、モスクワでコミンテルンが創立。これにより、ロシアの十月革命(1917)から世界各地で展開された国際共産主義運動の中心となる指導組織が生まれたことになる。時を同じくして、東欧では社会主義政権の国が次々に樹立された。そして1922年、それらの国を、鷲が獲物を掴むように束ねるソビエト連邦ができる。

これに至るまでの20世紀初頭は、日本や中国など東アジアをふくむ世界各地で、マルクス・レーニン主義による国際共産主義が盛んに宣伝された時代でもあった。

マルクス主義によると、社会主義とは「資本主義から共産主義へと続く第一段階の社会体制」なのだという。そう考えるのは自由だが、なぜかマルキストは、やたら生物学の進化論を引用して「社会も、必ずそうなる」と決めつける。彼らの思考からは、理屈では測れない個別的な「こころ」をもつのが人間であるという常識が、そっくり抜け落ちているのだろうか。

20世紀になり、すでに晩年の板垣退助は、その先見の明をもって、にわかに台頭してきた左翼思想の危険性を察知し、実に的確な警世の言葉を残している。
以下、原文は文語体であるが、その概要を現代語で記す。

私(板垣)が一君万民、四民平等を理想とするのは、それが日本の建国時の体制であったからである。ここで言う「平等均一」とは「権利の平等均一」を指すものであって、社会主義者の言う「生活の平等均一」を指すものではない。

人間には、それぞれ違いがある。それにより、生活水準も違ってしかるべきである。ところが、社会主義はこの自然の摂理に反して「平等」と「共産」を前提条件としている。唯一「労働」を条件として、社会すべての生活を平等均一にしようとしているのだ。

では、社会主義者の言うように「全国民の賃金を均一にした」と仮定しよう。本来労働の多寡によって、賃金は変動するものである。それが均一にされたならば、誰が勤勉に働くだろうか。

結果として競争原理が働かなくなり、日ごとに社会は衰退する。文明の発展や個人の自由は阻害され、自分で考える事すらできない動物のように、社会主義の牢獄に閉じ込められるだろう。このように、個人の自由を阻害し、無理やり生活を平均化させるような社会主義は、我が自由党の唱える自由主義とは正反対なのである。
(引用以上。要約は引用者による)

社会主義は「国家を滅ぼす破壊主義」

『社會主義の脅威』という仮題がつけられたこの原文はかなりの字数で、どの部分も短縮することが惜しいほど含蓄のある一文になっている。

明治の世は去り、大正デモクラシー盛んな頃。自由主義(リベラリズム)の仮面をかぶり、「言論の自由」を盾にとりながら左翼思想を浸透させようとしていた若僧たちに向かって、明治維新の生き残りの古武士であった板垣退助が激怒し、一喝したのがこの文章であった。

その文章の終り近くに、「予が社會主義を以てそれ自身が既に一個の破壞主義なりと爲す所以(ゆえん)は實に茲(ここ)に在り」とある。

人間を絶対平均化することによって、個人の努力を無意味にする仕組みは、必ず社会を衰亡させ、国家を滅ぼす。
それゆえに、「予(私)が社会主義そのものを、すでに一種の破壊主義と見なす理由は、まさにそこにあるのだ」という板垣退助の、明快かつ見事な論破である。

しかし周知のように、「個人の自由は阻害され、自分で考える事すらできない動物のように、社会主義の牢獄に閉じ込められる」という板垣の予言は、この後まもなく台頭するソ連や中共の中国において、まさしく20世紀の悪夢となって的中した。

”板垣死すとも自由は死せず”

故・安倍晋三氏も生前に揮毫したこの言葉を、21世紀の私たちは、どう受け継ぐか。

絶えず変異するウイルスのように、共産主義は不可視化して今も存在する。その悪魔思想の浸透は、板垣退助が懸念した百年前よりも深刻な、現代の課題でもある。