福島での風評被害の拡散 なぜ止められなかったのか

2023/03/27
更新: 2023/03/25

今春から東京電力福島第一原子力発電所では構内にタンクで貯められている処理水の海洋放出が行われる予定だ。廃炉と復興を進める上で避けられない取り組みだ。それにもかかわらず、10年近く水が貯められ問題になってきた。

「少数意見に当事者が配慮しすぎて解決できない」。この問題を観察すると、日本で繰り返される状況が見えてくる。

「海に流す」は10年前から提案

私は福島第一原発を3回取材し、最後の訪問は2016年だった。その際、敷地が処理水を入れたタンクで埋め尽くされていた。訪問当時のタンクの数は約700基だったが現在は約1000基に増えている。タンクは高さ8メートル前後の巨大なもので、東電は明らかにしていないが建設費用は1基数億円と推定される。

この処理水は人体には無害だ。事故直後の原子炉の冷却のために使った海水、またその後に流れ込んで地下に漏洩した放射性物質に触れてしまった汚染水などを取り出し、放射線多核種除去設備(advanced liquid processing system、ALPS)によって放射性物質を除去したものだ。処理水と切り離すことが難しい放射性物質のトリチウムが残っている。しかし、この物質は人体に影響はなく、これも海洋放出時には国の定めた安全基準の40分の1(WHOの飲料水基準の約7分の1)未満まで希釈する予定だ。

この処理水については、同原発に接する海に放出するのが、もっとも簡単な解決策だ。これは10年ほど前から関係者の間で言われていた。しかし、なかなか実現せずタンクを建設し続ける手間と費用がかかってしまった。

決定が遅れた理由の中心は、問題を取り巻く「空気」に行政・政治が萎縮し、動かなくなってしまったことにある。地元は風評被害を心配した。そして県外から健康被害の懸念を繰り返す人たちがいた。そうした声に、行政・政治が影響を受けてしまった。その他に地元の漁業者への補償問題などもあるが、それはこの寄稿では省略する。

正しい解決策は採用されないことも

私は記者として、福島原発事故をめぐる問題で、2011年の事故発生直後から、放射能によって健康被害が起こるというデマを批判してきた。これは社会を混乱させ、不安を広げ、福島の復興を妨げる。国連科学委員会(UNSCEAR)はじめとした複数の国際機関が「東電原発事故では現世代でさえ放射線被曝による健康影響は無く、将来も考えられない」との結論を出している。実際に2023年になっても事故の影響による放射線被害はない。

こうした放射能によるデマと戦う際に、私は当初、正しいことを言えば、世の中は動くと思っていた。しかし、実際のリスクコミュニケーションは、そんな単純なものではなかった。正しいことを言っても話す人に信用がなければ聞いてもらえない。どんなに簡単に話しても理解されないことがある。考えを変えてもらえることもあって、正しいことを話し続けることは無駄ではなかった。

しかし「争いを続け、誤った情報を提供することで、利益を得る人たち」がいたことには苦労をした。

争いで利益を得る人たちが存在する

「争いで利益を得る人たち」とは、全体から見るとごく少数だが、次のような人たちだ。一部の反原発派は放射能への恐怖と自らの運動を結びつけようとした。選挙活動に使おうとするいくつかの左派政治団体があった。数は限られるが、法曹関係者の中には、健康被害への可能性を訴えて、訴訟を有利にしようとする動きをした人がいた。科学的には証明されていない健康被害の情報を提供することで、目立とうとするメディア・報道関係者も少数ながらいた。そうした勢力に釣られて、一時的に同調する、特定の政治運動・反原発運動の支持者、特定新聞の読者などもいた。

もちろん、政治家であろうと、法曹界であろうと、メディア関係者であろうと、全てがおかしな人たちだと、主張するわけではない。しかし、私はごく少数だがそうした「争いで利益を得る人たち」に福島の放射能問題で、何度も出会った。そしてこうした人は、少数でも声が大きく、自らの利益のために繰り返し続け、政治やメディア工作をするので、状況を混乱させてしまった。日本社会を頻繁に動かす「空気」というものを作る一因になった。

国レベルでも問題のある行動をする人たちがいる。3月22日に中国の習近平国家主席は、ロシアを訪問してプーチン大統領と首脳会談をした。同日発表の共同文章で「日本の汚染水の海洋放出による海洋汚染を懸念」と言及している。処理水の海洋放出を韓国の左派政治団体が批判しているが、3月15日付の朝日新聞の記事では、北朝鮮がこれを指示しているとの韓国公安当局の分析を伝えている。日本の処理水放出はIAEA=国際原子力機関の査察も受けており国際基準を満たしている。にもかかわらず、こうした国々が処理水を取り上げるのは日本への嫌がらせに過ぎない。

こうした人の多くは、正しい情報を提供しても、他人の意見など最初から聞いていなかった。そして何があっても意見を変えなかった。また私の正しいことを伝えようとする善意の取り組みに、「原子力推進派の手先」「政府の御用記者」という事実に反する中傷をする人たちがいた。

こうした人は騒ぎ続け、政治やメディア工作をするので、状況を混乱させてしまった。

正義の主張に、検証の声は消されてしまう

こうした「争いで利益を得る人たち」は、福島の放射能問題以外でも、社会問題解決への取り組みで必ず存在する。しかし、なぜか話題にならないし対策もされていない。触れるのを当事者がためらっているかのようだ。

大きな社会問題では、誰にも反論できない「大義名分」が発生することがある。福島原発事故では、事故を起こした東京電力と国と言う「悪」がいた。こうした「悪」を責め、「被害者を思え」と言う「大義名分」には反論しづらい。「争いで利益を得る人たち」はそれを利用することもある。こうした人たちは、正論も交えた主張をするし、自分は正しいことをしていると信じていることも多いので、さらに言い返せなくなってしまう。

このエポックメディア・大紀元が取り上げる日中関係も似た面があるかもしれない。そこには「日中友好」という大義名分がある。もちろん、それは誰でも同意する。しかし中国の軍事脅威や企業の違法行為、ウイグルやチベット、法輪功などへの中国社会の弱者への人権侵害や不当な弾圧など、今起きている問題を指摘しても、「戦争をしたいのか」「対立を煽りたいのか」と、「争いから利益を得る人」つまりこの問題では、中共政府とその関係者によって正義の名の下に糾弾されてしまうことがある。正論を潰し、最終的に争いで利益を得るのは中共政府だけだ。

金をばら撒く解決はもう不可能

こうした社会問題に、自民党政権でも地方自治体でも、おかしな向き合い方をしてきた。「争いで利益を得る人」をなだめて争わず、お金を全員にばら撒き、時間を経過させて解決してきた。この処理水問題でも同じだ。

経産省は「多核種除去設備等風評対策事業」と言う漁業補償や販路拡大、PR支援などを行う基金を運営している。これまで300億円を支出したが、2023年度から新たに500億円を投じる予定という。しかし財政難の日本でそんな大金を使う余裕も、効果もあるのだろうか。

結局のところ、風評被害を生み出す「争いから利益を得る人」の問題に対処しなければ、対策の効果も打ち消されてしまうだろう。

もちろん、実際に社会での問題で、苦しむ人の救済をする必要も、社会に広がった誤解は解消されるように努力をする必要はある。汚染水問題、福島の放射線問題でもそうだ。

しかし、これからは「争いで利益を得る人たち」の存在を直視し、そうした人たちと「戦う」ことを考えるべきだろう。つまり反論をし、相手の政治的な主張を受け入れない、無視するなどの対応をすることだ。社会問題の解決を合理性で決め、政治や感情を絡ませないことだ。日本には、こうした人たちをなだめるお金も、時間の余裕も無くなっている。福島での汚染水の放出の遅れ、復興の遅延、対策費用の増大は、これまでの政策の失敗を明確に示している。

ジャーナリスト。経済・環境問題を中心に執筆活動を行う。時事通信社、経済誌副編集長、アゴラ研究所のGEPR(グローバル・エナジー・ポリシー・リサーチ)の運営などを経て、ジャーナリストとして活動。経済情報サイト「with ENERGY」を運営。著書に「京都議定書は実現できるのか」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。記者と雑誌経営の経験から、企業の広報・コンサルティング、講演活動も行う。
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