私は、ホワイトハウスのテーブルを挟んで、中国からの渡航禁止、ロックダウン、マスク、ヒドロキシクロロキン、ワクチン、そしてブースター(追加接種)をめぐり、アンソニー・ファウチ博士と渡り合ってきた。
だが、この型に不利な証拠のなかでも、私がこれまで目にした最も決定的なものの一つが明るみに出たのは、それから6年後のことだった。ランド・ポール上院議員(共和党)が、ファウチ氏の私的なパンデミック日記を公開したのである。
公開された日記には、2021年8月15日付の記述があった。当時、バイデン政権のホワイトハウスは、広範な新型コロナのブースター接種キャンペーンを開始しようと準備を進めていた。だが、密室では、ファウチ氏は問題があることを承知していた。
証拠は乏しかった。
すべての人にブースターを接種すべきだとする根拠は、弱かった。
そして政権は、国民に示すメッセージを必要としていた。
ファウチ氏はこう書いている。
「あまりに具体的に踏み込めば、データで裏づけられないために、批判を浴びるだろう」
もう一度、読んでほしい。
これは、科学の不確実性と英雄的に闘うアンソニー・ファウチ氏の姿ではない。大統領首席医療顧問が、政府が公に打ち出そうとしているブースター接種のメッセージを、データで裏づけることができないと、ひそかに認めている姿である。
しかも、さらに問題なのは、その決定がすでに動き始めていたことだ。
ファウチ氏は、自分自身とホワイトハウスの医療チームについて、ブースターを広く提供するという「発表を正当化するための一貫したメッセージをこしらえ」ようとしている、と記していた。
政策が、先にあった。
その正当化は、あとからついてきた。
そしてファウチ氏は、科学的な弱点がどこにあるのかを正確に分かっていた。
同じ日記の記述のなかで、彼は本当の問いを言い当てている。すべての人にもう一度の接種が必要なのか、それとも高齢者と基礎疾患を持つ人だけでよいのか、と。
これは、のちにいわゆる「反ワクチン派」が持ち出したような問いではない。ファウチ氏自身が、全国民を対象とするキャンペーンが動き出す前に、ひそかに問いかけていたのである。
それでもファウチ氏は、政府はいったん立ち止まり、証拠を集め、何が分かっていて何が分かっていないのかを正確に米国民に伝えるべきだ、と主張することはなかった。むしろ、そのメッセージを作り上げることに手を貸したのである。
彼自身の言葉は、致命的である。正確さは危険だった。なぜなら、正確に伝えることによって、政府の方針が「データで裏づけられない」という事実が露呈しかねなかったからだ。
以後、政府自身の科学顧問たちが、ファウチ氏がひそかに書き留めながら、公には無視していたその懸念が正しかったことを、事実上裏づけることになった。2021年9月17日、米食品医薬品局(FDA)の外部諮問委員会は、16歳以上のすべての人を対象とするブースター接種を認めてほしいというファイザーの要請に対し、16対2で反対の票を投じたのだ。
ところが、その提案が高齢者と高リスクの人々に対象を絞るかたちに変更されると、同委員会は、圧倒的多数でこれを支持した。
同じ専門家たち。同じ会合。同じ証拠。
すべての人に対しては、ノー。一方、最もリスクの高い人々に対しては、イエス。
このことこそ、ファウチ氏がひそかに見抜いていた、まさに接種推奨対象の分別だった。
では、独立した専門家たちが、彼がひそかに抱いていたのと本質的に同じ結論に、公の場でたどり着いたとき、ファウチ氏はどうしたか。
彼は、科学が本来あるべきかたちで機能したことを喜びはしなかった。
彼の日記には、自分は「失望した」と記されている。
FDAの当局者たちが、より限定的な承認へと動いたとき、ファウチ氏はそれを「重大な誤りだ」と評した。
このことこそ、この話が本当のところ何をめぐるものなのかを物語っている。
問題は、アンソニー・ファウチ氏が医学上の問いを一つ取り違えた、ということではない。科学者は、間違えるものだ。
問題は、ファウチ氏のいう「医療産業複合体」が求める政策上の結論が、科学的な証拠よりも優先され始めていた、ということである。
本来、医療上の「勧告」とはこういうものだ。これが現在分かっていることだ。これがまだ分かっていないことだ。これが考えられるリスクと便益だ。そのうえで、接種するかどうかは、本人と主治医が判断すればよい。
しかし、「強制」は違う。その製品を接種せよ。従わなければ、何らかの不利益を受けることになる。その不利益とは、仕事を失うことかもしれない。軍人としてのキャリアを失うことかもしれない。学校に通えなくなることかもしれない。あるいは、通常の社会生活を送ることさえ難しくなるかもしれない。
当然ながら、個人に選択を委ねる「勧告」ではなく、従わなければ不利益を受ける「強制」を行うのであれば、それだけ強い科学的根拠が必要になる。
ところが新型コロナのパンデミック中、ワシントンは繰り返し、その逆の方向へと進んだ。個人の事情やリスクの違いを考慮するよりも、政府が一律の方針を示し、それに従わせる方向へと傾いていったのである。
その結果、政府から発信されるメッセージは、政策が強制的になるほど単純化していった。
高齢者なのか、若者なのかという年齢による違いは、ほとんど語られなくなった。
基礎疾患がある人なのか、健康な人なのかという違いも、後景に退いた。
過去の感染によって得られた免疫、いわゆる自然免疫についても、十分に考慮されなくなった。
若い男性における心筋炎のような、すでに知られていた懸念は、「全員接種」という一律のスローガンにとって、都合の悪い厄介事となった。妊娠初期における流産のリスク。ここでの合言葉は、「Mom(母親)」ではなく、「mum(黙っていろ)」だった。
全員、ワクチンを打て。
全員、ブースターを打て。
それは、インフォームド・コンセント(説明と同意)ではない。
それは、服従である。
近く刊行される私の著書『なぜファウチは獄中で朽ち果てねばならないのか:彼の日記、私の日記、あなたの評決』は、ファウチ氏の私的な日記を、公的な記録と、そして第一次トランプ政権の内側で私が同時期に書き留めた記録と、並べて突き合わせるものである。
幾度も幾度も、「私的なアンソニー」は、「公的なアンソニー」があなたに語らなかったことを知っていた。
私的なアンソニーは、疑いを抱いていた。
公的なアンソニーは、確信を語っていた。
私的なアンソニーは、厄介な問題を見ていた。
公的なアンソニーは、スローガンを売っていた。
そして、証拠がスローガンを脅かすようになると、問題は、いかにしてメッセージを「こしらえる」か、ということになった。
だからこそ、この話は、アンソニー・ファウチという一人の人物をはるかに超えて、「MAHA(米国を再び健康に)」運動にとって重要な意味を持つ。
MAHAは、その仕組みそのものを打ち砕かなければならない。それは、従順な医学界、巨大製薬企業、迎合的なメディア、そして検閲的なテクノロジー企業に取り囲まれた一人の政府高官が、定まっていない科学を、政府の教義へと変えることを許した仕組みである。
科学には、異論が要る。
医療には、一人ひとりの判断が要る。
インフォームド・コンセントには、真実のすべてが要る。
そして、いかなる政府高官も二度と、正確な真実を国民に告げれば自分が「データで裏づけられない」ことが露呈してしまうと内心では恐れながら、その不確実性を国民から隠すことを、許されてはならない。

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