大紀元の独自研究が羅帥宇氏の転落死事件を分析、中共の技術
2024年5月8日午前8時7分、長沙市のある住宅地の監視画面に、若者が15階建ての建物の屋上から転落する姿が映った。20分後、地元の公安が現場に到着し、速やかに「飛び降り自殺」と結論づけ、立件しないと決めた。両親は当局の判断に納得せず、多額の口止め料を拒否した。息子が残したパソコンのデータを復元し、告発に関する大量の証拠を発見した。
これが、2年前に中国に衝撃を与えた羅帥宇氏の事件である。亡くなった羅氏は、中南大学湘雅第2病院の研修医だった。両親によると、羅氏は生前、病院による違法な臓器売買や、さらには生体からの臓器摘出の疑いについて告発していた。しかし、湖南省当局は全面的に否定し、自殺との結論を維持した。
この国は、世界で最も密度の高い映像監視網、基地局による位置特定、ビッグデータを用いた情報分析・指揮システムを持つと称している。それなのに、なぜ若い医師の死について、遺族や世間が納得できる結論が、今も当局から示されていないのか。
大紀元の独自研究報告書『吊燈有眼(シャンデリアには目がある:中共公安の技術捜査の内幕)』は、この事件を読み解く上で別の視点を提示した。問題は、党国家の捜査システムが真相を捉えられるかどうかではない。外部に何を見せるかを統制し、検証はさせないという点にある。
技術の目は誰のために開かれるのか
報告書『吊燈有眼』の出発点は、技術捜査は任務から始まるということだ。任務が対象を定め、任務の目的が、データをどのように抽出し、統合し、解釈するかを決める。
羅氏の事件における技術捜査の任務は何だったのか。その答えは、当局の発表に記されている。
2025年6月、羅氏の死から1年以上が過ぎ、当局は調査結果を発表した。調査は3つの方向に向けられたが、その重点には大きな隔たりがあった。
死亡した本人への調査は、最も詳細だった。なぜ自殺したのかを説明するため、当局の発表は、学年内の成績順位、医師試験の不合格、論文の未提出、就職先が決まっていなかったことを公表した。さらに、半年前の同級生との微信(ウィーチャット)のやり取りまで持ち出し、その中には「これ以上勉強を続けたら飛び降りることになる」という一言があった。亡くなった人の成績表や私的な会話を1つずつ並べ、「思い詰めていた」という人物像を組み立てた。
遺族が示した証拠には、最も厳しい調査が行われた。遺族が、録音の声は事件に関わる医師の劉翔峰氏のものだと考えると、調査担当者は声紋鑑定を行い、別の医師が通常の業務をしていたものだと説明した。遺族が臓器の出所に疑問を示すと、調査担当者は50件の提供資料を国のシステムと1件ずつ照合した。遺族が提出した証拠は全て、個別に「退けられた」ただし、当局が示したのは結論だけで、検証できる根拠はなかった。
病院について調べたのは、1つの診療科だけだった。遺族は、なぜ病院が大学院生1人に数十万元を送金したのかと疑問を呈した。当局の発表は、診療科が実際に報奨金をいったん大学院生の口座に振り込み、その後、看護師長に送金させていたと認めた。羅氏の口座を経由した金額だけでも30万元を超えていた。学生の口座が資金の中継に使われていたにもかかわらず、結論は「管理が不適切だった」にとどまり、4人が内部処分を受けた。この方法に何人の学生といくらの金額が関わっていたかについて、発表は一切触れなかった。
評論家の李錚鳴氏は、大紀元の報告書がこの点を「政治的利用」と呼び、的確に解説していると分析した。
公安がこの事件に介入した際、任務の目的は真相の解明だったのか、それとも「生体からの臓器摘出」に関する世論の広がりを防ぐことだったのか。外部は任務そのものの記録を入手できず、判断できない。しかし、避けて通れない事実がある。この3つの調査を並べると、論理が逆転している。死亡した本人の私生活は徹底的に掘り返され、遺族の証拠は細部まで調べられた一方、唯一、問題が確認された病院への調査が最も浅かった。李氏は、羅氏の事件における複数の事実が、報告書の判断基準に合致すると指摘した。
技術捜査の「不可視化」が当局の説明への反論を困難に
大紀元の報告書は、党国家の技術捜査能力が形成される過程を、5段階の転換に分けている。最初の4段階は捜査能力を生み出すものだが、第5段階の「不可視化」が扱うのは、責任と検証の問題である。元の録音、映像、位置情報、電子データは、取り寄せ、整理、分析を経た後、最終的に世間に示される際には、要約と結論だけになっていることが多い。元の資料を外部が独立して照合できなければ、文書に記された結論への反論は難しくなる。
監視映像、現場検証、電子機器の複製データ、158件の録音、通信記録、声紋鑑定、臓器提供資料まで、事件の結論を左右し得るほぼ全ての中核資料を、調査機関が握っている。世間が目にするのは発表の要約と結論であり、独立して再検証できる元の映像、完全な複製データ、証拠収集の作業記録、鑑定報告書ではない。機関の外にあった唯一の資料、すなわち遺族が自ら復元したパソコンのデータも、当局によって事実ではないと認定された。証拠を一方が握り、結論も同じ調査体制が出し、もう一方は選別・加工された結果しか見られない場合、生じるのは単なる情報格差ではなく、乗り越え難い検証の壁である。
パソコンは、事件全体で最も直接的に主張が対立する点だ。遺族は、返却されたデータが削除されており、復元後に告発資料が見つかったと主張する。一方、公安は、ノートパソコンとハードディスクをデータの欠損なく複製し、クラウド上の資料も抽出した上で、対面で返却する際には一切変更しておらず、バックアップにも「告発資料」というフォルダーはなかったと説明している。
李氏は、この2つの説明は同時には成立せず、判断の決め手となる証拠は公安の手元にあり、技術的な解明は難しくないと述べた。しかし、報告書の論理に沿って分析すると、当局の技術捜査は一種の「事後的な再構成」であることが見て取れるという。半年間にわたる断片的な会話、成績、試験、同室者の印象から資料を選び出し、自殺という結論につながる筋書きに並べている。
5つの非対称性が検証の断絶を生む
報告書は、可視性、記憶、誤りの是正、執行状態、責任という5つの制度的な非対称性を提示している。もともとは党国家が生きている人をどう監視するかを説明するものだが、この死亡事件にも当てはまる。
記憶と可視性の非対称性
遺族は自費でハードディスクを修復し、断片をたどるしかない。これは個人の記憶に当たる。一方、国のデータベースには全ての通信と関係者の過去の記録が保管されている。これが国家との記憶の非対称性だ。しかし、機関は当局の判断に有利な断片だけを選んで示し、元の資料のうち外部から見えない部分を内部にとどめることができる。
執行状態の非対称性
「刑事事件ではない」との判断は転落死の当日に確定し、その後の全ての手続きはそれに従って動く。末端の機関である病院、学校、葬儀施設、メディアは「決定済みの扱いだけを見て、理由を問わず」、遺族のあらゆる申し立ての経路を直接閉ざす。
責任の非対称性と検証の断絶
公安は技術資料を掌握する側であると同時に、結論を承認する側でもある。技術担当者は検査を提供するだけだと言い、事件を担当する警察官は上級機関の判断に従って発表するだけだと言う。この巨大な閉鎖的体制の中では、「違法な臓器取引や生体からの臓器摘出」と「告発者の死亡事件」について、誰1人、個人として責任を負う必要がない。
李氏は、当局の技術捜査における体系的な「非対称性」は、真相の調査にも、隠蔽にも使えると分析した。
遺族による「生体からの臓器摘出」との告発には、現時点で独立した証拠がない。一方、当局による否定も外部から独自に検証することができない。世間に残されたこうした疑問を、報告書は「検証の断絶」と呼んでいる。
報告書が示す解決策 3つの記録でブラックボックスを解消
「羅帥宇氏の事件は、決して技術の失敗ではない。監視網が存在しなかったわけではない」
李氏は、監視網は存在したが、一方のためにしか証言していないと考えている。人が亡くなると、プラットフォーム上に残された生活の記録を取り出し、その死を説明することができる。一方、生前に集めた資料は遺族が自ら復元するしかなく、同じ機関によって事実ではないと宣告される。
李氏は、この体制の最も危険な点は、必ずしも何かを捏造する必要がないことだと指摘した。元の記録を独占し、結論だけを公表すれば、誰もその誤りを証明できなくなる。
報告書の価値は、解決策の提示を試みている点にある。
付録3では、秘密裏の技術捜査を3種類の記録によって制約することを提案している。承認記録は、なぜ開始できるのか、誰を対象とし、何を使い、いつまで続けることが許されるのかを記録する。運用記録は、実際の入力、使用したモジュール、実際のデータ、閲覧・出力を記録する。結果記録は、資料がどのような判断に使われ、どのような結果をもたらし、誤りが生じた後にどう撤回するかを記録する。
李氏は、この報告書が、国際的な人権審査では立証責任を逆転させるべきだと示していると考えている。例えば、死亡した人が生前に告発に関わり、遺品のデータに争いがあり、調査対象となる側も調査に参加している場合、遺族が他殺を証明するのではなく、国家が元の記録を公開すべきだという。
「党国家の技術捜査が元のデータを意のままに不可視化できるなら、この体制の下で暮らす全ての一般市民が、生体からの臓器摘出の標的になったり、次の羅帥宇氏になったりする可能性がある」
(大紀元より転載/責任編集:文慧)
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