1959~61年にかけて中国で起きた大飢饉(だいききん)で、いったい何人が飢え死にしたのかは、いまも明らかではない。多くの歴史研究者は、その数が数千万人にのぼると推定している。
中国共産党(中共)当局はこの出来事を長く「三年間の自然災害」として説明してきたが、実際には、この三年間に大きな自然災害は発生していなかった。
当時の中共党首、毛沢東が進めた無理な政策によって農業は崩壊し、農民には実際には取れもしない量の食糧を国に納めるよう命じられた。その結果、人々は自分や家族が食べる分まで奪われ、村から食べ物が消えた。
近年、この時代を生き延びた高齢者たちが、当時の体験を語る動画がインターネット上に広まり始めている。
語られた内容は、想像をはるかに超えるものである。
食べるものが尽き、人々は木の皮や木の葉、さまざまな野草を口にした。
それでも足りず、拾い集めた鳥のふんを家に持ち帰り、鍋で炒めて食べたという証言もある。
さらに深刻だったのは、人が人を食べざるを得ない状況が生まれたことである。
餓死した我が子だけでなく、生きている子供を食べたという証言も残されている。
親が自分の子を殺すことを避けるため、隣人同士で子供を交換し、互いの子を食べ合ったと語る高齢者もいる。
では、なぜ魚を捕ったり、小動物を捕まえて食べなかったのか。
これについて、当時を経験した高齢者はこう語る。「人は飢えのあまり歩くことすらできなかった。そんな状態で、どうやって魚を捕まえたり、小動物を追いかけたりできただろうか」
墓を掘る力すら残っておらず、浅い穴を掘るのに二日かかることもあった。
今日、他人を埋めていた人が、明日には倒れている。結婚式も葬式もなく、正月もなかった。
人々の願いはただ一つ、生き延びることだけであった。
この大飢饉について、中共は長年「自然災害」と説明してきた。
しかし、生き残った人々の証言は、それが人災による悲劇であったことを静かに物語っている。
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