北朝鮮難民救援基金・加藤事務局長「私にたいする逮捕状は、平壌の対日カード」

2006/09/25
更新: 2006/09/25

【大紀元日本9月25日】北朝鮮の脱北者を人道支援し救出する日本のNPO法人「北朝鮮難民救援基金」で現事務局長を務める加藤博氏(61)は19日午後、大紀元時報日本のインタビューに応え、自らが本活動に挺身するようになった動機、ロシア極東東北部での救援活動、中国東北部での安全部による取調べなどについて語った。加藤氏の語り口は非常に静かで理性的であり、人柄は人間的な暖かみと信念の固さを感じさせるものであった。

-北朝鮮の脱北者を救援する活動に挺身するようになった動機は何か?

「私が高校1年生の1960年当時、同級生に文武両道に秀でた在日の友人がいたが、当時の日本では在日に対する差別があり、東大を出ても焼き肉屋かパチンコ屋しか将来がなかった。そのため、(北朝鮮への)帰国事業も盛んであったので、この友人に帰国を勧めた。後年「文芸春秋」の記者として1991年にシベリアの木材伐採所から逃亡した北朝鮮労働者を取材する機会を得、その悲惨な実態を知る事により、高校当時の友人のことが脳裏をよぎり、記者仲間のポケットマネーで(私的に)救出活動を始めたのがきっかけ。その後、会社を退職してから活動を本格化させた」。

-加藤事務局長は、中国東北部での活動中に中国当局に拘束されたということであるが、それはいつどのようなものであったか?

「私は、2002年10月31日に大連で拘束された。既に中国大陸に冬が迫っていたため、脱北者に冬の衣料と食糧の配給を行い、土地の責任者と協議しようと当地を訪れていた。たぶん土地の支援者の一人が公安当局に通報したのだろうが、いきなり5~6人でやってきて容疑も告げず、荷物もろとも連行された。連行したのは公安ではなく、諜報機関の安全部だった」。

-その時の中国安全部の取調べはどのようなものだったのか?

「私は、都合7日間拘留されたが、最初の一日は大連山中の拘留所で過ごし、その後に長春に航空機で移送され、取調べが本格化した。取調室は10メートル四方の大きな部屋で、私は椅子に両手と胴体を縛り付けられ身動きが全くできなかった。当局は、取調官が正副2人、書記1人、通訳1人であった。取調べは、通常朝の8時から始まり午後2時まで、再び午後4時から午後8時まで、さらに午後10時から翌日午前2時頃まで、これが連日続いた。その間、トイレに行く時しか立つことを許されなかった」。

-その間、食事は与えられたのか?

「発泡スチロールの箱の中に入ったご飯を三食出してくれたが、全く食欲は湧かなかった。あまりに食べないので通訳に注意されたぐらいだ」。

-中国における脱北者の数はどれぐらいで実態はどのようなものか?

「脱北者数はたぶん10万人位というのが妥当だろう。中国当局の取り締まりがあまりにも厳しいので、始めは朝鮮人自治区の延辺自治州にいたが、内陸に逃げ込む傾向があり、現在では河南省や浙江省など全国的な散らばりを見せている」。

-脱北の際、鴨緑江と豆満江とがあるが、どちらのケースが多いのか?また白頭山ルートもあるのか?

「白頭山ルートは聞いたことがないので、まずないだろう。二つの河については豆満江ルートの方が多いはずだ。鴨緑江は下流に行くほど水量が多く川幅も大きくなるので難しくなるだろう」。

-脱北者の動機は経済的な理由が大きいということだが、闇市の状態は現在どのようなものか?

「まず、食糧難の地域というのは咸鏡北道と咸鏡南道で、脱北者は圧倒的にここ出身の人たちが多い。平壌付近の平安南道などは、穀倉地帯なので脱北者は少ない。闇市場というのは、現在中国製品で溢れており、地元の人が買うのではなく、ここから平壌に輸送される中継地点のようになっているようだ」。

-中国当局は、「東北公正」という話を持ち出し、大同江以北の高句麗史は中国史、さらに漢江以北までもが中国史とまで主張して、朝鮮半島の領土について縁故物権を言っているようだが、これについてはどうか?

「歴史的にどうのこうのというのではなく、これが中共国家の社会科学院が発したというが、政治的なメッセージを考えるべきだ。3~5世紀に「高句麗」という国家が成立していたのは事実であり、それは朝鮮半島のみならず中国東北部にまで延びていた。ここが中国の地方政権であったとしなくては、将来朝鮮族がこのような半島統一国家になった場合に困るからこう言ったのだろう。北に眠る地下資源にも目をつけて領有権を主張しているのだろう」。

-文芸春秋の記者時分、ロシアでは具体的にどのように脱北者を救出していたのか?

「91年当時、ハバロフスク、ウラジオストックで救出していた際、シベリアの木材伐採所で働く北朝鮮労働者は、ロシアン・マフィアと結託した保安要員に酷使されていた。まずロシア現地の警察署長をモスクワ旅行に招待し、これに労働者を同行させ、モスクワ現地の国連難民高等弁務官事務所に駆け込ませる。この手法で、10人は救出した。当時、一人50ドルあれば一月暮らせた」。

-現在日本では、李・ヨンハ氏(RENK代表)、山田文明氏(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)、野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金)、そして加藤事務局長の四人に平壌から逮捕状が出ているが、これについてはどうか?

「これは、日本政府が拉致実行犯のシン・ガンス容疑者を国際指名手配にしたことと関係がある。逮捕状を見ると、朝鮮公民の誘拐、日本人の北公民を誘拐したとあるが、全くの事実無根だ。日本政府への対抗措置として、私たちを対日カードに使ったのだろう。北朝鮮の常套手段であるが、貧困な手という印象を拭えない」。

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