大紀元時報
掛谷英紀コラム

左翼が宗教も科学も尊重しない理由

2019年12月18日 16時37分
2019年12月15日、仏パリのクリスマスマーケットに飾られたサンタクロースの人形。参考写真(Getty Images)
2019年12月15日、仏パリのクリスマスマーケットに飾られたサンタクロースの人形。参考写真(Getty Images)

クリスマスが近づいているが、最近米国の左翼が公的な場所で「メリー・クリスマスと言うな」と主張しているのは、聞いたことがある人も多いだろう。キリスト教の押し付けで、信教の自由に反するというのが彼らの理屈だ。代わりに「ハッピー・ホリデイズ」という言葉を使うよう圧力をかけている。

初回のコラム<なぜ人は共産主義に騙され続けるのか>で書いた通り、欧米の左翼はキリスト教を基盤とした西洋文明を敵視し、それを破壊することを目指している。もともと、共産主義が宗教を忌み嫌っていることは既に良く知られた事実だ。「宗教は民衆のアヘンである」というカール・マルクスの言葉は有名である。

宗教は迷信であり、自分たちは合理的、科学的思考の持ち主であることを左翼は自負している。「科学的社会主義」という言葉の存在が、その事実を裏付けている。しかし、科学を生業とする私から見ると、左翼の考え方は科学のそれとは程遠い。この点については、後ほど議論しよう。

私が米国の保守派を擁護する発言をすると、左翼から「おまえは進化論を否定するのか」と言われることがある。たしかに、米国の宗教右派に、学校で進化論を教えるのを禁じようとした勢力が存在するのは事実である。しかし、米国の保守が全員宗教右派と同じような考え方をしていると思っているなら、それは大間違いだ。

前回の<左翼エリートの選民思想(後編)>で取り上げた黒人の論客アンソニー・ブライアン・ローガン(Anthony Brian Logan)は保守派を自認しているが、自分はキリスト教徒ではないと言っている。また、キリスト教徒であっても、ある種の功利主義的な考えから教会に通っている人も存在する。

米国人の労働者階級二人組による「ブルー・カラー・ロジック(Blue Collar Logic)」というユーチューブ・チャンネルがある。そのうちの一人のデーブ・モリソン(Dave Morrison)の話が面白い。彼の父は不可知論者(神がいるかどうかは人間には知りえないという考えの持ち主)だった。にもかかわらず、彼の父は毎週教会に通っていた。そこで、モリソンは不可知論者なのになぜ教会に行くのか父に聞いたそうだ。すると、父の答えは次のようなものだったという。「私は人間として良い生き方をしたいと思っている。週に一度、そのことを思い出すため、そして地域の人にその自分の思いを知ってもらうために教会に行くのだ」。

続けて、モリソンは自らの考えを語る。「神がいると仮定した方が人生は豊かになる。神がいないとすると、人生が終わったら何も残らないので、人々の記憶に残ることをしようとする。一方、神がいると仮定すれば、純粋に良い人生を生きることに集中できる」。ゆとり教育や入試改革のように余計な政策ばかり打ち出して社会を混乱させる日本の官僚を思い起こすと、無神論者は良いことよりも記憶に残ることを企てるというモリソンの意見は妙に説得力がある。

リチャード・ドーキンズ(Richard Dawkins)は著書『神は妄想である』の中で、宗教があるから人間は戦争を始めるなど、悪いことばかりすると主張した。しかし、彼の議論には無神論に有利な証拠ばかりが恣意的に並べられており、共産主義無神論者がこれまで行ってきた虐殺の数々があまりに軽視され過ぎている。

宗教なくして社会の倫理を保つことができるのか。米国の人気保守系ネット動画チャンネルPragerUの主宰者デニス・プレイガー(Dennis Prager)は、無神論者が個人として倫理的に生きることは可能だが、社会全体で考えるとそれは難しいと主張する。ベン・シャピーロ(Ben Shapiro)は、西洋における人権思想の起源は、神が自分の姿に似せて人間を作ったという旧約聖書の物語であると語る。以前紹介した通り、米国の左翼は現在、出産直前まで妊娠中絶を認めよと主張しており、一部には、生まれた後も殺していいと言う人までいる。こうした極論が生まれるのは、彼らが旧約聖書を背景とした人権思想を破棄した結果であるというのがシャピーロの主張だ。

旧約聖書は神の怒りが発動される恐ろしい話が多く、日本では評判が悪い。しかし、プレイガーやシャピーロ、あるいはジョーダン・ピーターソン(Jordan Peterson)の旧約聖書の解説を聞くと、なるほどと思うことが多い。旧約聖書の物語の登場する神の理不尽な振る舞いは、この世界の理不尽に解釈を与えるためだというのが彼らの考えだ。この世の中は、理不尽なことに満ち溢れている。どんな善人でも不幸にして事故死したり、何の罪もない人々のところに天災が降りかかったりする。旧約聖書は、そういう理不尽を乗り越えて前向きに生きていくための物語というわけである。

私自身は科学者であり、神の啓示は信じていない。不可知論者あるいは理神論者に近い立場である。しかし、科学が万能であるとは思っていない。科学は事実に関する議論のみを守備範囲にしており、価値の議論はできない。さらに、事実に関する議論に限っても、科学がどれだけ進歩しても人類には知りえない領域があることも自覚している。たとえば、非線形現象は100%の確率で予測することは不可能なことが知られている(天気予報はその代表例)。

今年出版されたシャピーロの著書 “The Right Side of History” で、西洋文明の発展はアテネ由来の論理的思考とイスラエル由来の宗教的世界観が両輪になっていると彼は分析している。西洋では、紀元前からアテネを中心に哲学が花開き、理性を突き詰める習慣があった。その後、一神教のキリスト教が広まったことで、「神が作った」世界全体に貫かれる普遍性に関心が向くようになった。この両者を結び付けたのが13世紀の聖職者トマス・アクィナスである。その結果、ヨーロッパでは科学的なものの考え方が広まったが、そこで多数の聖職者が貢献したのはそれが理由である。たとえば、地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスや遺伝の法則を見出したグレゴール・ヨハン・メンデルが聖職者であったことは有名である。

科学者の私から見て、左翼が非科学的、さらには科学の破壊者に見える理由は、彼らがしばしば科学法則の普遍性を否定し、それと同時に人類に知りえない領域の存在も否定するからである。左翼にとっては、自分の思い込みが常に正しいのである。自分の頭の中にある世界観が全てというその姿勢は、サルトルの実存主義の影響を強く受けているように見える。

左翼は、自分の気に入らない宗教的教義に対して、しばしば科学を持ち出して批判する。それを見て、左翼は科学的であると騙される人も少なくない。しかし、その一方で自分の気に入らない科学的知見に対しては、彼らは自分の思い込みで平然と否定する。福島で風評被害をもたらしているデマはその典型である。たとえば、トリチウムの性質は、どこで排出されても同じで、その科学的性質には普遍性がある。だから、福島のトリチウムは危険なトリチウム、韓国の原発から排出されるトリチウムはきれいなトリチウムという主張は、われわれ科学者にとっては全く受け入れられるものではない。ところが、その種のデマを発する左翼は後を絶たない。その結果、大阪大学の菊池誠教授のように、もともと政治的にリベラルな考えを持つ科学者も、左翼の非科学的なデマを盛んに批判するようになっている。

現代における左翼思想の本質は、宗教の否定ではない。科学の尊重でもない。一言でいうと、自分は無謬で万能の神であるという信仰なのである。


執筆者:掛谷英紀

筑波大学システム情報系准教授。1993年東京大学理学部生物化学科卒業。1998年東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。博士(工学)。通信総合研究所(現・情報通信研究機構)研究員を経て、現職。専門はメディア工学。特定非営利活動法人言論責任保証協会代表理事。著書に『学問とは何か』(大学教育出版)、『学者のウソ』(ソフトバンク新書)、『「先見力」の授業』(かんき出版)など。

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