自分勝手な左翼・自集団勝手な右翼

2020/05/13
更新: 2020/05/13

リチャード・ドーキンズが『利己的な遺伝子』を著したのは1976年である。私がこの本を読んだのは大学1年生のときだが、人生で最も影響を受けた本の一つである。人間の行動を決定づけるのは遺伝子と文化子(ミーム)である。遺伝子で規定された行動は生得的に決まっているが、人間には生後、教育等を通じて定まる行動パターンもある。遺伝子、文化子のいずれに基づく行動も、その持ち主が生き残るようなものでなければ後世に残っていかない。一見、自己犠牲に見える行動も、同じ遺伝子や文化子を持つものが生き残るような犠牲でなければ、その行動の持ち主はこの世から消えてなくなる。この発見は、その後進化ゲーム理論という一大学問分野を生み出した。

進化ゲームについては、これまでも面白い研究が多数行われてきた。マット・リドレーは著書『徳の起源』の中で、道徳も集団が生き残るために生まれたものだという議論を展開している。さらに、大浦宏邦著『人間行動に潜むジレンマ―自分勝手はやめられない?』には、大変興味深い研究が紹介されている。

進化ゲーム理論においては、各行動がもたらすコストと報酬、および各個体の生き残りの条件をルールとして定め、どの行動戦略をとるものが最も生き残りやすいかを計算機シミュレーションや社会心理実験などを通して調べる。そこで分かったことの一つは、人間の生き残り戦略は自分勝手戦略と自集団勝手戦略に大別されるということである。

自集団勝手というのは聞きなれない言葉だろう。これは、自分が属する集団の害になる行動をとる人に対して、自分でコストを払って制裁(サンクション)を与える戦略のことである。今でいうと、「自粛警察」と呼ばれる人たちのことを想像すると分かりやすい。

当然ながら、集団の構成員が自分勝手なことばかりしていると、全員が死んでしまう。だから、構成員が互いに協力するような方向に行動が進化する。しかし、一旦みんなが協力するようになると、数人は協力しなくても集団は生き続けられる。その結果、自分だけの利益を追求する自分勝手戦略をとる人間が現れる。ただ、それを見て皆が自分勝手に戻ってしまうと全滅する。そこで、自分勝手な人にコストを払って制裁を与える人が現れる。それが自集団勝手な人というわけである。

残念ながら、完全に利他的な戦略をとる人々は生き残れないのが自然界の掟である。そういう人々は、周りの集団からの収奪を受けて死に絶えるだけである。だから、ある集団が非武装中立を謳ういわゆる平和主義者だけになれば、その集団は一瞬に滅びるという結論を進化ゲーム理論は導く。彼らは自己防衛能力のある集団のごく一部の自分勝手な存在としてのみ生き残れるというわけである。

よって、政治的な軸に当てはめると、自分勝手な人は左翼、自集団勝手な人は右翼に相当すると考えられる。(ただし、たとえば有名劇作家の問題発言に対する批判を、演劇関係者が一斉に攻撃する姿勢は、演劇界という非常に狭い集団の自集団勝手と見ることもできる。本当の意味で自分勝手なのは左翼のリーダー格に限られると言えよう。)もちろん、左翼はしばしば博愛主義者であるかのように自らを装うが、それはあくまで自分勝手な真の姿をカムフラージュするためのものでしかない。

同じ集団の中で、どういう人が自分勝手に走り、どういう人が自集団勝手に走るかという点は興味深い。本能に近い動物的欲求が強い人は自分勝手に走りやすいのではないかというのが私の仮説である。

進化ゲーム理論とは別に、行動経済学という学問分野がある。そこで双極割引理論という興味深い理論がある(これについてはジョージ・エインズリー著『誘惑される意志』が詳しい)。この理論によると、人間を含む動物には未来の価値を過剰に(指数関数的ではなく双極関数的に)割り引く傾向がある。たとえば、6年後に2万円をもらえるのと9年後に3万円をもらえるのでは後者を選ぶが、今の2万円と3年後の3万円なら前者を選ぶといった行動がこれに該当する。こうした人間の選好は、社会心理実験による裏付けもなされている。人間はそうした目先の欲求を理性で抑えようとするわけであるが、それがうまく働かない人は自分の欲求を満たすために自分勝手な行動に走りやすくなると考えられる。

実際、左翼には快楽への一次欲求を抑えられずに犯す問題行動が少なくない。左翼政治家、作家、ジャーナリストや写真家によるセクハラや性暴力は、保守系の人に比べると明らかに多く見られる。また、麻薬に走る人も左翼に多い。米国でも、大麻などの麻薬解禁を積極的に訴えているのは左翼である。昔、東浩紀氏が『動物化するポストモダン』、仲正昌樹氏が『ポストモダンの左旋回』を著したが、両者を合わせるとここで述べた左翼の動物的欲求の強さと関連づくことになる。

左翼と比べると、保守系の言論人は家族に対する愛情が深い人が多い。実際、妻に先立たれて、その後を追う保守言論人は少なくない。自ら命を絶った江藤淳氏、西部邁氏はその代表例である。また、自殺ではないが、保守思想の持ち主として知られた俳優の津川雅彦氏も、妻の死後半年もしないうちに亡くなった。

一方、左翼言論人はそれとは対照的な人が多いように見える。私の知り合いに、ある左翼言論人(仮名A)の妻を担当した医師がいた。私が「奥さんが亡くなったとき、Aさんは悲しんでいなかったでしょ」と聞くと、「なんで分かるの?」と驚かれた。左翼は家族への愛が薄いという経験則に基づく私の予想は見事的中した。私は普段、娘のいる人には「将来左翼より保守系の男性に嫁がせた方がお嬢さんを大事にしてもらえる可能性が高いよ」と助言するようにしている。

ただし、保守派の家族愛も良いことばかりではない。それがしばしば周りに迷惑をかける自集団勝手の形をとることも少なくない。知事が税金で息子の絵を買ったり、政党の党首が息子や夫を当選させるために党首の職責を投げ出したりといった行為がそれに該当する。いずれも保守系の政治家にその実例が見られる。自民党に世襲議員が多いのも、家族優先の自集団勝手の顕れの一つと見ることができるだろう。

人間は自分勝手か自集団勝手にしかなれない業の深い生き物である。自然の摂理の下で生き続ける限り、その業から逃れることはできない。われわれにできるのは、その業を自覚して謙虚に生きていくことだけである。


執筆者:掛谷英紀

筑波大学システム情報系准教授。1993年東京大学理学部生物化学科卒業。1998年東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。博士(工学)。通信総合研究所(現・情報通信研究機構)研究員を経て、現職。専門はメディア工学。特定非営利活動法人言論責任保証協会代表理事。著書に『学問とは何か』(大学教育出版)、『学者のウソ』(ソフトバンク新書)、『「先見力」の授業』(かんき出版)など。

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