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長嶋茂雄氏が死去  メークドラマの軌跡

2025/06/03
更新: 2025/06/04

「メークドラマ」それは、長嶋茂雄という男の野球人生そのものを象徴する言葉だった。長嶋茂雄・巨人終身名誉監督が3日、亡くなった。89歳だった。

デビュー戦での4打席連続三振、天覧試合でのサヨナラ本塁打、そして監督としての奇跡の大逆転劇。数々の栄光と挫折を、まるで一つの壮大な物語のように見せながら、長嶋茂雄さんは常に観客にドラマを届け続けた。野球という枠を超えて、人々の心に刻まれる「記憶のスター」その歩みは、いつも期待のさらに上をゆく“劇的な展開”で彩られていた。

東京六大学野球で活躍していた長嶋茂雄選手は、通算打率.341、ホームラン8本という素晴らしい成績を記録し、特に勝負強い打撃、範囲の広い守備、隙あれば次の塁を狙う俊足が際立っていた選手で、プロ野球球団にも激しい争奪戦が繰り広げられ、結果、長嶋さんは巨人に入団。その後、ようやく戦後を抜け出し、高度成長期に入ろうとしていた当時の日本の国民に、長嶋選手は忘れられないプレーを繰り広げてみせた。

1958年(昭和33年)デビューの試合。長嶋選手はプロ初打席から4打席連続で三振を喫した。しかも相手は400勝をあげた日本一の大投手・金田正一だった。手厳しいプロの洗礼を受けたものの、そのすべてが渾身のフルスイングによる三振で、かえって伝説的に語り継がれることになった。

長嶋選手はその後も走攻守に華のあるプレーでファンを魅了し、1年目から打率.305、29本塁打、92打点、37盗塁で本塁打と打点のタイトルを獲得し、新人王にも選ばれた。

翌年1959年にはプロ野球史上初の「天覧試合」が行われ、この特別な舞台で、4対4のまま迎えた9回裏、先頭打者の長嶋選手が阪神・村山実から左翼ポール際へ劇的なサヨナラ本塁打を放ち、巨人が5対4で勝利した。

観客、選手、そして全国民に衝撃と感動を与えたこの一打は、まさに長嶋茂雄というスターの伝説を決定づける瞬間で、この出来事は野球の枠を超えて国民的関心事となり、長嶋茂雄が「記憶に残るヒーロー」として今なお語り継がれる理由である。

その後、1965〜73年まで巨人は9年連続日本一という黄金期に入り、長嶋茂雄は巨人V9時代の中心選手であり、打撃・守備・精神面すべてでチームに大きく貢献した。勝負強い打撃と華麗な三塁守備で数々の勝利を導き、王貞治との「ON砲」は圧倒的な破壊力を誇った。またここぞという時に球場の空気を一変させる一打を放ち、観客から「記録より記憶に残る」と言われた存在感は、V9を象徴するものであった。

V9が途切れた1974年、長嶋選手は故障や衰えにより成績が低迷し、16年間の現役生活に終止符を打った。引退セレモニーでは「我が巨人軍は永久に不滅です」という名セリフを残して、背番号「3」のユニフォームに涙ながらに別れを告げた姿が多くのファンの心を打った。球場は感動に包まれた。

長嶋茂雄氏は1975年に現役引退直後、読売巨人軍の監督に就任した。しかし、同年は球団史上初の最下位に沈み、以降も優勝には届かず、4年間でリーグ優勝なしという結果を受け、1978年に監督を辞任した。辞任後14年の間、野球解説やメディア活動を行い、国民的人気を保ち続けた。

1993年、長嶋茂雄氏が巨人監督へ復帰した際、球界やファンの期待は沸騰した。記者会見では満面の笑みで「ただいま」と語り、全国の注目を集めた。東京ドームでの初采配には報道陣とファンが殺到し、その人気は健在だった。球団はチームの刷新と優勝を目指した。

1993年に監督復帰し2位に終わった。翌年の1994年、巨人と中日が最終戦で同率首位となり、文字通りの“優勝決定戦”が行われた。試合前から国民的注目を集める中、巨人は見事に勝利を収め、セ・リーグ優勝を決めた。選手の起用法や心理的駆け引きにおいて、長嶋監督の手腕が光った一戦である。この一戦は「10.8決戦」と呼ばれ、多くのファンにとって忘れがたいエピソードとなっている。

長嶋茂雄が監督として最も鮮烈な印象を残したのは、1996年の「メークドラマ」と呼ばれる奇跡の逆転優勝である。この年、巨人は最大11.5ゲーム差で首位・広島東洋カープを追う苦しい展開が続いていたが、長嶋監督は「メークドラマ(Make Drama)」という造語を掲げ、決して諦めぬ姿勢を貫いた。チームは夏場から驚異的な追い上げを見せ、9月にはついに逆転。10月6日、東京ドームで広島を破り、劇的なリーグ優勝を果たした。ファンと選手が一体となったこの逆転劇は、監督・長嶋の情熱と求心力を象徴する名場面である。

また、さらに、2000年の日本シリーズでは、長嶋監督率いる巨人が王貞治監督のダイエーと対決し、「ON対決」として注目を集めた。巨人はダイエーを4勝2敗で破り、日本一に輝いた。

長嶋・王という日本球界を代表する二人が、それぞれの立場でぶつかったこのシリーズも、このように長嶋監督時代にはドラマチックな展開が数多く生まれた。

長嶋茂雄が届けた「野球のドラマ」は、日本中に夢を与え続けた。そして今、その物語は新たな舞台へと広がっている。長嶋が日本に根づかせた野球の魅力を、今度は大谷翔平がグローバルなスケールで塗り替えようとしている――舞台は世界へ。野球は、再び“メークドラマ”の真っただ中にある