忠義か不義か 献帝を取り巻く人々が現した義

呂布に従った陳宮は曹操に捕らえられたが、曹操に降伏せず、死ぬまで後悔しなかった。これは、国に有力な君主がない時、義の果たし方だ
2021/12/15

曹操は天 劉備は人 孫権は地 三国志演義が伝えた三才の文化観

董卓が廃帝を強行したことは、「帝は帝ではなく、王は王ではない」という予言が完全に当たったことを意味します。では、歴史が天命によって定められているのであれば、漢の末期に三国が共存したのはなぜでしょうか。
2021/12/09

乱世の難題 答えが徳に潜む

人々が怒りの声を上げようと上げまいと、社会全体は意識的に正義を実践しており、董卓の行動は当然ながら非正義とされた。礼儀や法律は状況に応じて変わることがあるが、人間としての道徳感は変わることはない。古代人は明白に生きていた
2021/12/02

廃帝を叫ぶ董卓を盧植が論破

宦官に拉致された漢の少帝と陳留王を、官吏や将軍が見つけ出した後、西涼の刺史である董卓は、混乱に乗じて、皇帝を守るという名目で、大軍を率いて少帝のもとへ直行しました
2021/11/08

『三国志演義』にちなんだ偉大な男・関羽の話

中国の歴史上、最も尊敬される人物の中には、あの有名な「関羽」が挙げられます。関羽に対する崇拝は三国時代からすでに始まりました。当時、関羽が亡くなってから、魏、呉、蜀三国は共に彼に尊敬の意を表しました。孫権は関羽の首を曹操へ送り、曹操は諸侯の礼を持って彼の首を洛陽に葬りました。一方、孫権は諸侯の礼をもって彼の胴体を当陽に葬り、蜀漢は成都で彼の装束を埋葬する墓、すなわち成都に関羽の墓を作りました。そのため、民間の間では「関羽は洛陽を枕にして眠り、体は当陽に横たわり、魂は故郷に帰した」という言い伝え
2019/09/05