【日本語に生きる中国故事成語】“千里眼”事件

2013年07月30日 07時00分
【大紀元日本7月30日】明治末、透視や念写の能力を持つとされる女性二人に対して、その能力の存在を肯定する東京帝国大学と京都帝国大学の学者がそれを証明すべく公開実験を行った。実験は幾度か行われたが、その過程で、否定的な者による妨害が行われたり、実験で不正があったのではないかとの疑いが生じたりして、マスコミや学術界を巻き込んだ「千里眼事件」に発展した。結局、科学者やジャーナリストを十分に納得させるだけの結果が得られず、「千里眼は科学に非ず」という見解が発表されて、この事件は幕引きを迎えることになった。

 「千里眼」とは、千里の果てまで見通すことのできる眼ということで、『魏書、楊逸伝』を出典とする。

 北魏(386年-534年)の末のころ、楊逸(よういつ)という29歳の若者が光州(こうしゅう)の長官として赴任してきた。楊逸は、兵士が出征する際には、風雨を厭わず自ら見送りをし、飢饉の時には蔵の食糧を放出して老人や病人のために炊き出しをしたりなど、庶民を気遣った政治を行った。その一方で、役人や軍人が庶民に対して威張るのをいたく嫌った。

 以前は、役人や軍人が田舎にやってくると、接待するのが当たり前であったが、楊逸の赴任以来、彼らは自ら食料を持ってくるし、人目に付かないところでこっそり料理を勧めても、手を出そうとしない。人々がそのわけを聞いてみると、みんな口をそろえて「楊長官は千里眼をもっており、とてもごまかせない」と答えた。

 実は、楊逸は州内に広く密偵を置いていたため、役人や軍人は怖くて庶民に役人風を吹かせることができなかったのである。

 「千里眼」ということばは、現在日本では、「マーケット千里眼」「千里眼 競馬予想」のように、将来のことを見通す能力の意味で使われることが多い。

 
(瀬戸)


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