大紀元時報
悪魔がこの世界を統治している

第十二章:教育の破壊(下)

2019年10月06日 11時09分

(上からの続き)

2.小学校と中学校に潜む共産主義の影

  1. 学業の基準を下げる
  2. 進歩主義教育の弊害
  3. 教育:学生を甘やかす手法
  4. 心理操作
  5. 教育への浸透工作

3. 最終的なゴール:東洋と西洋における教育の破壊

 

結論:伝統的な教育への回帰

 

参考文献

 

2. 小学校と中学校に潜む共産主義の影

 

共産主義の影響が最も強いのは大学だが、小学校や中学校への浸透もかなり強い。共産主義の影響で知的な成長や成熟を妨げられた子どもたちは、大学に進学した後、より左翼の影響を受けやすくなる。若い学生たちは徐々に知識を失い、判断力や客観的思考能力を失った。これが過去百年の過程である。アメリカの哲学者ジョン・デューイ(John Dewey)の進歩主義教育がこの潮流をつくり、後に続いた教育改革が同じ道をたどった。

 

学生たちは無神論、進化論、共産主義のイデオロギーを教え込まれた。アメリカの小学校と中学校では、伝統的な信仰と道徳を破壊する心理操作が行われた。道徳的相対論と現代的概念が教えられ、生命に対する歪んだ考えが注入された。これが、教育のあらゆる分野で適用された共産主義の手法である。そのやり方があまりにも巧妙であるため、人々はその流行を止めることが不可能だった。

 

a. 学業の基準を下げる

 

アメリカは民主国家である。大統領から国会議員、町長、学区の教育委員会までがすべて選挙によって選ばれる。民主政治が真に人々の利益になるよう機能するかどうかは、人々の道徳レベル、および知識と理解の程度による。もし、有権者が歴史を知らず、政治経済、社会問題について疎い人間だったらどうなるか。彼は、国や社会にとって長期的な利益となる候補者を選別できないだろう。これは、国家を危険な状況にさらすことになる。

 

1983年、アメリカ教育庁の諮問機関が「危機に立つ国家」(A Nation at Risk)という報告書を発表した。

 

「われわれの国家が機能するには、市民が複雑な問題に対して、時に突然の知らせや矛盾すること、あるいは十分な証拠に基づかないことであっても、ある程度の共通認識に到達しなければならない。教育が、この共通認識を形成するのを助けてくれる。トーマス・ジェファーソンの有名な格言にあるように『社会の究極の力を蓄えておく安全な場は、国民以外には考えられない。そして、もしその国民が健全な良識をもって、これを自由に操作するほど啓発されていないと思われる場合には、国民に操作させないのではなく、教育によって国民の良識を育てることが、その対応策である』」

 

知識が浅く、論理的思考に乏しい人間は、虚偽や嘘を見抜くことができない。そのため、教育が非常に重要な役割を果たす。共産主義が教育のあらゆるレベルに浸透し、愚鈍で無知な生徒を育てるのは、彼らを操りやすくするためである。

 

報告書にはまた、次のように書かれている。「われわれの社会の教育システムは、現在、凡人の上昇によって浸食されている。それが国家や人々として、われわれ自身の将来を脅かしている」

 

「もし友好的ではない外国勢力が、今日のアメリカにある二流教育を押し付けようとしていたなら、われわれはそれを戦争行為とみるべきだった」

 

「われわれは、スプートニク・ショックの余波の中で、学生たちが成し遂げた利益を無駄にしてしまった。さらに、われわれはその利益を可能にするような、大事な支援制度を廃止した。われわれは、実際に、軽率な、一方的な、教育の軍縮にあたる行為を働いてきたのである」【1】

 

報告書は、分析家のポール・コッパーマン(Paul Copperman)の言葉も引用している。「わが国家の歴史上初めて、一世代の学力が、その両親の世代を超えず、同等でもなく、接近することもなくなった」

 

報告書はさらに、衝撃的な調査結果を伝えている。アメリカの学生の成績が世界水準の底辺であるだけでなく、2300万人のアメリカの成人が機能的非識字であるという。つまり、彼らは読み書きする若干の能力があっても、現代の複雑な生活や仕事をこなすだけの水準に至らないのである。17歳の機能的非識字率は13%で、マイノリティーでは40%に跳ね上がる。1963~80年にかけて、SAT(大学進学適正試験)の成績は落ち込み、国語の平均点は50点、数学は40点下落した。「17歳の多くが、われわれが期待する高次解析の知的能力を持たない。40%近い子どもたちが、文章をもとに推論する能力がない。5分の1の生徒のみが、説得力のある作文を書くことができ、3分の1の生徒が、いくつかのステップを踏む数学の問題が解ける」【2】

 

1980年代以降、アメリカの教育に疑問を持つ人々が「基本に立ち返る」(Back to Basics)キャンペーンを行ったが、教育制度の後退を食い止めることができただろうか?2008年、エモリー大学のマーク・バウアーライン(Mark Bauerlein)が『もっともバカな世代』(The Dumbest Generationを執筆した。第一章によると、教育省と非政府組織(NGO)がまとめた調査で、アメリカの学生の歴史、公民、数学、科学、テクノロジー、美術などの知識に大きな差があるという。2001年に行われたNEPA(National Education Progress Assessment)という試験では、57%の学生の歴史の成績が「基礎以下」であり、「上級」に達したのは、たったの1%だった。第二次世界大戦時における米国連合軍の国を問う問題では、驚くことに52%がソ連の代わりに、ドイツ、日本、イタリアと答えたのである。他の教科の成績も惨憺(さんたん)たるものだった。【3】

 

アメリカの教育の質が落ちたことは、誰の目にも明らかである。1990年代から、「知的レベルの低下」という言葉がアメリカの教育に関する本に登場した。ニューヨークの教員で作家のジョン・テイラー・ガット(John Taylor Gatto)は書いている。「1850年代のテキストを読んでみればわかる。現代では大学レベルと思われる内容が書かれている」【4】

 

アメリカの教育システムの印象を上げるため、ETS(学力テスト)は1994年にSAT(大学進学適正試験)の点数を再定義せざるを得なかった。SATが現代の形式になった1941年当時、言語テストの平均点は500点(最高は800点)だった。1990年代までに、平均点は424点に下がったが、ETSは424点を500点と再定義したのである。【5】

 

教育の質の低下は、学生の識字能力を低下させるだけではない。基礎能力に欠けているため、論理的思考を要する学部の質も落ちている。1990年代、学者トーマス・ソウェル(Thomas Sowell)が指摘している。「ジョニーは単に読めないだけでなく、彼は思考することすらできない。ジョニーは思考するとは何かを知らないのだ。なぜなら、公立学校では、思考を頻繁に感情と混同しているからだ」【6】

 

1960年代の反抗的な学生リーダーたちは雄弁だったが、今日の路上でデモを行う若者は、自分たちの要求を明確に説明することができない。彼らは基本的な常識や理論に欠けているのだ。

 

成績が低下しているのは、現代の学生が以前の学生より劣っているからではない。共産主義が、ひっそりと、教育を武器に、次世代に対して戦争をしかけているのである。『アメリカの学力の故意的な低下』(The Deliberate Dumbing Down of America)の著者であり、1980年代のアメリカ教育省上級顧問だったシャーロット・トムソン・イザービット(Charlotte Thomson Iserbyt)は述べている。「アメリカ人がこの戦争を理解していないのは、これが静かなる戦いだったからだ。我が国の学校で、教室で捕虜となったわれわれの子どもたちが標的とされたのである」【7】

 

b. 進歩主義教育の弊害

 

アメリカの小学校や中学校における反伝統の動きは、20世紀初頭に起こった進歩主義教育から始まった。進歩主義の教育者たちはさまざまなインチキ理論や談話を発表し、カリキュラムを変更し、指導資料の内容を薄め、学業水準を引き下げた。彼らは伝統的な教育に対して多大なる損害を与えたのである。

 

ルソーからデューイまで

 

アメリカの進歩主義教育の始祖といわれるジョン・デューイ(John Dewey)は、18世紀フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)から啓発を受けた。

 

ルソーは、人間は本来善良であり、社会悪が道徳の低下を促すと考えた。人間は誕生した時は自由で平等であり、もし自然な環境の中にいれば、全員が本来の権利を享受するはずだと述べた。不平等、特権、搾取、人間本来の善良さの喪失は、すべて文明の産物であると主張した。子どもに対しては、ルソーは「自然教育」を主張し、子どもたちの好きなようにやらせることを提唱した。この教育法には、宗教や道徳、文化的な教えが全く含まれていない。

 

しかし、人間には善と悪の両方が宿っている。善を養うことを怠れば、人間の悪の部分が膨張し、人はどんなに卑劣で邪悪な行為も許容してしまう。ルソーの洗練された言葉に惑わされ、彼に追随する見当違いの者がたくさん現れた。ルソーの理論が欧米の教育に及ぼした有害な影響は計り知れない。

 

一世紀が経ち、ルソーの破壊的な教義をデューイが引き継いだ。ダーウィンの進化論に感化されたデューイは、子どもたちを伝統的な両親から引き離し、宗教や文化からも分離して、彼ら自身で環境に適応する自由を与えるべきだと主張した。デューイは実用主義者で、道徳的相対主義者である。彼は、不変の道徳など存在せず、人間は好きなように行動する自由があると信じた。道徳的相対主義という概念は、神が与えた道徳規範から人類を引き離す重要なステップである。

 

デューイは1933年の「ヒューマニスト・マニフェスト」(ヒューマニズムを新しい時代の宗教であると主張する共同声明)に署名した33人のうちの一人である。ルネッサンス期のヒューマニスト(人文主義者)と異なり、デューイたちの主張は無神論を根本とした世俗宗教である。彼らは進化論や唯物論を掲げ、人間を機械、あるいは単なる生化学の過程であると主張した。

 

デューイの教育とは人間を型にはめ込み、教育者の好む方向へ誘導することであり、マルクスの言う「新社会主義者」と基本的に変わらない。デューイ自身、民主社会主義者だった。

 

アメリカの哲学者シドニー・フック(Sidney Hook)は言った。「デューイは認識論と社会哲学をマルクス理論に加えた。マルクス自身、それを半分は認識していた。彼は初期に、それを大まかに述べてはいたが、適切に詳述してはいなかった」【8】

 

1921年、ロシア全土で内戦が起きると、ソビエト軍はデューイの『民主主義と教育』から文章を抜粋した62ページに及ぶパンフレットを作成した。1929年、モスクワ第二州立大学の教師アルバート・ピンクエーリッヒ(Albert P. Pinkerich)は、「デューイは際限なくマルクスとロシア共産主義者に近づいていた」と書いた。【9】伝記作家のアラン・ライアン(Alan Ryan)は、デューイが「礼儀正しい社会民主、つまり非全体主義のマルクス主義に知識の武器を与えた」【10】と書いた。

 

進歩主義教育者は憚ることなく、生命に対する学生の態度を変換させる。目的を達成するために、彼らはクラス編成、教材や指導要領、教師と生徒の関係など、すべての授業を転覆した。教育の中心を教師から学生(または子どもたち)に移し、個人の経験が教科書の知識を上回ると見なした。プロジェクトや活動の方が授業より重要になった。

 

アメリカの保守系雑誌「Human Events」はデューイの『民主主義と教育』を、19~20世紀に出版された悪書トップ10のうちの5番目にランク付けした。同雑誌はデューイのことを、「伝統的な人格形成と高度な知識を授けることを中心としていた学校制度を誹謗中傷し、代わりに、考える『スキル(技能)』 を奨励した」【11】と辛辣に批判している。

 

進歩主義教育に対する厳しい批判の声もあった。1949年出版の『Madly Teach: A Layman Looks at Public School Education』(仮題:猛烈な教育:素人が公立学校教育を見る)は、進歩主義教育に対する反論が、簡潔で包括的に書かれている。【12】一方、進歩主義教育者たちは、それらを「反動的」と一蹴し、さまざまな手法で批判を抑圧した。

 

デューイはコロンビア大学に50年以上務めた終身雇用の教授だった。彼の在職中、少なくとも小・中学校教師の5分の1は、同大学で講義を受けたり、学位を取得したりしたはずである。【13】進歩主義教育はその後、アメリカの国境を越えて全世界に広がった。

 

マルクスやエンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東と比べれば、デューイは革命のカリスマや世界征服などといった野望はないように見える。彼は学者であり、終身雇用の教授にすぎないが、彼が作り上げた教育制度は共産主義者の強力な武器となった。

 

学生を放任する

 

ルソーによれば、人間は生まれた時は善良で自由であるが、社会が人間を悪くしてしまう。従って、最適な教育とは、子どもたちを自由にさせて、彼らのむら気な成長を黙って見守ることだという。

 

ルソーの教育論の影響のもと、デューイ以降の進歩主義教育者たちは同じ言葉を繰り返す。両親や教師たちは自分たちの価値観を子どもに押しつけてはならない。子どもには、成長と共に、自分で判断することや決断することを許容すべきだ。イギリスの詩人サミュエル・コールリッジ=テイラー(Samuel Taylor Coleridge)は、ルソーの教育法を次のような例えを用いて説明している。

 

ジョン・セルウォール(John Thelwall)は、まだ分別がつかず、自分で判断できない子どもの心に意見を吹き込み、影響を与えることは、不公平であると考えた。私は彼に私の庭を見せ、これは私の植物園だと言った。すると彼は、「そうは見えないけど?」と問い、「こんなに雑草で覆われているのに」と言った。「そう」、と私は答えた。「それは、まだ植物が分別と選択をする年齢に達していないからだ。雑草は、見てごらん、自由に伸びていく。私が土に対して、バラにしようとかイチゴにしようとかいう偏見を持ったら、不公平だと思う」【14】

 

ウィットに富んだ詩人は、逸話を通して彼の見解を友人に説明している。倫理や知恵は、庭仕事のように苦労しながら養うものだ。誰も庭を監督しなければ、雑草が生い茂るだけである。子どもを放任することは、絶えず存在する悪の力に彼らを委ねることである。それは、極端な放任主義や無責任につながる。

 

人間には善と悪の両方が宿っている。子どもはもちろん比較的単純で純粋だが、同時に怠惰、嫉妬、闘争心、利己心などネガティブな要素に屈しやすい。社会は大きな染物がめである。もし子どもたちの悪の性質(善の性質と共に)が適切に養育されなければ、彼らが「分別と選択ができる年頃」になった時、すでに邪な思考と習慣に汚染されているだろう。その時に彼らを教育しようとしても、すでに遅い。

 

学生を放任する風潮は、1960年に出版された『Summerhill: A radical approach to education』(サマーヒル:教育への急進的アプローチ)でピークを迎えた。A・S・ニイル(A.S. Neill)は、1921年にサマーヒルという寄宿学校を設立した。そこで学ぶ子どもたちの年齢は6~16歳で、学校は子どもたちに徹底した自治の自由を与えた。子どもたちが授業に出ることを強要することもなかった。ネイルはフランクフルト学派のヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich)から深く影響を受けていた。ライヒは性の解放を積極的に主張した人物で、ニイルと交流があったのである。

 

学業の他にも、サマーヒルは倫理、しつけ、男女関係の規律がほとんどなく、すべては反伝統主義に則って運営されていた。男女生徒は気軽に交際し、同棲することが許され、あるいは奨励された。ネイルは学校職員や学生たちがプールで裸で泳ぐことも許可した。ネイルの義理の息子は35歳の陶芸教師だったが、よく上級生の女生徒を家に連れ込んでいたという。【15】

 

ネイルは著書の中で、「サマーヒルの上級生全員は、私の会話や私の本から、セックスを希望すれば、年齢に関わらず私が許可することを知っている」と述べている。【16】彼は、もし法律が禁じなければ、誰に対しても性交することを承認すると暗に示した。【17】『サマーヒル』が発売されると、たちまちベストセラーになった。1960年代だけで、この本は3百万冊を売り上げ、教育学部の「古典」、つまり必読の書となったのである。

 

中国には、「厳しい先生の下から、優秀な人材が育つ」(厳師出高徒)という諺がある。知識や経験のある欧米の人々も、厳格な教師の方がクラスの成績が上がることを知っている。厳しい躾(しつけ)は、学生にポジティブな影響を与える。【18】

 

しかし、残念ながら、アメリカをはじめとする欧米諸国は進歩主義や自治教育の影響を受け、法律に縛られた両親や教師たちが学生を監督することが難しくなった。教師たちは学生をしつけることができず、適切なタイミングで悪い習慣を正すこともできない。そのため、学生たちの道徳は学業と共に急激に低下している。

 

学生中心の教育

 

教育の最も重要な役割は、人類の歴史に現れた伝統文化を維持し、伝えることである。教師はよりよい未来のために、過去と現在をつなぐハブ(中継点)の役割を担う。古代中国では、「師は道を伝え、教えを説き、混乱を排除する」と言った。一方、デューイの進歩主義教育は教師の権威をはく奪し、彼らの地位を貶(おとし)めた。デューイは知識に反対し、常識に反対した。つまり、教育自体に反対している。

 

進歩主義教育者たちは、教育の中心は子どもたちであり、彼らが独自に探究して答えを見つけるべきだと主張する。しかし、伝統的な学問の教科書には、数千年の人類の智慧が詰まっているのである。一体どうやったら、若く無知な学生たちが簡単に探究することなどできるだろうか?進歩主義教育の真の狙いは、学生たちと伝統文化の絆を断つことだ。教師の権威を否定することは、文明の知識を伝える彼らの役割を否定することである。これが、共産主義者たちの究極の目的である。

 

デイジー・クリストドロー(Daisy Christodoulou)は、『教育の七つの神話』(Seven Myths About Education )の中で、広く信じられている7つの誤解を分析している。誤解とは、事実は理解を阻害する、教師主導の教育は受動的である、プロジェクトや活動は最適な学習法である、知識を教えることは洗脳である、などである。【19】これらの神話のほとんどは進歩主義教育の置き土産であるが、それが何世代も経て、今では教育界の伝染病となっている。クリストドローの研究対象は主にイギリスの教育事情だったが、彼女が指摘する進歩主義教育の弊害は、世界中に蔓延している。

 

例えば、一番目の誤解を例に説明しよう。現代のアメリカの教育は、伝統的な学習法である暗誦や音読を「機械的」「丸暗記」「詰め込み教育」とけなす。多くの人々が、このような批判を聞いたことがあるだろう。ルソーは暗誦と音読を著書『エミール』の中で批判し、デューイがその理論をさらに発展させた。

 

1955年、アメリカの教育者ベンジャミン・ブルーム(Benjamin Bloom)は、人間の思考を低レベルから高レベルまで、6つの段階に分類した。暗記(知識)から始まり、理解、応用、分析、評価、創造である。後半の三つは包括的な分析能力を必要とするため、「上位の思考技術」と呼ばれている。われわれはここで、ブルームが提唱した分類法の良し悪しを論じるつもりはない。ただ、このような分類法がある中で、進歩主義者が「上位の思考技術」を養うという名目で、学校での知識習得を軽んじていることを指摘しているのである。

 

いかなる知的作業も、ある程度の基本的な知識を必要とすることは明白である。大量の知識がなければ、いわゆる「上位の思考技術」も、批判的思考も、創造性もなく、それは単に自分を騙し、他人を騙すだけである。ブルームの分類法は、進歩主義者が述べる理解しがたいアプローチが、単なる見せかけにすぎないことを物語る。

 

学生中心教育の理論では、学生が自分たちで、これはいい、あれはいやだと学習内容を選択できる。さらに、教師たちも学生が興味を引くものだけを教えるべきだという。この理論はもっともらしく聞こえるが、誤りである。学生を楽しませることはすべての教師が願うことかもしれないが、彼らは知識が浅く、世界観が狭く、どれが学ぶべき重要事項で、どれがそうではないかを判断することができない。教師は学生を導き、表面的な興味を超越して、ビジョンや理解を広げてやる責任がある。単に彼らの表面的な興味に応じているだけなら、永遠に幼稚化するだけである。学生中心主義の教育を盲信する教育者は、学生と両親を騙し、社会に対する責任を放棄しているのである。

 

ある研究によれば、アメリカ社会は、成人しても長く思春期に留まる若者が多い傾向があるという。米国科学アカデミー(National Academy of Sciences)は2002年、思春期を12~30歳と定義した。マッカーサー基金(The MacArthur Foundation)はさらに、成人年齢を34歳に引き上げるべきだと主張している。【20】多くの大人が思春期の延長期間を享受しているが、これはまさに教育制度とメディアに責任がある。

 

進歩主義教育者たちが教育水準を引き下げる言い訳はいつも同じである。つまり、現代では大多数の生徒が進学するため、過去のように平均値を高く設定することはできない、というのである。しかし、この認識は誤りである。民主社会における教育制度とは、より多くの子どもたちに教育の機会を与えることであって、教育水準を下げたり、全員に質の落ちた教育を与えたりすることではない。

 

進歩主義者たちは、役に立たないギリシャ語やラテン語などの古典授業を排除し、現代的な科目に代替しようとする。しかし、ほとんどの学校が導入したのは、現代生活に有用な高度な数学や経済学、現代史ではなかった。進歩主義教育者たちが導入したのは、学問とは全く関係のない車の運転、クッキング、美容、災害防止などの授業だった。進歩主義者たちが改悪したカリキュラムと指導要綱は、まだ分別のつかない学生を騙し、学校や教師を信頼している子どもたちの両親をも騙しているのである。

 

進歩主義者たちの指導法の一部は、ある学問分野や科目の学習において、多少の効果があるかもしれない。しかし、進歩主義教育の潮流とその結末を見れば、それが伝統的な教育に真っ向から反対し、教育を変異させ、最終的に破滅させるものであることが分かる。デューイはマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東と違って、革命家になりたいわけでも、また世界革命を起こすといった野望を抱いていたわけでもないだろう。彼は学者であり、教授であった。しかし、彼が起こした教育革命は、共産主義が人類社会を破壊するうえで重要な役割を果たしたのである。

 

c. 教育:学生を甘やかす手法

 

1999年4月20日、コロラド州コロンバイン高校で銃乱射事件が起きた。2人の高校生が12人の生徒と1人の教師を射殺し、24人の学生にケガを負わせた事件である。この事件は全米に衝撃を与えた。なぜ2人がクラスメートに対して冷血な虐殺を行ったのか、誰も理解することができなかった。

 

1960年代におけるアメリカの学生たちの問題行為と言えば、遅刻、授業中のおしゃべり、ガムを噛むことなどで他愛無いことだった。1980年代以降は、飲酒、ドラッグ、性交渉、妊娠、自殺、ギャング、銃乱射など問題が悪化した。一部の人々は堕落する学生たちを見て心を痛め、心配していたが、その潮流の真の原因がどこにあるのか分からず、またこの混乱を治める方法も見当たらなかった。

 

しかし、アメリカの若者の道徳基準が歪められ、低下しているのは偶然ではないのである。

 

無神論と進化論

 

反共産主義者の先鋒で、『You Can Trust The Communists . . . to Be Communists』(仮題:共産主義者を信じられる…共産主義者になるために)の著者フレッド・シュワルツ(Frederick Charles Schwarz)は述べている。「共産主義には三つの教義がある。無神論、進化論、経済決定論。アメリカの公立学校の三つの基本理念は、無神論、進化論、経済決定論だ」【21】つまり、アメリカの公立学校が導入しているのは、共産主義のイデオロギーである。

 

神が人間を創造し、人類社会を存続させるために道徳基準を与えた。神への信仰は社会を維持する道徳的土台であり、人類社会の存続を保障する。しかし、共産主義が無理やり無神論と進化論を学校で推進し、道徳を破壊している。中国や旧ソ連だけでなく、アメリカでもそれが強制的に実行されているのである。

 

正教分離を口実に、左翼はアメリカの公立学校で天地創造を教えることに反対し、代わりに進化論を推進した。学校は、その制約をあえて超えようとはしない。そのため、宗教を信じる人は激減した。子どもの頃から進化論が真実であり、科学的だと教え込まれているからだ。

 

1960年代以降、全米の裁判所が政教分離を理由に、公立学校での聖書の授業を禁じた。ある裁判所は、内容が宗教的でなければ学生は言論と出版の自由を享受するという判決を下し、この時から宗教的な言論は違憲とされた。【22】

 

1987年、アラスカの公立学校はキリストを連想させるという理由で、「クリスマス」という言葉の使用を禁じた。1987年、バージニア州連邦裁判所は、高校のキャンパスで同性愛の新聞配布を許可するが、宗教新聞の配布を禁じるという判決を下した。1993年、コロラド・スプリングスのある小学校の音楽教師は、政教分離に反するという理由から、クリスマス・キャロルを教えることを禁じられた。【23】

 

アメリカの教科書は、反有神論の教育制度と「政治的に正しい言葉遣い」(ポリティカル・コレクトネス)によって、バカバカしいほど厳しい検閲を受ける。1997年、歴史家のダイアン・ラヴィッチ(Diane Ravitch)はアメリカ教育省下のオフィスで試験内容のチェック作業に参加した。彼女にとって衝撃だったのは、「神(天)は自ら助くる者を助く」という有名な格言が、「人間は可能なかぎり、自分で努力しなければならない」に変更されたことだった。なぜならば、格言には「神」という言葉が含まれていたからだ。【24】

 

アメリカの公立学校は、政教分離を理由に神への信仰を排除した。一方、欠陥だらけの進化論が、あたかも自明の理であるかのように子どもたちに教え込まれる。心の準備もなく、防御する術をもたない子どもたちは、純粋に教師の言うことを信じてしまう。

 

信仰を持つ親は、子どもに他者を尊重するよう教えるだろう。しかし、進化論を教え込まれた子どもたちは、両親の宗教的な教育に疑問を持つようになる。少なくとも、親の宗教的な指導を真面目に聞くことはないだろう。その結果、宗教を持つ親から子どもたちはますます離れていく。これが、信仰を持つ家族にとっての最大の難関であり、子育てで直面する問題だ。反有神論を推進する教育制度の最も邪悪な部分である。

 

共産主義のイデオロギー

 

われわれは第五章で、「ポリティカル・コレクトネス」(政治的に正しい言葉遣い。略称ポリコレ)について取り上げた。これは共産主義の思想警察であり、歪んだ政治基準と正統な道徳基準をすり替えることに他ならない。1930年代から共産主義が徐々にアメリカの学校に浸透し、この頃からポリコレがアメリカの教育を支配するようになった。ポリコレはさまざまな形態に変貌し、また非常に詐欺的である。

 

1950年代に出版された『Brainwashing in the High Schools』(仮題:高等学校での洗脳)の著者E・メリル・ルート(E. Merrill Root)は、1950~52年にイリノイ州で使われた歴史のテキストを調査した。テキストには、アメリカの歴史は貧富の、あるいは一部の特権階級とその他大勢の階級闘争であると述べられていた。これはマルクスの経済決定論そのものである。このようなテキストは、個人の幸福よりも世界的な懸念事項を優先させる世界政府を推進する。最終的には、世界的な社会主義へと推し進めるのである。【25】

 

2013年、ミネソタ州の学区が「みんながみんなのために」(All for All)というプロジェクトを立ち上げた。これは民族格差の是正を主張する活動で、いわゆるアイデンティティー政治である。この種のイデオロギーは、ある一部のマイノリティー(少数民族)の成績が悪いのは、組織的な人種差別のせいであると主張する。つまり、「白人の特権」を排除しようとする。このプロジェクトはすべての教育活動が民族平等のもとに行われることを主張し、教師や教育機関スタッフに対して、人種差別問題を深く認識するよう要求する。

 

このプロジェクトは幼稚園から始まる。高校1年の英語の授業では植民地や移民などのテーマを中心に、人種、階級、性別による社会構造を学ぶ。高校2年の授業は、「年度末までに、生徒はマルクス的、フェミニスト的、植民地独立後的、精神分析学的に、文学を読むことができるようになる」という。【26】

 

2016年7月、カリフォルニア州は小学校と高等学校に新たな社会のテーマを設けた。もともと左寄りだった社会は、さらに左翼イデオロギー色が強まった。歴史や社会で強調すべきアメリカの建国の精神や、軍事、政治、外交といった内容は薄められ、あるいは削除された。代わりに、1960年代に流行ったカウンターカルチャー(対抗文化)運動が情熱的に述べられ、まるでそれが建国の基礎であるかのように強調された。

 

授業のカリキュラムも、性別や家族については明らかに反伝統的である。高校2年生の授業を例に挙げよう。内容は、アメリカの少数派の人種、部族、宗教、女性、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)である。宗教にはほとんど言及しない代わりに、性的少数者については詳しく書かれている。特に、LGBTについては多くのページが割かれ、明らかに「性の解放」を支持する含みがある。例えば、人々のエイズに対する恐怖心が性の解放を遅らせたなどの文章である。【27】

 

テキストは性的な内容が多く、若者にとって価値のある内容が削除されている。例えば、学生は第一次世界大戦時に米軍が果たした重要な役割について学ぶかわりに、米兵がヨーロッパ人の性的習慣に満足したと習う。【28】この左寄りのテキストは歪曲と偏見に満ちており、学生たちが母国を憎むよう仕向けている。この社会のテキストはカリフォルニア州のみが適用しているが、全米に衝撃を与えている。【29】

 

d. 心理操作

 

学生の道徳を堕落させるもう一つの主なやり方は、教育の一環として心理的条件付けを行うことである。つまり、子どもたちに道徳的相対論を植え付けることである。

 

1984年3月、ワシントンDC、シアトル、ピッツバーグを含む4つの都市で権利保護修正案に関する公聴会が開催され、数百人の保護者や教師たちが参加した。公聴会での証言は1300ページにも及んだ。保守派活動家のフィリス・シュラフリー(Phyllis Schlafly)はその証言の一部を1984年8月に出版した著書『Child Abuse in the Classroom』(仮題:教室での児童虐待)で紹介している。

 

シュラフリーは証言の中に含まれている問題点を「セラピー(治療)としての教育」という言葉で説明した。伝統的な教育は知識を伝えることが目的である。一方、「セラピーとしての教育」は、生徒の感情や行動の変革に焦点を置き、授業では学生たちに心理ゲームを仕掛ける。子どもたちは、自殺、殺人、結婚、離婚、中絶、養子など個人的な問題に関するアンケートで、大人のような回答を迫られるのである。【30】

 

しかし、このような授業は子どもたちの精神を健全にするために行われているわけではない。これは、子どもたちの価値観を変異させるために行われた心理的条件付けである。

 

心理学と教育

 

現代の教育は哲学と心理学を重視している。多大な影響を与えたデューイの進歩主義教育の他に、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)の精神分析学や、カール・ロジャーズ(Carl Rogers)の人間性心理学などがある。フランクフルト学派の批判理論は、マルクスとフロイト理論の融合である。フランクフルト学派のヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)は、若者たちが自然な本能を解放し、気ままに暮らせるように、すべての抑圧を解放することを呼びかけた。【31】このような思想が、1960年代に台頭したカウンターカルチャー(対抗文化)を加速させた。

 

上記に述べた心理学の影響のもと、世界保健機関(WHO)の初代事務局長でカナダの精神医学者ブロック・チゾム(Brock Chisholm)は、1946年に次のような演説を行った。

 

「すべての文明において、どのような心理的な歪みがあるだろうか…?それは、明白な事実を見て、認識することを阻害する力である…それは、劣等感、罪悪感、恐怖であり…これらの歪みを作りだすたった一つの力とは、道徳、つまり正誤の概念である…(これが)、人為的に劣等感、罪悪感、恐怖、一般的に知られている「罪」と言ったものを押し付け….多くの適応障害や不幸を世界に作りだしている….道徳からの自由とはつまり、観察することの自由であり、分別を持って思考し、行動する自由である….もし民族が、善悪というこの不自由な重荷から解放されるのならば、最初に責任を負うべきは精神科医だ」【32】

 

誤った概念に基づき、チゾムは大胆な理論を打ち建てた。つまり、心理的苦痛を和らげるために、道徳や善悪の概念を無効にすべきであるという考えである。彼は道徳に対して戦いを挑んだ。チゾムに影響されたとみられる、人間性心理学者カール・ロジャーズが「価値の明確化」を主張した。ロジャースの目的は、伝統的な価値観や善悪の概念を根絶することである。

 

最終的に、デューイの道徳的相対論、フランクフルト学派の抑制に対する拒絶、チゾムの心理学が一緒に働き、伝統的価値観に打撃を与えた。彼らが、道徳の砦となるはずだった公立学校を破壊したのである。

 

道徳的相対主義

 

1970年代後半にアメリカの学生だった人たちは、授業で次のような物語を聞いたことがあるだろう。「船が沈没した後、キャプテン、数人の子どもたち、妊婦、ゲイの男が救命ボートに乗っていました。人数オーバーのため、ボートから一人降りなければなりません」。教師たちは学生たちに、誰が船を降りるべきか、つまり誰が命を犠牲にすべきかを話し合うよう促す。教師は勿論、学生たちの判断に口を挟むことはない。

 

この物語は、1970年代の「価値の明確化」の授業で盛んに取り上げられた。この種の授業は、意思決定、感情教育、麻薬防止、性教育などにも使われた。

 

Why Johnny Can’t Tell Right From Wrong』(仮題:なぜジョニーは善悪を見分けられないのか)の著者ウィリアム・キルパトリック(William Kilpatrick)は、このような授業について、「クラスを「自由討論」にし、意見はあっちにいったり、こっちにいったりするが、結論に至ることはない」と説明する。「教師はトーク・ショーの司会者となり、議論のテーマと言えば妻の交換、カニバリズム(人肉喰い)のメリット、マスターベーション(自慰行為)などである。学生にとっては、混乱した道徳的価値観の押し売りである。彼らは辛うじて得た価値観や、家庭で教わる道徳などに対して疑問を持つようになる。結局、彼らの得る結論は、善悪の概念は、単に主観的だということである。そして道徳的な教養のない世代が誕生する。学生たちは自分の感情を分かっているが、自分たちの文化を知らない」【33】

 

学者トーマス・ソウェル(Thomas Sowell)は、同様の手法が洗脳を目的として、全体主義国家で行われていると指摘する。その手法とは、「感情的なストレス、ショック、感度を鈍らせるなどして知的・感情的な抵抗を打ち壊す。心理的なあるいは感情的なサポートから隔離する。同調圧力を操作して、持っている価値観に対する反対尋問を行う。個人の防衛能力、例えば沈黙、尊厳、プライバシー、拒否や参加の自由を奪い、態度、価値観、信念に変化が起きれば報酬を与える」【34】

 

ソウェルは、このようなセッションに共通するのは、学生たちが両親や社会から教わった伝統的価値観に反感を持つよう奨励することである。授業は中立、あるいは「判断を避ける」形式で行われる。つまり、教師は善悪の判断をせず、個人がよいと感じることを探すだけでいい。彼らが重点を置くのは、「機能的な社会や知的な分析を必要とするものではなく、個人の感情である」【35】

 

「死の準備教育」と麻薬防止教育

 

1990年9月、ABCは視聴者の眉をひそめるような番組を放映した。ある学校が「死の準備教育」の一環として、学生たちを遺体収容所に連れて行った。学生たちは直に遺体に触れ、観察したのである。【36】

 

死の準備教育の授業では、学生たちに墓碑銘や自分の訃報を書かせ、棺選びなどの葬式の準備をさせる。同授業のアンケートには次のような質問がならぶ。

 

「あなたはどうやって死にますか?」

「いつ死にますか?」

「暴力的に亡くなってしまった人を知っていますか?」

「あなたが親しい人を失くしたのはいつですか?涙を流しましたか、それとも静かに耐えましたか?一人で悼みましたか、それとも誰かと一緒でしたか?」

「あなたは死後の世界を信じますか?」

 

明らかに、このようなテストは勉強と全く関係がない。これは、学生たちの人生観、宗教観、性格などを測るためである。一部の質問は特定の反応を引き出すために用意され、思春期の子どもたちにネガティブな影響を与える場合もある。

 

「死の準備教育」の目的は、学生たちが死に直面した時に、正しく対応できるようにするためだという。しかし、授業に参加した子どもたちのうち数人が自殺した。授業と自殺の関連性は科学的に証明されていないが、未熟な学生たちが死や自殺に触れ、彼らがウツや絶望に苛まれても不思議ではない。子どもたちの保護者が自殺と授業の関連性を疑うのは当然である。

 

学校で盛んに導入されている薬物乱用防止教育も同様である。1976年、スタンフォード大学のリチャード・ブルム(Richard Blum)が「Decide」と呼ばれるコースについて、4年に渡る研究を行った。それによると、コースを受講した生徒たちは、受講していない生徒に比べて、より薬物の誘惑に屈しやすいことが分かった。

 

1978~85年にかけて、ステファン・ジュール教授(Stephen Jurs)は、「Quest」と呼ばれるコースを受講した生徒とそうでない生徒を調査し、喫煙や薬物乱用の有無を調べた。その結果、受講していない生徒の方が、喫煙や薬物乱用の比率が低いことが分かった。【38】

 

死の準備教育も、薬物乱用防止教育も、その効果は裏目に出た。それでは、それらの真の目的は何だろうか?それは、子どもたちを汚すことである。子どもたちは好奇心旺盛だが、道徳的には未熟である。真新しい事や変わったことは、彼らの好奇心をくすぐり、悪いと分かっていても試したくなる。一方、このような教育は学生たちに暴力、ポルノ、恐怖をひっきりなしに見せつけ、子どもたちはこのようなシーンに鈍感になる。まるで、これらの道徳的退廃は人生の一部であると思わせるような仕組みである。学生たちは徐々に邪悪に対して寛容になる。しかし、これは邪悪が芸術、暴力、ポルノを利用して道徳を堕落させようとする計画の一部なのだ。

 

ポルノと性教育

 

伝統的に、西洋でも東洋でも、性に関する話題を公共の場に持ちだすのはタブーである。性交は夫婦間のみで行われるべきであり、これは神が定めた掟である。その他の性交はすべて淫乱、姦通と呼ばれ、神が定めた道徳に対する重大な違反だった。そのため、性交と結婚は切り離せない行為であり、健全な社会においては、性交が公の話題になることはない。伝統的な社会において、若者は生理に関する教育のみ受けていたが、今日のような性教育を受ける必要はなかった。

 

今日の性教育を最初に提唱したのは、フランクフルト学派のルカーチ・ジェルジュ(Georg Lukács)である。彼は伝統的な西洋の価値観を完全に転覆することを目的としていた。1919年、ルカーチはハンガリーのボルシェビキ政権時に教育文化相を務めた人物である。彼は学校で過激な性教育を行い、自由恋愛や乱交を推奨した。また、一夫一婦制の結婚は「時代遅れ」と一蹴した。【39】

 

1960年代に起きた性革命により、伝統的な西洋の価値観は完全に根絶された。性病や10代の妊娠が飛躍的に増えた。このような状況下で、社会問題を解決するべく性教育が導入されるようになった。しかし、教育制度そのものがすでに伝統的な道徳からずれていたため、授業では性交と結婚を完全に切り離し、ただ性交の仕組みと安全(性病防止や避妊など)を教えるにとどまった。つまり、道徳を無視した性教育であり、まさにルカーチが導入した教育モデルを踏襲しているのである。

 

この教育が若者を堕落させた。彼らは婚外交渉、淫乱、同性愛といった概念に晒(さら)され、それらの行為が普通であるという認識を植え付けられた。若者たちは自由を謳歌し、快楽に耽(ふけ)るようになるが、実際には、神が定めた基準からますます遠ざかった。小学校から始まるこの種の性教育は、家族、個人の責任、愛、貞節、恥、自制、忠実という伝統的価値観を破壊した。

 

デューイの「実践による学習」は、マルクス主義者にとって都合のいい道具だった。広く導入されている性教育は、米国疾病管理予防センター(CDC)が推奨する「Focus on Kids」である。この授業では、教師たちが子どもたちに「コンドーム競争」をさせる。学生たちが大人の性玩具にコンドームを被せ、それを一番早く脱がせた者が勝ちというゲームである。【40】

 

もう一つのプログラムは、CDCやプランド・ペアレントフッドなどが推奨する「誇りを持って!責任を持って!」(Be Proud! Be Responsible!)である。このプログラムでは、学生たちにロール・プレイを促し、2人の女生徒に安全な性交について議論させたりするのである。学生中心の授業は、進歩主義教育の特徴である。教師たちは、学生たちに性交相手との親密度に関する自由な意見交換(ブレイン・ストーミング)をさせる。【41】伝統的な常識を持つ人が見たら、これは「教育」ではなく、児童ポルノではないかと疑いたくなるだろう。

 

同プログラムの主要な支持団体は、プランド・ペアレントフッド(Planned Parenthood)である。この団体は性教育に関する本を全米で大量に出版し、12カ国に支社がある。彼らは堕胎の権利を主張し、以前はアメリカ産児制限連盟(American Birth Control League)という名で知られていた。連盟の創設者は進歩社会主義者で旧ソ連のスターリンを崇拝していたマーガレット・サンガー(Margaret Sanger)である。彼女は婚外交渉が「私を真に自由にした」と語った。【42】彼女は女性もシングル・マザーになる権利があると主張し、彼女の16歳になる孫に対して「一日三回は権利です」と性交に関する手紙を送った。【43】彼女が連盟を設立したのは、彼女の乱れた生活が必要としたからである。現代の性教育がこの団体によって推進されていることを見れば、性の解放の根源が共産主義であることが分かる。

 

『Perfectly Normal』(仮題:ごく当たり前)は、30カ国語に翻訳され、全世界で販売されているミリオンセラーの性教育本である。この本には100近くに上るヌードの挿絵があり、異性同士、同性同士の自慰行為(マスターベーション)におけるさまざまな動き、感覚、身体的感覚を説明している。また、産児制限の方法や避妊についても言及している。著者は、子どもたちもこのような情報を知る権利があると主張している。【44】このテキストには、さまざまな性行為はすべて「普通」であり、道徳的な是非を問うべきではないというメッセージが込められている。

 

広く使われている性教育のテキストには、一部の宗教は婚外交渉が罪であると定めていると説明している。その後には、「このメッセージが自分にとって重要であるかどうかは、自分で決めなければならない」としている。【45】このテキストが述べているのは、基本的に価値観とは相対的であり、なにが善でなにが悪なのかは、子どもたち自身で決めよということである。

 

今日、アメリカの公立学校では、二つのタイプの性教育授業がある。一つは、上記に述べた団体が推進する、強烈な性教育である。これは、性行為、避妊、性病防止などを全て教える完全な性教育プログラムである。もう一つは、若者に自制させ、避妊を教えず、結婚まで性交を自重するよう教えるプログラムである。

 

社会の道徳、特に性行為は、伝統的な道徳水準から遥かに逸脱してしまった。メディアやインターネットはポルノの内容で溢れ、子どもたちを奈落の底へと引きずり込んでいる。

 

今日の教育はすべて無神論に支配されている。多くの公立学校は「価値観の中立性」を重視し、子どもたちに婚外交渉が恥であり、不道徳であることを教えない。教師たちは伝統的な道徳基準に基づいて正誤を教えることができない。

 

性に関する話題はいつでも盛況である。さまざまな分野の専門家たちが、安全な性交渉や、増え続ける10代の妊娠、性病に関する問題について議論している。しかし、学校でおおやけに教師たちが性の話題を子どもたちに提供することは、明らかに婚外交渉を増やしているのである。10代の妊娠や性病罹患率が下がったとしても、子どもたちが相変わらず性的に活発だったら、それでいいのだろうか。

 

性についての規制が緩いヨーロッパにおいては、「効果的な」教育のおかげで、10代の妊娠率はアメリカの半分である。一部の人々はそれを喜んでいるが、懸念の声を上げる人もいる。いずれにしろ、性の乱れが当たり前となった今、共産主義は着々と人類の道徳を破壊しているのである。

 

自尊心と自己中心

 

1960年代から全米で新しい教義が導入されるようになった。いわゆる「自尊心」というカルト教であり、これがアメリカの教育を堕落させた主要な源である。

 

表面的に、自尊心とは自分の能力や達成感から来る自信や自己肯定感のことである。しかし、アメリカの学校で習う自尊心は全く意味が異なる。モーリーン・スタウト(Maureen Stout)は著書『Feel-Good Curriculum: The Dumbing Down of America’s Kids in the Name of Self-Esteem』(仮題:自己満足の授業ー自尊心という名のもとでアメリカの子どもをダメにする)の中で、アメリカで普遍的に見られる現象を紹介している。学生たちは成績ばかりを気にするが、彼らは何を学び、どれだけの努力を注いだかを気にしていない。学生たちが満足するように、教師は試験の難易度を下げる。その結果、成績の悪い生徒たちはさらに努力をしなくなる。

 

著者の同僚はこの現象になれっこになっており、学校は子宮のようでなければならないと信じている。つまり、外の世界から遮断された、感情的に快適な世界である。しかし、ここでは知的向上や苦難からの回復力を学ぶことはない。教育の焦点は学生の感情に置かれ、全体的な向上はなおざりにされる。【46】

 

多くの専門家は、この「自尊心」が原因と結果を混同していると指摘する。自尊心というのは努力の結果であり、成功の前提条件ではない。つまり、「気持ちがいい」が成功に結びつくというわけではなく、人は成功した後に気持ちがいいのである。

 

この自尊心に関する誤った概念は、1960年代から続く心理療法的な教育の副産物である。心理療法的な教育では、多くの若者たちに権利意識や被害者意識を植え付ける。スタウトは普遍的にみられる若者の心理状態を次のように描写する。「私はやりたい事を、やりたいように、やりたい時にするし、何も、誰も私を止めることはできない」

 

アメリカの教育は、感傷的な自尊心の名の下に、自由と自己中心の概念を誇張してきた。この教育のもと、若者たちは道徳を軽視し、責任も持たない。彼らは自分たちの気持ちを気にするが、他人の気持ちには無関心である。彼らは娯楽を求めるが、努力、犠牲、苦難を避ける。これが、アメリカ社会の道徳に大惨事をもたらしたのである。

 

e. 教育への浸透工作

 

アメリカの小中学校を支配

 

アメリカ国家が樹立された後、しばらくは中央政府が教育に関与することはなく、細かな決定事項は教会や各州政府に任されていた。1979年、連邦政府は教育省を設立し、徐々に教育に介入するようになった。現在、教育省は戦略と予算を決定する上で、以前よりもはるかに強大な権力を持つ。両親、公立学校、州政府など、かつて発言権があった人たちも、連邦政府の支配下に置かれるようになった。両親や公立学校は、何をどのように学校で教えるべきかという具体的な決定事項に対して発言権を失った。

 

権力自体は中立である。権力を持つ者が、それを善用することも、悪用することもできる。権力の集中は必ずしも悪いということではない。権力の良し悪しは、それを持つ人物、あるいは組織にどのような目的があるかに依る。しかし、アメリカの教育制度の権力集中は深刻な問題だ。なぜならば、中央官僚をはじめとする政府機関のすべてのレベルにマルクス主義が浸透しているからである。このような状況で誤った方針が決定されれば、その影響は絶大であるし、少数の賢明な人たちがそれを元通りにしようとしても、簡単にはできないだろう。

 

教育者のB.K.イークマン(B. K. Eakman)が述べたように、アメリカの中央権力集中型教育制度の弊害は、教育方針の実際の効果を短期間で観察することができないことである。その方針が歴史的にどのように発展するのか、またそれが子どもたちに与える長期的な影響について推測することは難しい。多くの人々は限られた範囲の物事に捕らわれやすい。ある事象に違和感を覚えても、それを独自に調査するだけの時間、エネルギー、資源、勇気を持てる人は少ない。違和感を覚えるケースが多数存在しても、その他のパズルを埋められるだけの情報がなければ、親たちは専門家の指示を仰ぐことしかできない。その結果、教育に関わる全員が大きな機械の一部となって動いているのである。専門家や役人の決定事項が学生と社会に及ぼす影響を推測できる人はいないし、彼らの道義的責任を追及する人もいない。【48】共産主義はこの脆弱なシステムにつけ込み、一つ一つ部品を取り壊しているのである。

 

教育に決定的な影響力を持つ大学の教養学部、出版社、教育認定機関、教職員組合などは全て共産主義の主な標的であり、かなりの浸透が進んでいる。

 

教職員組合の役割

 

共産主義がいかに組合を操り、利用しているかは第9章で検証した。教職員組合(Teachers Unions)はアメリカの教育が失敗した原因の一つである。この組合の目的は教育の質を上げることではなく、失敗に報酬を与え、無能な者を保護し、良心的で熱心な教師たちを犠牲にすることである。

 

トレイシー・バイリー(Tracey Bailey)は1993年度の最優秀教師賞を受賞した高等学校の科学教師である。【49】当時、全米教職員労働組合(AFT)の組合長は、組合メンバーであるバイリーの受賞を誇りに思うと述べた。しかし、その時すでにバイリーは組合から脱退していた。彼は巨大な教職員組合こそが、アメリカ公立学校の教育の元凶であると信じていたからである。彼にとって組合は問題の一部であり、解決策ではなかった。組合は現状維持を求める利益集団であり、平凡で無能な教師を擁護する組織だった。【50】

 

アメリカの教職員組合は豊富な資金と影響力を有する主要な政治ロビー団体の一つである。教職員組合こそが、教育制度改革の邪魔者となっている。例えば、AFTの下部組織であるカリフォルニア教職員連盟(CTA)は、メンバーから徴収した巨額の資金を投じて政策に影響を与える。1991年、州政府が提供する教育バウチャー(クーポン)を使って、市民が子どもたちの学校を選択できるとするカリフォルニア州法プロポジション174について議論されたが、CTAはこれに反対し、プロポジションに2万5千ドルを寄付したハンバーガー・チェーンとの契約を停止するよう学校に要求したのである。【51】

 

子どもの教育から家族を遠ざける

 

共産主義のもう一つのゴールは、誕生した子どもをなるべく早く両親から引き離し、コミュニティーや国に養育させることである。これを成し遂げるのは至難の技だが、すでに社会は静かにこの方向へ向かっている。

 

共産主義国家において、「ブルジョワジー」出身の学生たちは、両親との関係を断ち切るように勧められる。点数主義の教育のもと、学生たちは長時間学校で勉強し、両親との接点が制限される。一方、欧米では異なる手法で子どもを家族から引き離す。子どもの学校滞在時間を延長したり、就学年齢を引き下げたりする。学生は教科書や資料を家に持ち帰ることを禁じられ、あるいは授業で学んだ話題について、家庭で話さないようにという指導を受ける。

 

「価値の明確化教育」(Value Clarification)という道徳授業は、学生たちを両親から引き離すことを目的としている。クエストという授業を受けた学生の親は次のようにコメントしている。「まるで、両親は常に悪い立場におかれているようです。例えば、物語は父子が登場し、父親は常に横柄で厳格で、不公平です」。つまり、このような授業の裏に隠されたメッセージは、「君の両親は君を理解しないかもしれないが、私たちは理解できる」【52】である。

 

学生たちが何らかの活動に参加するには、法的な理由から、両親の許可が必要である。すると、教師や学校職員たちは複雑で曖昧な言葉で両親を煙にまき、活動の内容をはっきりと説明しない。もし両親が不満を訴えたら、学校は先延ばし、責任逃れ、型通りの言い訳という対処法がある。決まり文句は、親には専門的な教育についての知識がないとか、他の学区は同様のことをしているとか、不平を言っているのはあなただけですよ、などである。

 

ほとんどの親たちは、学校と向き合い、時間をかけて議論する暇もないし、力もない。いずれにしろ子どもたちは数年後に卒業していく。従って、一般的な親は、ただ黙っているだけである。しかし、その間子どもたちは学校の人質となり、学校権力に対抗する術もない。親たちは学校への抗議をあきらめるしかない。もし学校に反対する親がいれば、彼らは過激派、トラブル・メーカー、宗教的偏屈者、狂信者、ファシスト、などのレッテルを貼られる。それによって、学校側は他の親たちが抗議することを阻止しているのである。【53】

 

複雑で曖昧な教育専門用語

 

イサービット(Iserbyt)は著書『The Deliberate Dumbing Down of America』(仮題:アメリカを計画的に愚民にする)の序文で、次のように書いている。

 

「アメリカ人がこの戦争について理解しない理由は、これが静かに仕掛けられたからだ。我が国の学校で、クラスの人質となった子どもが標的にされた。戦争の仕掛け人は、実に巧みに有効な方法を利用した:

  • ヘーゲル弁証法(共通点、総意、そして妥協)
  • 漸進主義(三歩進んで二歩下がる)
  • 用語の誤用、詐欺(用語を再定義し、理解されないまま同意を得る)

フィリス・シュラフリー(Phillis Schlafly)もこの現象について触れている。彼女は著書『Child Abuse in the Classroom』(仮題:教室の中の児童虐待)の中で、心理療法の授業では専門用語が使われ、両親たちはその授業の真の目的や手法について理解していないと指摘する。用語とは例えば、行動変容、上位批判的思考、道徳の理由づけ、などである。【54】

 

過去数十年間、アメリカの教育者たちは目のくらむような多くの専門用語を生み出してきた。構成主義、協調学習、体験学習、深い理解、問題解決、探究型学習、結果重視型教育、個別学習、概念の理解、プロセスのスキル、生涯学習、先生と生徒の対話式学習などであり、多すぎて羅列することができない。一部の概念は理論的に見えるが、それらを丹念に調査してみると、すべては伝統的な教育方法を貶(おとし)め、教育の質を下げることを目的としている。それらはまるでイソップ童話やジョージ・オーウェルの小説であり、その解釈のカギは、彼らの意図していることを反対に捉えることである。【55】

 

大々的に変更された科目と教科書

 

1960年代に出版された著書『None Dare Call It Treason』(仮題:誰も反逆とあえて呼べない)は、1930年代に行われた教科書の改訂について分析している。この改訂により、歴史、地理、社会、経済、政治などの異なる分野がいくつかの教科書に統合された。この新しい教科書は伝統的なテキストの内容と価値体系を排除した。「明白になったのは、反宗教的なバイアスと男性による社会支配に対する非難」【56】であり、さらに、アメリカ史に登場した英雄と米国憲法の権威を下げることである。

 

この新しい教科書はボリュームが大きく、どの伝統的学術分野にも属していなかったため、専門家たちはあまり注目していなかった。何年も経った後に教科書の弊害が指摘され始めたが、すでに5百万人の学生たちがこの本で教育されていた。今日、アメリカの小学校と中学校では、歴史、地理、公民などがすべて「社会学」の範疇に入れられたが、その裏に隠された目的は同じである。

 

もし、教科書の改訂が公明正大に行われたならば、専門家や両親たちからの抵抗があっただろう。改訂版はいくつかの科目を混ぜ合わせた代物であり、どの科目の分類にも当てはまらないため、専門家が内容を判断することが難しい。そのため、改訂版の教科書は比較的簡単に検定を通過するのである。

 

10年あるいは20年後に、一部の人たちがこの教科書に隠された陰謀を見抜くかもしれない。しかし、それを指摘しようとしても、学生たちはすでに成長し、教師たちもその教科書に慣れてしまっている。そのため、伝統的な教科書に戻すことは不可能になった。教科書の重大なミスに気づくのは少数であり、彼らの声は世間に届かず、また教科書の決定機関に影響を及ぼすことは難しい。もし反対派の意見が大きければ、それは次の改訂への絶好の機会となり、さらに伝統的な内容が消され、左翼の概念が刷り込まれるのである。数回の改訂を経て、新世代の学生は伝統と完全に切り離され、元に戻ることはほぼ不可能となる。

 

アメリカの教科書の更新作業は非常に早いスピードで行われる。それは現代の知識が非常に早いスピードで膨張しているからだという人もいるだろう。しかし、小学校と中学校で学ぶべき基礎知識については、あまり変化がないはずだ。それでは、なぜ多くの種類の教科書が出版され、改訂されているのだろうか?表面的な理由としては、出版社の競争が激しいことである。利益を追求する出版社にとっては、同じ教科書をずっと使い続けてほしくはないだろう。しかし、深いレベルでの理由は、この改訂の過程で指導資料を少しずつ歪曲し、次世代を教育していくことである。

 

教育改革:弁証法的な闘争

 

1950~60年代、アメリカの教育は継続的な改革を経たが、期待通りの結果は得られなかった。1981年、米学生のSATの得点が最低を記録し、それをきっかけに『危機に立つ国家』(A Nation at Riskが出版され、教育界では「基本に戻る」運動が盛んになった。アメリカの深刻な状況を憂慮した歴代政権は1990年代から改革を行ってきたが、目覚ましい効果は得られなかった。数々の政策は全く助けにならなかったばかりか、さらに解決困難な問題をもたらした。【57】

 

もちろん、教育改革に携わる人々は全力を尽くしてやっているだろう。しかし、誤った思想が浸透しているため、彼らのやることはことごとく裏目に出る。その結果、教育改革は常に共産主義の思想を拡散してしまう。他の分野と同じく、共産主義の浸透は一度の教育改革で達成できるものではない。教育改革を達成することが共産主義の目的ではない。すべての改革は、最初から失敗するようにデザインされ、次の改革への言い訳を作るための踏み台に過ぎない。次の改革はさらに歪んだ代物であり、人々をまた一歩伝統から引き離す。これが、一歩下がり、二歩進む弁証法的な闘争である。このやり方で、人々は伝統が破壊されていることに疑問を持つこともなくなる。「伝統だって?一体それは何?」と首をかしげるようになるだろう。

 

3. 最終的なゴール:東洋と西洋の教育を破壊する

 

西洋の教育を破壊するためなら、共産党は数百年でも気長に待つことができる。それは数世代に渡る進歩主義教育によって達成できる。一方、中国は5千年の歴史に培われた豊かな文化を有している。共産党が政権を奪取した当時、中国は緊急事態だったため、共産主義は民衆の短絡的な成功と利益追求の心につけこむことができた。その結果、中国人は極端な政策を次々と適用し、ほんの十数年で伝統から離れていった。こうして共産主義は中国の教育と人間性を堕落させた。

 

20世紀初頭、デューイの進歩主義教育がアメリカを腐食し始めた頃、彼を信奉する中国系アメリカ人たちが中国に戻り、現代教育の基盤を築いた。イギリスの大砲で傷を負い、自尊心を失っていた中国のエリートたちは、国家を建て直すための新たな道を模索していた。共産主義はこの状況につけ込み、いわゆる「新文化運動」を繰り広げ、中国の伝統を否定した。

 

伝統を攻撃するこの新文化運動は、1960年代に起こった文化革命への序章だった。新文化運動には3人の主な人物がいる。デューイのもとで学んだ胡適(フシ)、中国共産党を設立し後に毛沢東より称賛された陳独秀(ちん・どくしゅう)、共産党設立メンバーの一人、李大ショウである。

 

新文化運動は中国の伝統や歴史を批判し、特に孔子の儒教思想を否定した。伝統文化は「旧文化」と貶(けな)され、すべての西洋文化が新しいともてはやした。科学や民主主義を支持しない伝統的思想は批判された。この運動は後の五四運動の火付け役となり、伝統的な道徳と価値観を破壊する最初の波を起こした。この波は、マルクス主義が西洋から中国に浸透して根づき、成長し、繁殖する土壌をつくった。

 

新文化運動が教育にもたらした最悪の影響は、中国語の日常語化である。胡適が主張したように、小学校では国語の授業で古典の代わりに日常会話の中国語を教えるようになった。その結果、この世代以降、大部分の中国人は中国の古典が読めなくなった。つまり、学生たちは『易経』『春秋』『道徳経』『黄帝内経』などの古書やその他の伝統的な本に触れることができなくなった。これらの古書は学者専用の難解な研究物という扱いを受けた。輝かしい中国5千年の文明が、単なる飾り物となってしまった。

 

中国古典の書記言語が口語と異なるのは、神が按配した歴史の一部である。激動の時代を経た中国では多くの民族が同化・移動したため、口語がさまざまに変化した。しかし、書記言語と口語は分離されていたため、古典の書記言語はそのまま保存された。清の時代の学生は、宋、唐、あるいは秦の時代に書かれた文書までも読むことができたのである。そのため、中国文化と文学は完全な形で数千年も伝承されてきた。

 

しかし、共産主義は中国人を文化のルーツから切り離そうとした。書記言語と口語を一緒にして、歪んだ言葉や語句を混ぜ込み、中国人をさらに伝統から遠ざけた。

 

中国共産党が発動した小学校の識字キャンペーンと文化の大衆化は民衆を扇動し、明らかな洗脳へと誘導した。例えば、小学一年生が最初に授業で習う言葉は、「毛首席万歳」「邪悪な旧世界」「邪悪な米帝国」などであり、共産党が要求する憎悪と階級闘争の決まり文句である。

 

一方、進歩主義教育は歪んだ思想を子どもの教育本(『ヘザーには二人のママがいる』のように)に混ぜ入れている。中国での運動と、進歩主義教育はその手法において異なっているが、どちらも基本的には若者に対するイデオロギーによる洗脳である。このような環境で育った中国の子どもたちは中国共産党の専制政治を心から擁護するようになり、普遍的な価値観で教え諭そうとする大人を中傷し、こき下ろす。一方、西洋で育った子どもたちは怒れる学生となり、伝統を唱える演説者を集団で妨害し、差別者と非難する。

 

中国共産党は政権を樹立するとすぐに、大学や高等学校を標的とした知識層の思想改造キャンペーンを展開した。その主な目的は、知識層の人生観を改造し、伝統的な道徳や「身を修め、家を斉(ととの)え、国を治めれば、天下は平らぐ」という儒教の教えを放棄させることだ。その代わりに、マルクスの階級闘争と「プロレタリアート」の概念を押し付けた。

 

年配の大学教授たちは何度も自己批判を行い、過ちを告白し、同僚の密告や監視、批判に耐えなければならなかった。彼らはプロレタリアートを侵略しないよう、潜在意識レベルの「反革命的な思考」を根絶するよう強制された。もちろん、当時のプレッシャーは現代の「感受性訓練」よりも厳しいものである。一部の人々は屈辱とストレスに耐えきれず自殺した。【58】

 

その後すぐに中国共産党は大学の整理を始め、哲学、社会学など人文科学に関する学科を大幅に縮小し、代わりにソビエト式の科学やエンジニア学科を擁する総合大学を残した。理由は、中国共産党は政権の脅威となる政治や社会に対する独立した意見を受け入れられないからだ。これは、中華民国(台湾)で、かつて人文学科で学問の自由が許されていたこととも関係がある。同時に、マルクスの政治や哲学が必修科目として導入された。このすべての過程は2、3年で完遂した。欧米において、共産主義がマルクス思想を植え付ける過程は1世代の時間がかかった。中国と欧米では期間が異なるが、達成した目標は同じである。

 

1958年、中国共産党は教育改革を始め、以下に述べる状況をもたらした。

 

第一に、プロレタリアートに奉仕するとして、教育が利用されたことである。党委員会の指示により、学生たちは指導要領と資料をまとめるために動員された。北京大学では60人の中国語学科の学生たちが集められ、30日で70万字の論文「中国文学の歴史」を書かされた。【59】

 

これは、まさに進歩主義教育が勧める「学生中心」「探索学習」「協調学習」のいい例である。つまり、何をどのように学ぶかは学生自身が議論し、決定する。目的は明らかである。権威ある人物の「迷信」を否定し(つまり伝統に反抗する態度を奨励)、学生の自己中心性を増大し、後の文化大革命で反乱を起こすための地固めである。

 

第二に、教育と生産労働が統合された。大躍進の頃、各学校には工場があり、教師や学生たちは鉄を精錬し、土地を耕した。人文科学や社会科学を専門とする人民大学さえも、108カ所の工場を動かしていた。この状況で学生たちは「やりながら学ぶ(実践教育)」を経験したが、実際、彼らは何も学ばなかったのである。

 

後に起きた文化大革命の時、学生たちは有形無形に関わらず、すべての伝統的な文化遺産を破壊するよう動員された。(第6章を参照)。これも、欧米で起こった反文化運動に酷似している。文化大革命の後、毛沢東は「ブルジョワの知識人たち」が学校を支配するべきではないと主張した。1966年6月13日、中国共産党は「是正処置」キャンペーンを展開し、大学入試を廃止して「労働者、農民、兵士」を学生として入学させることを明示した。

 

文化大革命時に制作された映画「決裂」は、改革の理由を描写している。「貧しい農家に生まれた若者は十分な学がないが、野良仕事でできた手のタコに入学資格を与える」。学校長が言う。「彼らの低い識字能力を、誰が責められるだろうか?この責任は、国粋主義者、地主、資本階級(圧政者)にとってもらう!」

 

一方、西洋では、数学の試験が人種差別につながるという論文を発表した教授がいた。彼によれば、一部の少数民族の成績が、白人学生より低いからである。【60】また別の教授は、男子学生による数学の好成績は、女子に対する性差別に繋がると主張する。【61】大学入学資格を手のタコで決定することは、数学の成績を人種や性差別のせいだと主張することと同じである。どちらも共産主義が学生の学力を低下させ、知的な成長を阻害することを目的としている。

 

文化大革命の後、中国は大学入試を再開した。その頃から、小学校以降の学習は入試準備の過程となった。功利主義の教育のもと、大多数の学生たちは試験にパスすることのみに集中し、自立した考えや善悪の分別を持たない機械となった。一方で、マルクスの哲学、政治学、経済学は必修科目として残された。

 

伝統文化から逸脱した学生にとって、善悪や正誤の判断基準は、共産主義のそれに切り替わる。9.11同時多発テロの後、多くの中国人学生が喝采を送っていたのはそのためだ。小学生は、大人になったら汚職幹部になると豪語する。女子学生は売春や代理母出産などでお小遣いを稼ぐ有様である。

 

共産主義は、すでに若い世代をハイジャックしたのである。

 

結論:伝統的な教育への回帰

 

教育は、民族、国家、人類文明の将来を担っている。それは長期的な努力を必要とし、その影響は数百年から数千年も続く。過去百年間の歴史を振り返ると、アメリカの教育制度は共産主義のイデオロギーの浸透によって完全に破壊された。親や教師たちは両手を縛られ、子どもたちによりよい教育を施すことができない。学生の能力を開発すべき学校は、彼らを甘やかし、ダメにしている。彼らの道徳観の欠如、スキルの低さ、精神的な脆(もろ)さ、悪習慣、さらに混乱した反伝統的、反社会的な潮流に飲み込まれた状況に対して、社会全体が頭を抱えている。われわれはまさに、悪魔が子どもたち、そして人類の未来を貪っているのを目の当たりにしている。

 

1958年出版の『裸の共産主義者』(The Naked Communistが提示する45のゴールのうち、教育については次のように書かれている。「学校を支配すること。学校を、社会主義と共産主義のプロパガンダの伝導ベルトとして利用する。カリキュラムを緩める。教員連盟を支配する。党の路線を教科書に反映させる」【62】

 

アメリカの教育を見ると、これらのゴールが達成されただけでなく、状況はそれ以上に悪化している。政治や経済において圧倒的に優位なアメリカは、世界中の国々の憧れでもある。大多数の国々は、アメリカの教育改革を模範としている。アメリカの教育概念、指導資料、指導方法、学校経営などは、多くの国々に影響を与えている。従って、アメリカの教育を変えるということは、世界の教育を変えると言っても過言ではないだろう。

 

天地創造、あるいは人類文明が退廃する時期は、大覚者や聖者がこの世に誕生する時である。これらの聖人たちは、人々の「教師」でもある。例えば、ギリシャ文明の始祖であるソクラテスは教育者でもあった。福音書の中で、イエスは自身を「先生」と呼ぶことは正しいと言った。釈迦牟尼は10の称号を持っていたが、そのうちの一つは「天人師」である。孔子も教育者であり、老子は孔子の師であった。彼らは、どうやって人として生き、神を敬い、隣人と調和し、道徳を向上するかを教えた。

 

これらの大覚者と聖人は、人類にとって偉大な教育者だった。彼らの言葉が文明を創りあげ、古代文明の基礎を築いた。彼らが説いた価値観、そして道徳を向上させる道は、人々に健全で超越した精神を養わせた。健全な精神を持った人間は、健全な社会を保つために不可欠だ。偉大な教育者たちが同じ結論に至ったのもうなずける。教育の目的は、よい人格を養うことである。

 

東洋でも西洋でも、数千年にわたって行われていた古典的な教育には、神が人間に与えた文化が継承されている。その中には貴重な経験や資料が維持されていた。古典的な教育では、人間の教育の良し悪しを見る時、才能と人格の両方が判断基準だった。伝統的な教育に回帰し、古典的な教育法を保存し、研究し、学ぶことは、人類にとって貴重な財産になるだろう。

 

高い道徳を備えた人々は、自分を律することができる。これは、アメリカの建国の父たちが望んだことである。道徳的で高貴な人間は神の恵みを受け、勤勉さと智慧により、物質的な豊かさと精神的な満足を得られる。さらに、高い道徳を備えた人々の社会は繁栄し、何世代も続く。これは大覚者や聖人、つまり人類の偉大な教師たちの教えであり、今日の人間が伝統へ回帰する方法である。

 

(参考文献)

[1]A Nation at Risk, https://www2.ed.gov/pubs/NatAtRisk/risk.html.

[2] 同上。

[3] Mark Bauerlein, The Dumbest Generation: How the Digital Age Stupefies Young Americans and Jeopardizes Our Future (New York: Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2008), Chapter One.

[4] John Taylor Gatto, Dumbing Us Down: The Hidden Curriculum of Compulsory Schooling (Gabriola Island, BC, Candda: New Society Publishers, 2005), 12.

[5] Charles J. Sykes, Dumbing Down Our Kids: Why American Children Feel Good about Themselves but Can’t Read, Write, or Add (New York: St. Martin’s Griffin, 1995), 148-9.

[6] Thomas Sowell, Inside American Education (New York: The Free Press, 1993), 4.

[7] Charlotte Thomson Iserbyt, The Deliberate Dumbing Down of America: A Chronological Paper Trail (Ravenna, Ohio: Conscience Press, 1999), xvii.

[8]  Quoted in Robin S. Eubanks, Credentialed to Destroy: How and Why Education Became a Weapon (invisibleserfscollar.com, 2013), 48.

[9]  Quoted in Eubanks, Credentialed to Destroy: How and Why Education Became a Weapon, 49.

[10]  Quoted in Eubanks, Credentialed to Destroy: How and Why Education Became a Weapon, 45-46.

[11] “Ten Most Harmful Books of the 19th and 20th Centuries,” Human Events, May 31, 2005, http://humanevents.com/2005/05/31/ten-most-harmful-books-of-the-19th-and-20th-centuries/.

[12] Mortimer Smith, And Madly Teach: A Layman Looks at Public School Education (Chicago: Henry Regnery Company, 1949). 次の資料もご参照ください:Arthur Bestor, Educational Wastelands: The Retreat from Learning in Our Public Schools, 2nd ed. (Champaign, Illinois: University of Illinois Press, 1985).

[13] John A. Stormer, None Dare Call It Treason (Florissant, Missouri: Liberty Bell Press, 1964), 99.

[14] I. L. Kandel, “Prejudice the Garden toward Roses?” The American Scholar, Vol. 8, No. 1 (Winter 1938-1939), 77.

[15] Christopher Turner, “A Conversation about Happiness, Review – A Childhood at Summerhill,” The Guardian, March 28, 2014, https://www.theguardian.com/books/2014/mar/28/conversation-happiness-summerhill-school-review-mikey-cuddihy.

[16] Alexander Neil, Summerhill School: A Radical Approach to Child Bearing (New York: Hart Publishing Company, 1960), Chapter 3.

[17] Alexander Neil, Summerhill School: A Radical Approach to Child Bearing, Chapter 7.

[18] Joanne Lipman, “Why Tough Teachers Get Good Results,” The Wall Street Journal, September 27, 2013, https://www.wsj.com/articles/why-tough-teachers-get-good-results-1380323772.

[19] Daisy Christodoulou, Seven Myths about Education (London: Routledge, 2014).

[20] Diane West, The Death of the Grown-Up: How America’s Arrested Development Is Bringing down Western Civilization (New York: St. Martin’s Press, 2008), 1-2.

[21] Fred Schwartz and David Noebel, You Can Still Trust the Communists…to Be Communists (Socialists and Progressives too) (Manitou Springs, CO: Christian Anti-Communism Crusade, 2010), back cover.

[22] John Taylor Gatto, The Underground History of American Education: A Schoolteacher’s Intimate Investigation into the Problem of Modern Schooling (The Odysseus Group, 2000), Chapter 14.

[23] Diane Ravitch, “Education after the Culture Wars,” Dædalus 131, no. 3 (Summer 2002), 5-21.

[24] Steven Jacobson, Mind Control in the United States (1985), https://archive.org/details/pdfy-6IKtdfWsaYpENGlz, page 16.

[25] Katherine Kersten, “Inside a Public School Social Justice Factory,” The Weekly Standard, February 1, 2018, https://www.weeklystandard.com/inside-a-public-school-social-justice-factory/article/2011402.

[26] History Social-Science Framework (Adopted by the California State Board of Education, July 2016, Published by the California Department of Education, Sacramento, 2017), https://www.cde.ca.gov/ci/hs/cf/documents/hssfwchapter16.pdf, p. 431.

[27] 同上,391ページ。

[28] Stanley Kurtz, “Will California’s Leftist K-12 Curriculum Go National?” National Review, June 1, 2016, https://www.nationalreview.com/corner/will-californias-leftist-k-12-curriculum-go-national/.

[29] Phyllis Schlafly, ed., Child Abuse in the Classroom (Alton, Illinois: Pere Marquette Press, 1984), 13.

[30] Herbert Marcuse, Eros and Civilization: A Philosophical Inquiry into Freud (Boston: Beacon Press, 1966), 35.

[31] Quoted in B. K. Eakman, Cloning of the American Mind: Eradicating Morality through Education (Lafayette, Louisiana: Huntington House Publishers, 1998), 109.

[32] William Kilpatrick, Why Johnny Can’t Tell Right from Wrong and What We Can Do about It (New York: Simon & Schuster, 1992), 16-17.

[33] Thomas Sowell, Inside American Education: The Decline, the Deception, the Dogmas, 36.

[34] Thomas Sowell, Inside American Education: The Decline, the Deception, the Dogmas (New York: The Free Press, 1993), Chapter 3.

[35] “Death in the Classroom,” 20/20, ABC Network, September 21, 1990. Available at:https://www.youtube.com/watch?v=vbiY6Fz6Few.

[36] Thomas Sowell, Inside American Education: The Decline, the Deception, the Dogmas, 38.

[37] William Kilpatrick, Why Johnny Can’t Tell Right from Wrong and What We Can Do about It, 32.

[38] William Kilpatrick, Why Johnny Can’t Tell Right from Wrong and What We Can Do about It, 45.

[39] “We Teach Children Sex… Then Wonder Why They Have It,” Daily Mail, August 1, 2004, http://www.dailymail.co.uk/debate/article-312383/We-teach-children-sex–wonder-it.html.

[40]  “Focus on Youth with ImPACT: Participant’s Manual,” Centers for Disease Control and Prevention, https://effectiveinterventions.cdc.gov/docs/default-source/foy-implementation-materials/FOY_Participant_Manual.pdf?sfvrsn=0.

[41] Robert Rector, “When Sex Ed Becomes Porn 101,” The Heritage Foundation, August 27th, 2003, https://www.heritage.org/education/commentary/when-sex-ed-becomes-porn-101.

[42] Rebecca Hersher, “It May Be ‘Perfectly Normal’, But It’s Also Frequently Banned,」 National Public Radio, September 21, 2014, https://www.npr.org/2014/09/21/350366435/it-may-be-perfectly-normal-but-its-also-frequently-banned.

[43] William Kilpatrick, Why Johnny Can’t Tell Right from Wrong and What We Can Do about It, 53.

[44] Maureen Stout, The Feel-Good Curriculum: The Dumbing down of America’s Kids in the Name of Self-Esteem (Cambridge, Massachusetts: Perseus Publishing, 2000), 1-3.

[45] Maureen Stout, The Feel-Good Curriculum: The Dumbing down of America’s Kids in the Name of Self-Esteem, 17.

[46] B. K. Eakman, Educating for the “New World Order” (Portland, Oregon: Halcyon House, 1991), 129.

[47] Sol Stern, “How Teachers’ Unions Handcuff Schools,” The City Journal, Spring 1997, https://www.city-journal.org/html/how-teachers%E2%80%99-unions-handcuff-schools-12102.html.

[48] Troy Senik, “The Worst Union in America: How the California Teachers Association Betrayed the Schools and Crippled the State,” The City Journal, Spring 2012, https://www.city-journal.org/html/worst-union-america-13470.html.

[49] William Kilpatrick, Why Johnny Can’t Tell Right from Wrong and What We Can Do about It, 39.

[50] Samuel Blumenfeld and Alex Newman, Crimes of the Educators: How Utopians Are Using Government Schools to Destroy America’s Children (Washington D. C.: WND Books, 2015), Chapter 14.

[51] Phillis Schlafly, Child Abuse in the Classroom, 14.

[52] 參見Valerie Strauss, “A serious Rant about Education Jargon and How It Hurts Efforts to Improve Schools,” Washington Post, November 11, 2015, https://www.washingtonpost.com/news/answer-sheet/wp/2015/11/11/a-serious-rant-about-education-jargon-and-how-it-hurts-efforts-to-improve-schools/?utm_term=.8ab3d85e9e45.

[53] John A. Stormer, None Dare Call It Treason, 104-106.

[54] 例えば、「共通の核心的基準」(Common Core Standards)について多くの人は批判した。この基準に左派の意識形態を図解した内容(informational texts)や、性描写が含まれる文学作品、数学の教育水準の引き下げなどが含まれている。次の文献にご参照ください:Duke Pesta, “Duke Pesta on Common Core – Six Years Later,」 https://www.youtube.com/watch?v=wyRr6nBEnz4, Diane Ravitch, “The Common Core Costs Billions and Hurts Students,” New York Times, July 23, 2016, https://www.nytimes.com/2016/07/24/opinion/sunday/the-common-core-costs-billions-and-hurts-students.html.

[55] 同じ事例は他にも多くある。次の文献にご参照ください:周鯨文:《風暴十年:中國紅色政權的真面貌》(香港:時代批評社,1962),電子版:https://www.marxists.org/chinese/reference-books/zjw1959/06.htm#2。

[56] 羅平漢,〈1958年的教育革命〉,《黨史文苑》,第34期。

[57] Robert Gearty, “White Privilege Bolstered by Teaching Math, University Professor Says,」 Fox News, October 24, 2017, http://www.foxnews.com/us/2017/10/24/white-privilege-bolstered-by-teaching-math-university-professor-says.html.

[58] Toni Airaksinen, “Prof Complains about ‘Masculinization of Mathematics’,” Campus Reform, August 24, 2017, https://www.campusreform.org/?ID=9544.

[59] W. Cleon Skousen, The Naked Communist (Salt Lake City: Izzard Ink Publishing, 1958, 2014), Chapter 12.

 

 

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