1999年中南海直訴「四・二五」の参加者、真相を語る

2008/04/25
更新: 2008/04/25

【大紀元日本4月25日】1999年4月25日は、多くの法輪功学習者らが、天津で不当に逮捕・拘束されたとされる学習者の解放を求め、北京の中南海に直訴しに参集した日で、1万人が集まったとされる。後に、中国当局はこの直訴活動を政治活動と決めつけ、同年7月に開始した弾圧に利用したとされている。しかし、当時、この直訴に参加した学習者らは、組織的な行動は一切なく、学習者一人ひとりが自主的に参加したもので、中南海を取り囲んだのも、警察から指示であり、極めて静かな、平和的な直訴活動だったという。古くからの学習者の一人、周玉玲さんが当時の様子を詳細に語ってくれた。

私は周玉玲と申します。1994年に天津で開かれた講習会に参加したのち、正式に法輪功(ファールンゴン)を学習し始めた北京の学習者です。私は大学院で修士を取得してから、中国国家図書館に勤務しました。1999年、中国共産党(中共)が法輪功に対して迫害を加え始めてから、私は自分の信念を貫いたため、勤務先に解雇された上、強制労働の刑に強いられました。

1999年7月、迫害が始まるまでに私は北京上地の補導員で、北京海淀区山後片の協調人の1人でした。1999年4月25日、私は古い法輪功学習者として、平和的に陳情するために他の学習者と同様に中南海(民衆の苦情を受け付ける場所)へ出かけました。この直訴活動は後に「4・25」と名づけられました。

「4・25」の参加者として、私自身が一部始終を目撃し経験しました。その日に起きたことの詳細はこれまでに、多くの人がすでに述べているため、私はその部分を省略しますが、私が当時もっとも感動した幾つかのエピソードを述べたいと思います。

天津の警察が直訴する学習者たちに対して暴行した事件で、学習者45人が不当に拘束されという情報は、ある学習者が知らせてくれました。天津の警察から、今回の行動は北京公安部が介入していることから、北京公安部の承認がなければ、拘束された学習者の解放はないと明言したことも知らされました。情報を伝えてくれたその学習者は、翌日に国務院信訪弁(民衆の陳情を受け付ける場所)を訪ね、拘束された学習者たちの解放を求めたいと話していました。

事件の経緯を説明したその学習者は、「我々は同じ大法を学び、同じ師父(先生)を信じています。ですから、他の学習者が拘束されたこととは、我々が拘束されたのと同じです。我々は手をこまねいて見ているわけには行かないのです」と語りました。彼女の固い意志は声で表し、私を震撼させました。9年が経った今でも私は、彼女が話した当時の声、表情、眼差しが依然としてはっきりと記憶しています。

*危険を顧みず、立ち上がった学習者たち

当日夜、私は煉功点(皆で一緒に気功の動作を練習し、勉強する場所)の皆さんに当日に起きたことを話しました。学習者たちは驚きを隠しませんでした。だれもが「こんなに素晴らしい気功を、誰が何の目的で攻撃するのか」、政府はなぜ「真・善・忍」に従いよい人になろうと努力する人たちを拘束するのかと不可解でした。また、政府は法輪功に対して理解していないため、誤解が生じたと考える人がいて、事実を説明すべきだと主張する学習者もいれば、年を召した学習者たちは歴年の中共の残酷な運動を連想し、ことを運ぶには慎重にすべきだと諸説紛紛でした。それぞれが異なる認識をもっていることから、私は学習者を誘わないで1人で国務院信訪弁を訪ねることにしました。

4月25日午前6時過ぎ、私は府右街に到着した時点に、すでに一部の学習者がそこにいました。我々は、最初は道の入り口辺りに立っていましたが、警察が散在した学習者を一箇所に集め、列を作り中南海前の通りに沿って西門方向へ連れて歩き出しました。ちょうどこのときに、向かい側からも警察がこちらに向かった別の列を連れて来ました。2つの列が合流すると、警察は学習者たちに対して、中南海に向かって立つように指示しました。私は中南海西門の真向かい側に立っていました。

学習者は絶え間なく現われてきて、我々の煉功点の学習者も多く来ました。82歳の老婦人も、文化大革命時期に深刻な迫害を受けた学習者も来ました。その学習者は中共が民衆に対する弾圧の残虐な本質を良く知っています。当時、彼の奥さんは出張中で、1週間後に戻る予定でした。自宅には小学生の娘がいたため、母親が戻るまでに彼は娘に1週間分の生活費を残し、自分は戻れない覚悟をして、毅然たる態度で自宅を出発しました。私は、学習者それぞれが立ち上がり、表に出ること自体が非常に容易ではないことは知っており、彼らを見ているだけでも、私は心を打たれました。

*夜空の下の静けさ、平和的で穏やかな人々

私は1日中、列の最前列に静かに立っているだけでした。我々は通行に影響を与えないように、目の見えない人たちのために、通路をあけました。最初は、道路上の交通は正常でしたが、のち、公共バスおよび国務院への通行証をもっている車のみの通行になりました。これは警察が通行を制限しているからだとわかりました。

終日、ある時間帯になると学習者たちがビニール袋を取り出して、ごみを拾ったりする以外に、全員は殆ど動いたりしてはいなくて、静かに「転法輪」を読んでいるか、待っているだけでした。

同日午後9時過ぎに、今回のことは合理的に解決され、天津で拘束された学習者も、中南海へ陳情に出かけた学習者代表も解放されたとの知らせが届きました。そして、全員に対して直ちにそこから離れるように呼びかけました。

私は中南海西門から北に向かい、西安門大通りに向かいました。道路の横に座っている学習者たちはまだ今回の事件の進展は良く知らなくて、ただ静かに待っていました。誰も声を出す人はおらず、とても和やかで静かで善意に満ちた雰囲気に包まれていて、思わず涙がこぼれるほど人々を深く感動させました。「真・善・忍」に従い、修煉する人たちが表した善および忍の広い心は、人心を震撼させました。私はそこを遠く離れてから、タクシーに乗りましたが、暫く経っても、心の奥底までふるわされた深い感動に浸っていました。

(翻訳・余靜、編集・藤川)
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