時事評論 文・中原

亡国の音

2015/11/04
更新: 2015/11/04

隋の開皇初年、鄭訳などの楽工が楽音を制定した。文帝はそれを演奏する可否を名高い楽工の万宝常に尋ねた。万宝常は、その楽音は亡国の音であり、陛下にふさわしくないと献言した。文帝の不快を見て、万宝常は訳を述べる。

彼らが作成したものは、哀しみ憎み、淫蕩、放蕩、放縦不羈(ほうしょうふき)であり、雅かで純正な楽音ではない。彼はまた、楽器の調整を行うことを提案した。

勅令を受け、万宝常は多種の楽器を造り、声調を鄭訳らのものより二度ほど下げた。彼はまた『周礼』等の優秀な伝統を継承しつつ、『楽譜』六十四巻を著し、八十四の調、百四十四の律、千八百の声を創作した。優れた業績を多々上げたものの、彼が作った楽器は音色が淡いとして、世評を得なかった。

他の楽工の演奏を聴き、万宝常ははらはらと涙を流した。その訳を尋ねられると、彼は音声が淫蕩で、凄まじく、かつ哀しみ恨むものであり、この国で殺し合いがまもなく起こり、隋はそれによって滅びてしまうだろう、と話した。

当時、隋は全盛期にあったため、誰も彼の話に耳を傾けなかった。結局、大業末年になって、戦乱が四方に起き、隋はたちまち滅亡した。

『礼記』楽記にも「亡国の音」という記述がある。滅亡した国の音楽、とりわけ亡国の運命を暗示するかのような、みだらで哀れな音調の音楽のことだ。

『礼記』楽記では、音楽について社会と人間との関係を次のように述べる。およそ音楽の起源を考えれば、それは人の心の動きによって生ずるのであり、心の動きは周囲の物事が原因になっている。心が物に感応して動くために、それが音声として表現される、という。すなわち、退廃した社会が退廃した道徳を生み、退廃した道徳はまた亡国の音を生むのだ。人類文明史を顧みて明らかだが、文化の退廃は国の滅亡をもたらし、文化の隆盛は国を興隆に導くのだ。

習近平も「亡国の音」に不安なのか、昨年10月15日に催された文芸工作座談会で、文化の頽廃性を批判し、高雅な伝統文化の復興を呼びかけた。現体制の下では如何にしても不可能だが、その願いや注意喚起に拍手を送りたい。

現在公演中の神韻オーケストラの音楽は、高徳の雅楽とされ、聴衆は審美、感動と共に人性の昇華を得たと絶賛している。「亡国の音」を憂える人々には、神韻の営みは邪気を追い払う方途と共に、興国の方策をも示したのだろう。


コラムニスト プロフィール

中原・本名 孫樹林(そんじゅりん)、1957年12月中国遼寧省生まれ。南開大学大学院修士課程修了。博士(文学)。大連外国語大学准教授、広島大学外国人研究員、日本学術振興会外国人特別研究員等を歴任。現在、島根大学特別嘱託講師を務める。中国文化、日中比較文学・文化を中心に研究。著書に『中島敦と中国思想―その求道意識を軸に―』(桐文社)、『現代中国の流行語―激変する中国の今を読む―』(風詠社)等10数点、論文40数点、翻訳・評論・エッセー等300点余り。

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