不世出の首相・安倍晋三 知られざる精神性と意外な素顔 長尾敬氏が語る

2022/09/27
更新: 2023/06/26

自由で開かれたインド太平洋を代表するように、世界的なオピニオンリーダーとして日本を代表する政治家であった安倍晋三元首相。退任後も「軍帥」と呼ばれ国内政治を率い、中国共産党の牽制にも注力したが、選挙演説中の凶弾にその志は突如とした断たれた。

明治時代、同じく急襲に遭った憲政の偉人・板垣退助は暴漢を睨み「自由は死せず」と叫んだという。安倍氏はその揮毫さえしたためていた。交友の深かった長尾敬前衆議院議員は「あの時は、何て言いたかったのか」と日本の未来に精を尽くした安倍氏に想いを寄せた。

――7月8日の事件で、思わぬ形で安倍元首相にお別れを告げることとなった。

いまだに夢のなかで彷徨っているような感じがする。しかし現実は受け入れなければならない。安倍元総理の御霊にお悔やみを申し上げる。

――増上寺での葬儀では、老若男女が安倍氏に弔意を示し、参列した。いっぽう、日本国内メディアは安倍氏に対して批判的だ。こうした現状をどう見るか。

安倍氏は我が国の憲政史上最長となる8年8カ月もの間、首相を務めた方だ。選挙演説中、テロによって凶弾に倒れ、暗殺されるというのは日本のみならず世界にとっても衝撃的なニュースだ。

四九日までは、安倍氏の意見に共感する・しないに関わらず、弔意を示すべきだと思う。9月27日の国葬を心静かに迎えるものだと考えていた。しかし、実際は全くそうではなかった。表現の自由は尊重されるべきだと思うが、果たして日本はそのような死生観を持った民族だったかと首を傾げたくなる。

大東亜戦争時代にもみられたように、敵にも敬意を表する文化がある。死してなお「安倍晋三憎し」が続く、罵詈雑言を浴びる現状は理解に苦しむ。第一義に安倍氏は被害者であり、遺族である昭恵夫人に社会は寄り添うものだと思う。

――戦国時代でさえ相手に塩を贈るという礼儀があった。亡くなってもなお、一部報道機関が攻撃を続けることについてどう考えるか。

おそらく憎いのだろう。または安倍晋三という不世出の政治家の存在が煙たかったのだろう。あるいは(恨みを持つ者の)代理人なのか。

世界から190以上の団体が弔問のために来日する。招待状を送ったわけではなく告知したレベルだが、わざわざお越しになる。英国のエリザベス2世は王室なので比較はできないが、国民から選出された総理大臣がこれほどまで世界から尊ばれる存在ということを、我ら日本国民はもっと胸を張ってよい。海外から弔問に来られる方を私は心からお迎えしたい。

――安倍元首相の生前の功績について。

世界にとっては、安倍第一次政権で芽生えた「自由で開かれたインド太平洋」構想だろう。インドのシン首相が訪日した当時、インドを取り囲む中国の「真珠の首飾り」戦略が取り沙汰されていた。中国が資金力を背景に、インフラ建設に積極的に取り組んでいた。

当時私はスリランカのハンバントタにも赴き、中国が日本の大手ゼネコンと協力してインフラ建設に関わっていたる建設現場を視察した。しかし今はどうだろう。スリランカは中国の債務漬けとなり、大統領は国外に逃亡した。

外交の面から言えば、安倍元首相は日本と価値観を共有できる米国、インド、オーストラリア、欧州諸国、東南アジア諸国と強固な関係を構築してきた。中国やロシアの拡張主義に対し、民主主義国・資本主義国がしっかりとスクラムを組んで連携しなければいけないと提唱したのが安倍元首相だった。

「米国の外交安全保障もシンゾーの発想によるところだ」と米国側も明言している。ここまで功績を残した人物を輩出できたことを、私たちは誇りに思わなければならない。

内政については、どこの国にもある国家安全保障会議(NSC)を初めて結成した。さらに、特定機密保護法やテロ等準備罪などを設けることで、日本の情報・インテリジェンスの土台を固め、諸外国との情報共有を可能とした。物理的な安全保障についても、平和安全法制を整備した。

スパイ防止法ができると困るような方々からすれば、「戦争法案である」とか「徴兵制が始まる」とか、「二、三人が居酒屋で喋っていれば逮捕される」という話になるかもしれない。実に発想豊かだ。

これらのことを乗り越えて、支持率がボロボロに下がろうが、現在我が国が抱えている諸問題を解決するためにきっちりやる、これは安倍政権のなせる業だった。

――安倍元首相が日本を正常な国家にするために努力されていたことが分かる。いっぽう、国会前のデモや一部メディアの批判的な報道による心労もあったと思う。当時の安倍首相の心持ちはどのようなものだったのか?

「気にしていない」と言っていた。

第一次安倍政権時は直接お会いする機会はなかった。当時の秘書や周辺関係者の話を聞くと、昔から患っていた特定疾病である潰瘍性大腸炎が非常に深刻な時期があったという。玄関に着いて靴を脱ぐのも大変だった時期がある。ストレスにより、身体が精神よりも悲鳴を上げてしまったのかもしれない。

第二次安倍政権として返り咲いて以降は「全然気にしていない」と言っていた。「話は聞いているけど、もう慣れたよ」とはっきり言っていた。「ちゃんと話は聞いているよ、いろんな意見があるからね」。精神的に強い方だと思う。

国会質疑で、総理席に座って一言発すれば「ヤジを飛ばした」と批判される。逆質問をしても批判される。街頭演説では一部の者が大騒ぎし、演説を聞きたいと思っている人の耳を遮るような大きな音を立て、視線を遮るようにプラカードを掲げ横断幕を広げる。迷惑行為というほかない。妨害行為をする人について「あんな人たち」と思わず口にした言葉を、なぜ攻撃されなければならないのだろうか。

私が傍で見ている限り、もとより気が長い人ではない。結構ピリピリと…「ムカついているな」と察する瞬間がある。しかし言葉は穏やかだ。ご自身を律していたと思う。

辻元清美議員とのやりとりも楽しかった。確かに野党は政府批判が役割と言われているが、相手が安倍晋三ならば何を言って良いという風潮が国会や世論にあったのではないか。

――銃撃事件について、病院医師の発表と警察発表に違いがあるとの声もある。

真実はひとつなのに、なぜあれほど違うのか。どちらが真実なのか特定されていない異常事態だ。救命にあたった20人の医師の代表である奈良県立医科大学の福島英賢教授、「心臓に損傷があった」と述べた。いっぽう、司法解剖して検死した当局側は「心臓に損傷はなかった」という。

奈良県立医科大学の見解では、銃弾は(首の)右側から入り、心臓を傷つけた。警察は左上腕部から入って左鎖骨下の動脈を損傷したことが致命傷になったとした。右から弾が飛んでくるのと左から弾が飛んでくるのとでは、犯人の特定に影響がある。社会部記者らはなぜ調べないのか。

ご遺族の安倍昭恵さんでさえ、主人は何が原因で命を奪われたのかが未だにわからない。マスコミは真実追求に時間を費やすべきなのに、安倍氏の奥さんであるがために昭恵さんがバッシングされている。

今では、山上容疑者が撃った銃声以外にも音が出ているとの主張もある。これでは山上容疑者が撃った弾が致命傷にならなかったという仮説が成り立ってしまう。仮説が事実でないのであれば消していけばよい。しかしその検証がされていない。

もちろん警察は報道機関ではないので、聞かれなければ答えない。だから新聞記者がいるし、ワイドショーでも取り上げればよいのではないか。

昔、ロサンゼルス旅行中に妻を代理で銃撃されたという三浦事件があった。銃撃の首謀者や真犯人をめぐって、当時は銃弾の入射角を含め毎日多くの報道があったと記憶している。今回そのような報道を行わないことが逆に不思議だ。

――安倍元首相との印象に残るエピソードは。

今年の3月、近畿大学卒業式にサプライズゲストとして講演し、卒業生に祝辞を述べた。特別なことは言わなかった。「皆さんもいろいろと大変だと思うけど、自分も、まさか二度目に総理になるとは思わなかった。私が優秀だったからではなく、最後まで諦めなかったからだ」と語っていた。

選挙の応援によく来ていただいた。さきの衆議院選挙の時の街頭演説でも、安倍氏は「私は長尾敬ほど無鉄砲な男を見たことがない」と述べた。僕は褒め言葉だと思っている。「長尾さん、この際突き抜けちゃってもいいかもね」とも言われていた。選挙後も「言うべきことを言っていくのは重要だからね」と語った。反抗するのではなく、礼節をわきまえた上で、言うべきことは言う。保身に走らない。精神面では、そのような気持ちを引き継ぎたい。

議員在職中、幕末の志士で憲政の偉人である板垣退助を記念する一般社団法人「板垣退助先生顕彰会」の理事を務めていた。板垣退助100回忌(2018年)の際、位牌が焼けてしまったので、「板垣死すとも自由は死せず」との名言を安倍氏に揮毫(きごう)していただいた。

50回忌の時には、安倍氏の親戚で当時の総理大臣だった佐藤栄作氏が、「板垣死すとも自由は死せず」の言葉を揮毫し、石碑として残されている。

「板垣死すとも自由は死せず」は、板垣氏が岐阜で暴漢に急襲された際に発した言葉だ。板垣氏は幸いにも一命をとりとめたが、安倍氏はそうならなかった。あの時は何て言いたかったのかな、と考える。

このような話はあまり表に出ることがない。安倍元首相は当時相当忙しかったと思う。外遊、出張が立て込んでいたが、条幅を渡してから1か月半後ほどで揮毫していただいた。

もう一つエピソードがある。昨年8月23日、大阪府は緊急事態宣言だったが、この日は自身の政治資金パーティーの予定だった。延期せざる得ないと思ったが、安倍氏のスケジュールもあり、緊急事態宣言最中でも安倍氏に大阪に来てもらった。元総理だったこともあり、大阪府警は30人ほど警備要員を配備し、SPもいた。そのときの写真はどこにも出してない。極秘の半日だった。私の地元入りしたのはそれが最後だったかな。

――安倍元首相の生死観について。

人間は二度死ぬと言われてる。一度は肉体の死。そして2度目は存在を忘れられるというもの。私は今、安倍元総理がいつも心に戒めていた吉田松陰の「留魂録」を読んでいる。これは吉田松陰が死生観を綴ったものとされている。

生きるために死んでいく。自分の魂が、自分の生き様の中で残った人たちにどう影響を与えていくのか。これが死してなお生きていくことだろう。

(安倍氏がピアノを弾いた)「花は咲く」では、花が咲いて、実となって種となって、またこれが繰り返される。そのような思いを持ちながら弾いていたのかなと思う。聞いていると涙が出てくる。私も時々ギターで弾くが、2番まで歌うと、途中で涙が出てくる。

「私は何を残せただろう」という部分がある。自分が生きてる間にどんなことを残せただろう、どんな種を残せただろうと自問自答したくなる。まさに昭恵夫人が告別式の時に述べた言葉はそういう意味合いだと思う。私も皆さんも種になっていくことが意志を継ぐということではないか。

――国葬儀で静かにお別れを。

9月27日に行われるのは国葬ではなく国葬儀だ。葬式は増上寺で既に行われたので、今回はお別れ会となる。内閣府設置法を根拠にしっかりと皆さんでお見送りをしたい。

海外から純粋な思いで弔意を示してくださる方が世界から190団体来られる。(抗議活動が)そのような方々の目に触れれば、大変な非礼に当たると思う。そういう意味合いからご遠慮いただきたい。警察も道路許可書を出さないでほしい。表現の自由を阻むのではなく、警備上の安全が保てないということだ。

私も参列をさせていただく。心穏やかに静かにお別れをしたい。本当に安全に執り行われて無事終わればと願っている。

政治・安全保障担当記者。金融機関勤務を経て、エポックタイムズに入社。社会問題や国際報道も取り扱う。閣僚経験者や国会議員、学者、軍人、インフルエンサー、民主活動家などに対する取材経験を持つ。
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