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人と自然の境界を描く  小説『羆嵐』が問いかけるもの

2025/11/12
更新: 2025/11/12

近年、日本各地で熊が人里に出没し、人を襲う事件が相次いでいる。自然との境界が揺らぐいま、百年前の惨劇を描いた吉村昭の小説『羆嵐』が、再び現代に重い問いを投げかけている。

吉村昭の小説『羆嵐(くまあらし)』は、1977年に新潮社から刊行された作品で、1915年(大正4年)に北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢(現在の苫前町三渓)で実際に起きた「三毛別羆事件」を題材としている。巨大なヒグマが開拓民の集落を襲い、わずか数日で7人が命を落とし、3人が重傷を負ったこの事件は、日本史上最悪の獣害事件の一つとして知られる。

物語は、苛酷な自然環境の中で暮らす貧しい開拓民の生活から始まる。やがて冬眠から目覚めた羆が村を襲い、人々が次々と犠牲となる中、熊撃ちの名手・山岡銀四郎(作中の人物)が孤独に羆と対峙する姿が描かれる。銀四郎の存在を通して、自然の圧倒的な力と人間の微小さが鮮やかに浮かび上がる。

作風は情緒を排し、事実に基づく冷静な記述でありながら、現場の緊迫感や羆の猛威、人間の極限状態を生々しく伝えるドキュメンタリー的な筆致が特徴である。映像化、ラジオドラマ化もされたが、史実を徹底的に取材した吉村ならではのリアルな文体が際立ち、刊行から半世紀近くを経た今もなお、高い評価を受け続けている。

『羆嵐』は単なる熊害事件の記録ではなく、人間の無力さと生命力、そして自然との共生の難しさを静かに問う作品として、時代を超えて読み継がれている。