オピニオン 『九評共産党』の視点から見る歪んだ愛国心と闘争哲学

富士山頂で中国五星旗を掲げ物議 中国人の心の中に潜む中国共産党文化

2026/05/07
更新: 2026/05/07

日本の象徴である富士山の山頂で、中国人観光客が突然、中国国旗を振りかざし、これに対してアメリカ海兵隊員と推測される人物が日本国旗を振り返したところ、周囲から笑いが起き、その中国人観光客は気まずそうに退散したとされる出来事が、ネット上で広く拡散している。

この出来事を受け、ネット上では「中国人はどこに行っても傲慢だ」「他国への敬意がない」など、中国人全体に対する強い反感や排他主義的な感情も広がっている。

中国は古来、儒教が説く「仁義礼智信」を人倫の規範とし、礼節を重んじる文明として「礼儀の邦」と呼ばれてきた。

他者を尊重し、自然を畏敬する高度な精神文化を持っていた中国人が、他国の神聖な場所で挑発的とも受け取られる行動を取る背景には、中国人の生まれつきの性質ではなく、中国共産党が数十年にわたり国民に植え付けてきた統治手法や「党文化」がある。

ほとんどの中国人は生まれた時から「党文化」にさらされ、大小はあれど思考方式は「党文化」の影響を色濃く受けており、中国人が共産党を批判していても党文化の思考の上で批判しているのであって、西洋の自由主義国家の批判とは異なっている。

大紀元の社説『共産党についての九つの論評(九評共産党)』の視点では、この中国人の富士山頂での行動は、1)神聖な場所に対する敬意の欠如、2)党と国家を混同させる歪んだ国家観、3)扇動されたナショナリズムの脆さという三つの側面で見ることができる。

1)神聖な場所に対する敬意の欠如

第一に、富士山頂で自国の国旗を振りかざす行動には、自然や他国の文化に対する敬意の欠如が表れている。富士山は日本の霊峰であり、信仰の対象でもある。その山頂で国旗を掲げ、「征服した」「自分たちが強い」と誇示するかのような振る舞いは、大自然に対する畏敬の念を失った行動といえる。

『九評共産党』は、中国古来の自然観と、共産党が宣揚した闘争哲学の違いについて、次のように述べている。

「人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」というように中国人は古来、天と人は一つであり、人と天地は融合し、互いに依存し合って生存すると信じ、それを守ってきた。天の道は不変であり、その循環には法則がある。地は天の時に従って、四季がはっきりと分かれ、人は天地を尊びて、恩に感謝し、福を惜しむ。いわゆる「天の時、地の利、人の和」である。中国人の概念の中では、天文、地理、暦法、医学、文学、そして社会構造に至るまで、すべてこの理念に貫かれているのである。

しかし、共産党は、「人は必ず天に打ち勝つ」と宣揚し、「闘争哲学」を持ち、天地自然を見下してきた。毛沢東曰く、「天と戦いてその楽しみは尽きず、地と戦いてその楽しみは尽きず、人と戦いてその楽しみは尽きぬ」共産党はその中から本当の楽しみを得たかもしれないが、人民はそのために痛ましい代価を支払った」

【第四評】共産党は宇宙に反する「序文」

この視点に立てば、富士山は「尊び、恩に感謝すべき自然」ではなく、国家的なプライドを誇示するための舞台として扱われたことになる。自然と闘い、打ち勝つという発想が教育を通じて浸透した結果、他国の象徴的な場所で国旗を振るという行動に結びついたとみることができる。

 

2)党と国家を混同させる歪んだ国家観

第二に、この行動は、党と国家を意図的に混同させる中共の宣伝教育によって、愛国心がねじ曲げられていることを示している。海外の観光地で唐突に中華人民共和国の国旗である五星紅旗を振りかざす行動は、単なる国への愛というより、党によって形成された「愛国」の表現とみられる。

『九評共産党』は、中国における党と国家の関係について、次のように指摘している。

「「党」は中国にあっては無上の存在であり、「国家」は「党」の付属なのである。「国家」は「党」のために存在し、「党」は人民の化身であり、「国家」の象徴である。党を愛し、党指導者を愛し、国を愛することがまぜこぜになっている。これこそ中国の愛国主義が捻じ曲げられた根本原因である。

長期にわたる宣伝と洗脳の影響で、多くの党員、非党員ともに、意識的あるいは無意識のうちに党と国家の位置付けを誤り、「党の利益」が一切のものに優先すると考えるようになった。あるいは、「党の利益は人民の利益、国家の利益である」ということを黙認する」

 

【第九評】中国共産党の無頼の本性「五(七)厚顔無恥にも国家を党の下におき、人民に賊を父と呼ばせる」

このような党文化の下では、国旗を振ることが「国家の利益」や「愛国」と錯覚されやすい。他国の領土で自国の存在感を誇示することが愛国的行為であると信じ込まされれば、時と場所をわきまえない行動にもつながる。
 

3)扇動されたナショナリズムの脆さ

第三に、今回の騒動では、中国人観光客が国旗を振って威勢を示した後、アメリカ海兵隊員が日本国旗を掲げ、周囲が笑った途端に気まずそうに退散した点も象徴的である。この反応は、行動が内発的な誇りや確固たる信念に基づくものではなく、宣伝によって扇動された虚勢であることを示している。

『九評共産党』は、共産党が愛国主義や民族主義を利用して民衆を動員する手法について、次のように述べている。

共産党はこのことを見定め、全ての中国人を服従させる必要のある大事に当っては、「愛国主義」、「民族主義」方式で民衆を緊急動員する。台湾、香港、法輪功、米軍用機衝突事件などについては、恐喝と集団洗脳で全国人民を一種の戦闘状態に引きずり込む。これはかつてのドイツにおけるファシストの手口とよく似ている。

 

(【第九評】中国共産党の無頼の本性「五(六)『愛国主義』とは、人民を緊急総動員するための邪教の号令である」)

この観点から見れば、国旗を振る行動は、集団洗脳によって火をつけられた戦闘的なナショナリズムの表れである。しかし、自由社会におけるユーモアや冷静な対抗に直面すると、その虚勢は一気に崩れる。気まずくなってその場を去ったとされる行動は、中共の洗脳システムが、自由と多様な価値観の前では脆さを露呈することを示している。

富士山頂での国旗騒動に対し、日本人が違和感や反発を抱くのは自然な反応である。ただし、その怒りを「中国人はどうしようもない」という民族全体への排斥感情に向ければ、問題の本質を見誤ることになる。

この出来事の背景にあるのは、個人の資質ではなく、中国共産党による長年の暴政と洗脳教育によって、五千年の伝統が育んだ自然への畏敬や他者への配慮が奪われ、歪んだ愛国心と闘争哲学が植え付けられてきたという構造である。

人民には中共の血生臭さが骨身にしみている。そして、中共無頼漢の「強権」を恐れている。それ故、人々はもはや正義を擁護しようとはせず、公理を信じようともせず、最初は「強権」に服従し、その内感覚がなくなり沈黙し、我関せずという姿勢を貫くようになる。思考論理も自然に「強権」に従うようになってしまう。これこそ中共の暴力団的無頼漢の本性を示すものである。

 

(【第九評】中国共産党の無頼の本性「五(六)『愛国主義』とは、人民を緊急総動員するための邪教の号令である」)

 

真に非難し、警戒すべき対象は、中国人個人ではなく、人間の心から正常な倫理観を奪い、世界各地で摩擦を引き起こすよう国民を洗脳・扇動している中国共産党の統治システムと党文化そのものである。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
現代中国は中国共産党であって、もともとの中国とは全く違うものだ。日本に一番残っていると言われる中国共産党以前の中国の素晴らしさを伝えます。