トランプ氏の知性を疑う人々の「知性」を問う

2026/07/12
更新: 2026/07/12

米国の政治論議には、攻撃される側よりも攻撃する側について多くのことを物語る、奇妙な儀式がある。自分一人だけが主張している間は、ほとんどどのような議論も説得力があるように聞こえる。

ほとんどどのような議論も、それを主張する者が一人しかいない間は、説得力があるように聞こえる。問題が生じるのは、ほかの人々が厳しい質問を始めた時、つまり批判的に考える人々が、その立場を裏付けているとされる「厄介な事実」を示すよう求めた時である。

特定の意図に沿った主張が疑問を突き付けられて崩れ、会議室という閉ざされた空間では盤石に聞こえた論理的基盤が空虚に響き始め、その立場を内容そのものによって維持することも、売り込むこともできなくなると、戦略はたちまち変わる。

聴衆がただ「うなずいて同意する」ことを期待していた傲慢な攻撃者は、最後のあがきとして避けられない手段、すなわち個人攻撃に訴えるのである。

小学4、5年生の頃の校庭で、いじめっ子や「意地悪な女子たち」が追い詰められ、自分たちの立場やうそ、非難を実際に裏付けなければならなくなると、話はすぐに「そうかよ。でも、お前の母ちゃんは軍靴を履いているじゃないか」といった言葉に崩れていったことを覚えている。(これで私の年齢が分かるだろう)

現代米国の論説欄やケーブルテレビのスタジオでは、ドナルド・トランプ大統領の認知機能が損なわれているとの維持不可能な主張が、「そうかよ。トランプが満点を取ったから何だ。あの検査は冗談みたいなものだ。それに、満点だからといって知性があることにはならない」といった話に崩れていった。

確かに「軍靴」への言及はない。しかし、これは批判者たち自身がトランプ氏に受けるよう要求していた検査であり、ジョー・バイデン大統領が断固として受けることを拒否したのと同じ検査であるという事実を、軽く見てはならない。また、議論が認知機能の健康状態から知性へと瞬時に切り替わったことにも注目すべきである。

認知機能の低下という非難と、批判者たちが持ち出した以上、知性の低下という非難についても、臨床評価に求めるのと同じ精密さと知的誠実さをもって検討する価値がある。なぜなら、政治的動機に駆られた批判者たちが放棄したものこそ、まさに精密さと誠実さだからである。そこで、彼らがしようとしない作業をわれわれが行うことにする。

まず、実際の医療記録が何を示しているのかを見てみよう。

トランプ氏は、記録で確認できるだけでも少なくとも3回、モントリオール認知評価、すなわちMoCAを受けている。ロニー・ジャクソン医師や、最近では2025年4月にウォルター・リード国立軍医療センターで総合的な健康診断を実施したショーン・バルバベラ医師を含む担当医らは、いずれもトランプ氏が30点満点を取ったと報告している。

バルバベラ医師の正式な覚書は、大統領が「優れた認知面および身体面の健康状態を示している」とし、職務を遂行する上で「完全に適格」であると結論付けた。総合的な神経学的検査では、医師自身の言葉によれば、「精神状態、脳神経、運動機能および感覚機能、反射、歩行ならびに平衡感覚に異常は認められなかった」。

報告書によると、評価はMoCAをはるかに超える内容であった。MoCAでは、短期記憶、視空間認知能力、実行機能、注意力および集中力、言語能力、抽象的思考、見当識という7つの特定の認知領域を評価する。神経学的な健康状態に関する身体的評価も実施され、異常のない検査結果が得られた。

要するに、これは正常と異常の境界線上にある結果ではない。慎重な留保や細かな条件付けを必要とする結果でもない。資格を持つ医師が実施し、正式な医療記録に記載され、一般の閲覧に供された、神経学的に健康であるとの明確な診断である。注釈記号もなければ、脚注もない。

MoCAでの満点に加え、米軍随一の医療施設に所属する医師らが認定した、徹底的な身体検査および神経学的検査の結果がある。大統領が最高の健康状態にあることを、全ての米国人が喜ぶべきである。

ここで、トランプ氏を批判する人々の知的不誠実さが最も明白になる。認知機能検査の結果が、彼らの求めていた「機能低下」という筋書きを裏付けなかったため、二つの驚くべき方向転換のうち、最初の一つが起きたのである。

彼ら自身が支持し、疑わしいと考える大統領には誰であれ受けさせるべきだと要求していた、まさにそのMoCAが、突然、彼らの説明では不十分で、物足りず、単純過ぎ、厳格さを欠く検査になった。検査結果が自分たちの目的に役立たなくなったため、合格基準が即座に変更されたのである。

これは、いかなる科学的手順にも論理にも従っていない。あらかじめ決められた結論に合わせてつくり出された、自己都合による主観的な論理である。

残念ながら、自ら基準を要求し、その基準が複数回にわたって満たされた後に、その結果が気に入らないという理由で、遡って基準が不十分だったと宣言することはできない。それは証拠の扱い方ではない。医療の在り方でもない。誠実な議論や探究の在り方でもない。

MoCAは、アルツハイマー病、パーキンソン病に関連する認知症、脳卒中に伴う機能障害、軽度認知障害などの認知機能障害を検出することを特に目的として設計された。満点は、こうした疾患が存在しないことを示唆するだけではない。スクリーニングの段階で、その可能性を除外するものである。

18か月に満たない期間に実施された3回の検査で、いずれも満点を取ったことは、さらに重要な意味を持つ。経時的な傾向と臨床上の基準値が確立されたのである。

認知機能検査を繰り返し実施することは、重複によって検査の有効性を損なうどころか、「検査前・検査後」の比較を可能にする。これはまさに、臨床医が時間の経過に伴う認知機能の推移を追跡する方法である。

検査を繰り返すこと自体が何らかの疑わしさを示すと主張する批判者たちは、科学を正反対に、しかも恥ずかしいほど逆に理解している。繰り返し測定することは、臨床的な経過観察における最も信頼性の高い標準的手法である。以上である。

したがって、医療記録は明確である。認知機能の低下という問題については、直接的、専門的かつ繰り返し検討が行われている。

しかし、批判者たちは満足しない。なぜなら、医療をめぐる議論は、実際には最初から医療についてのものではなかったからである。それは政治についての議論だった。

そこで議論は、より広い意味での知性という問題へと移る。これが第2の方向転換である。

ここから議論は、より微妙で、より興味深く、率直に言えば、「人格抹殺」を試みる攻撃を仕掛ける側にとって、より不利なものになる。

結論を後回しにせずに言えば、生来の知性と、適応的あるいは応用的な知性の双方に関する証拠を誠実にたどれば、データに基づく率直な結論に行き着く。われわれには極めて聡明な大統領がいるということである。

まず、米国大統領選に本格的に出馬するだけでも、どれほどの認知的柔軟性と知的能力が必要かを考えてみよう。それは途方もない規模と複雑さを伴う取り組みである。

トランプ氏はそれを1度でも2度でもなく、3度行い、そのうち2度、地球上で最も強大かつ影響力のある地位を獲得した。それは世界で最も厳しい監視にさらされ、最も激しく争われ、最も大きな要求を課される指導者の地位である。

2度目には、現職政権の制度的な力、調査によって90%以上が敵対的であることが確認されたメディア機構、さらに立候補が始まる前に終わらせることを特に目的として展開された前例のない法的攻勢に対抗して、これを成し遂げた。

この人物、その手法、政策、価値観、結果についてどのように考えるにせよ、その成果に必要とされた知的能力と適応能力を矮小化することはできない。その実績は並外れている。

では、トランプ氏の知能指数(IQ)はどの程度なのか。現職の米国大統領で正式なIQ検査を受けた者は、これまで一人もいない。

したがって、トランプ氏だけに向けられるこの要求は、中立的な基準ではなく、政治的な武器である。

とはいえ、一定の合理的な推論は可能である。批判者たちが「知性という幹線道路」を走ることに固執するのであれば、シートベルトを締め、それがどこへ通じるのかを見てみよう。誠実な探究には、証拠がどこへ導こうとも、それをたどることが求められる。

知能検査の直接的なデータがない場合でも、幾つかの基準となる出来事から推論による結論を導くことはできる。

トランプ氏は、ペンシルベニア大学ウォートン校で学士号を取得した。同校は、世界で最も難関かつ権威あるビジネス教育課程の一つである。

経営大学院入学適性試験(GMAT)との相関関係、大学進学適性試験(SAT)のデータ、心理測定学の研究文献に基づき、ウォートン校と同程度の教育機関に入学し、卒業した学生の認知的特性を調べた研究では、卒業生の推定IQは125~135の範囲に位置付けられている。

ウェクスラー成人知能検査第5版(WAIS-5)を含む主要な標準知能尺度では、この範囲は明確に「平均より高い」から「非常に高い」という分類に当たる。「平均より高い」は120から始まり、「非常に高い」は130から始まる。

これはわずかな違いではない。測定された人間の認知能力の中でも上位に当たる水準であり、このような得点を持つ者は、高い確率でメンサへの入会資格を得る。メンサは、知的能力が上位2%に入る人々で構成される、世界的な高IQ団体である。

トランプ氏は学部生としてウォートン校に編入し、卒業した。信頼できるいかなる心理測定学的論理に照らしても、認知能力の分布における下位層の能力しか持たない人物が、世界で最も選抜性の高い学術機関の一つから学位を得ることはあり得ない。

学歴を別にしても、知性に関する研究文献は、トランプ氏の特性に驚くほど正確に当てはまる枠組みを示している。

ロバート・スターンバーグの「知能の三部理論」は、従来のIQ検査が測定する分析的知能と、実践的知能、創造的知能を区別している。

実践的知能は、世慣れた知恵や適応的知能とも呼ばれ、静かな検査室で図形の規則性を推理する課題を解く能力とは全く異なるものを測定する。

実践的知能が測るのは、周囲の状況を読み、人を管理し、権力構造をうまく進み、複雑さ、危険、不確実性を伴う現実世界の状況で成功する能力である。

この尺度で見れば、実績は異例なほど明確な事実を示している。トランプ氏は、世界で最も容赦のない競争分野の一つで、世界規模の事業帝国を築き、維持してきた。

多くの本格的な起業家と同様、その歩みが成功だけで構成されていたわけではない。しかし、成功とともにトランプ氏を際立たせているのは、適応力、創造力、そして大きな打撃を受けても、それを乗り越え、より賢明かつ強くなって戻ることを可能にした回復力である。

トランプ氏は、経験豊富な政治家16人を相手に大統領選挙を戦い、現代のいかなる候補者も経験したことのないほど敵対的なメディア環境を切り抜け、分裂した政党をまとめ、2度にわたって最後まで勝ち残った。

こうした結果が知性の低い人物によってもたらされたとする主張は、単純にばかげている。分析的にも、実証的にも、論理的にも意味をなさない。トランプ氏が達成したことを偶然に成し遂げることはできない。

また、意思疎通の様式は人によって異なることが多く、大勢の聴衆に直接的で理解しやすい言葉で語る指導者が、認知能力の乏しさを示しているわけではないことにも留意する必要がある。

その指導者は、聴衆とのつながりを生み出し、親近感を持たせるための、高度な戦略的認識を示している可能性が十分にある。

実際、ロナルド・レーガン氏の演説も、文章の難しさを測る指標では、一貫して中学3年生から高校1年生程度の水準だった。それでもレーガン氏は、20世紀を代表する重要な大統領の一人となった。分かりやすい言葉で多くの人に語りかけることは、知性の低さを意味しない。ところが現在、同じ指標が、全ての米国人に伝わる言葉で話すトランプ氏を批判する材料として使われている。

トランプ氏が推進した一部の優先事項や決定に同意しない人もいるだろう。政策、気質、価値観、様式について、強く反対する人もいるだろう。

それは民主的な議論において完全に正当な営みであり、私はそのように反対する権利を、ためらうことなく擁護する。

しかし、トランプ氏の知性を退け、その特定のこん棒を手に取ることは、それまで行っていた議論を放棄し、自らの価値観に関する主張を内容そのものでは勝たせられないと、暗黙のうちに認めることである。

認知機能検査は、適切に、繰り返し実施されている。検査を行ったのは資格を持つ医師であり、その所見は公的な記録となっている。

検査結果は、批判者たちが最も声高に懸念していた疾患の可能性を除外した。トランプ氏の学歴と、卒業後40年間にわたる成功から導き出せる心理測定学上の推論では、臨床的に重要な尺度において、トランプ氏は最も妥当には「非常に高い」範囲に位置付けられる。

実践的知能と適応的知能に関する本格的な枠組みによって評価した場合、トランプ氏の経歴が現実世界でもたらした結果は、精神機能が損なわれた人物によるものではない。それは、例外的に高い水準で能力を発揮する人物がもたらした結果である。

議論の一方が、内容そのもので負けつつあることに気付き、「お前の母ちゃんは軍靴を履いている」といった言葉に話を切り替える時、それは知的な自信の表れではない。知的な力が尽きたことの表れである。

ドナルド・トランプ氏の知性に対する非難は、ドナルド・トランプ氏についてはほとんど何も物語らない。しかし、その非難を行う人々については、非常に多くのことを物語っている。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。