香港初代行政長官の董建華が死去 親中路線を推進

2026/09/09
更新: 2026/09/09

香港特別行政区の初代行政長官で、前全国政治協商会議(政協)副主席の董建華が8日、死去した。89歳だった。董建華の事務所が発表した。親族に見守られて亡くなったという。歴代の香港行政長官経験者として初めて死去した。

董建華は1937年、上海生まれ。香港の海運業界大手、董浩雲氏の長男。47年に一家で香港へ移住し、英国留学後、米国のゼネラル・エレクトリック(GE)などに勤務した。69年に香港へ戻り、家業の経営に携わった。

82年に父が死去すると家業を継いだが、経営難に陥り、1億2000万ドル規模の救済策を受けた。この資金を手配したのが、香港の親中派実業家、霍英東氏だったとされる。董建華は後に、救済資金の一部が中国本土から提供されたことを認めた。

霍氏は北京の政財界で大きな影響力を持ち、93年から全国政協副主席を務めた。ロイター通信によると、霍氏は董建華を当時の中国共産党総書記、江沢民に引き合わせた。これが董建華の初代行政長官就任につながったとされる。

1996年12月、中国政府は香港返還後の初代行政長官を選出するため、400人で構成する選挙委員会を設置。董建華が選ばれ、1997年7月1日の香港返還に伴って初代行政長官に就任した。

任期は5年で、02年には対立候補がなく無投票で再選された。

23条問題で支持率低下、任期途中で辞任

董建華の在任中、香港はアジア通貨危機やSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行、景気低迷など相次ぐ困難に直面し、董建華の支持率は低迷した。

2003年には、香港政府が基本法23条に基づく国家安全関連の立法を進めた。これに反発して同年7月1日、約50万人が抗議デモを行い、法案は棚上げされた。

董建華は2005年3月10日、2期目の任期途中で辞任した。健康状態の悪化と高齢を理由に挙げた。当時67歳だった。

辞任後の同年、全国政協副主席に就任。約18年間務め、23年の政協改選に伴って退任した。

政協副主席退任後も活動

政協副主席退任後は、シンクタンクや財団の設立などを通じて活動を続けた。

2008年には「中米交流基金会(China-United States Exchange Foundation)」を設立し、会長に就任した。同基金会については、米議会の調査担当者が中共による政治工作の道具と認定したことがあり、北京が進める統一戦線工作の一環とみなされている。

2014年には「我が香港基金会(Our Hong Kong Foundation)」を設立した。同基金会は、北京が香港で進める「一国二制度」政策の実施を維持、推進することなどを目的としている。

ブルームバーグ通信によると、董建華の死去を受け、今後、政府がどのような形で追悼行事を行うのかに関心が集まっている。習近平・中国共産党総書記が出席するかどうかも注目されている。

董建華は香港の歴代行政長官経験者として初めて死去したため、政府による公式の追悼や記念行事については、これまでに定まった前例がない。

林燕