【連載】かつてなき 邪悪な迫害 人類の善性を滅ぼすもの 第一章 メディア  完全なるメディア支配(クライブ・アンスレイ)

中国政府と中国共産党に対して最も批判的かつ 懐疑的な反対者を操る効果的な方法

2019/08/10
更新: 2019/08/10

 

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私は14年間、中国に住み、働いていた。そして1999年から2003年にかけて、中国共産党(中共)と当時の江沢民国家主席が放った悪意ある罵詈雑言及び法輪功を悪魔とみなす運動を直接目撃した。その当初は、江主席及び彼の側近の小さな悪魔の陰謀団が脅威とみなした平和的な法輪功修煉者に対する「最終的解決方法」として作り出した、悪夢の、極悪非道な陰謀を、誰も真剣に考えたり、あるいは予見したりすることはできなかった。

 今日、中共による大量殺人と法輪功修煉者からの臓器の強奪という事実は、疑う余地がない。申し分のない情報源から得た大量の証拠によって、我々はこの屠殺が事実であると認めざるを得ない。しかし振り返ってみると、ナチス・ドイツが行った数々の残虐行為でさえ些細なものに見えてしまうような残虐行為が、中国で1999年以降衰えずに続いている原因となっている中国の政治システムには、いったい何があるのであろうか。

 それはどこから来たのだろうか。なぜそれが可能になったのだろうか。後でわかったことだが、江沢民が指示した法輪功に向けられた憎悪と辛辣な批判という驚くべきヒステリックな運動は、「邪教」(ここでは中国共産党ではなく、その相手方を指している)との英雄的な戦いの名目で、後に同志たちに対して最も残酷な残虐行為と拷問をさせられることになる人々の感覚を麻痺させるために、意図的に行ったことが明らかになったように思われる。

 ナチス・ドイツと今日の中国の際立った特徴を並置すると、「その犯罪行為を注意深く隠ぺいする冷酷な政党」による市民からなる理性的な社会の暴走という、不気味に類似した両方の迫害が、共に国際社会に受け入れられてきたと、あるイスラエルの教会裁判所の判決は指摘した[1]。

 ゲッベルスの理論「大きな嘘」は、詳細な説明が不要なほど、あまりにも良く知られている。何度も繰り返し広範囲に嘘を伝えることで、人々は真実だと思い込むようになる。ナチス・ドイツはその原理を最大限に利用して、ユダヤ人を悪魔であるとした。彼らは、ユダヤ人は亜種であり本当の人類ではなく、ドイツ社会にとって危険な脅威であると描写することに成功した。

 これは私が見た、中共が法輪功に対して実施した「大きな嘘」である。中共の政策モデルの多くは、ナチス・ドイツの中に見られるので、誰も驚かないはずである。いわゆる中国の「共産主義者の」政党は名ばかりのものであり、実際は完全に、ファシズムの旧知の定義に適合している。

 私が目撃した法輪功に対して展開された運動は、ナチスによるユダヤ人を悪魔とみなす運動の日々を思い起こさせるものであった。しかし、私はさらに恐ろしい事実を予想できなかった。

 皮肉なことに、その頃法輪功に対する大規模なメディアの中傷によって、法輪功修煉者がいつも非人間的な犯罪やわいせつな犯罪などの様々な濡れ衣を着せられたことによって、我々は今、中共が、法輪功修煉者、人権弁護士、反体制派、キリスト教徒、ウイグル民族、チベット民族に対して被害を与え続けていることを知っている。

 迫害の当初、法輪功を「邪教」と断定したのは、江沢民であった。中共に狙われた歴代の被害者のうちで、最新のグループに対する憎悪の炎を幅広い範囲で煽るために、中共は法輪功修煉者が自分たちの子供を殺したとか、さらには修煉者が本当に自分たちの子供を食べてしまったとまで記した記事を発表したのである。

 迫害開始から数年間、毎日印刷媒体やテレビなどのメディアで宣伝されていたこの煽動的で恐ろしい記事や作り話が、中共が作り出し広めようとした理屈なき「邪教」の典型的な姿と内容を与えた。

 中国メディアがよく取り上げた話として、ある人物が南京の人気レストランで殺鼠剤を麺料理に入れたというものがある。42人が死亡した。これらの殺人は法輪功の教えに原因があるとされた。当時、私は法輪功について何も知らなかったが、ほんの少しもこの話を信じなかった。その理由の一つとして、法輪功にこの大量殺人の責任を負わせることは、基本的に中国当局の一部の者による後知恵の産物であるという、とても強い印象を持っていたからである。この殺人の被告人の「裁判」については十分に公開されていたが、その事件の報道の中で、法輪功についての言及はなかった。しかし、被告人が刑の執行のために連れ去られようとする時、メディアは「ちなみに、彼は法輪功学習者であった」と一言付け足していたようであった。このように、ほとんどの事件は、法輪功との関連性を後でとって付けられる前にすでに展開されていたことを、私ははっきりと覚えている。

 このように、初期の頃は、法輪功に向けられた激しい憎悪が込められなかった報道はなかったようで、たいてい、極悪非道の非人間的な行動は法輪功を学んだ結果であると結論づけられていた。

 先ほども述べたが、私は迫害の初期、法輪功について全くの無知であったが、中共の糾弾にはかなり懐疑的であった。中共によって名誉棄損の被害を受けた法輪功の人たちには、当然のことながら、糾弾に対して回答するための公開討論も認められていなかった。しかし私は、長らくの個人的な経験から、中共政権下の中国は組織的な虚偽に基づいていることを知っている。中共の指導者、党と政府組織、そして報道官が事実上病気であるという見方は正しい。彼らは真実を、たとえそれが彼らに害を与えないものであっても、語ることはできない。中共は一般原則として、たとえ真実を隠す理由がなかったとしても嘘をつく。中国で広く知られた「人民日報の唯一の真実は日付だけ」という、既にお決まりのジョークがある。そのため、私は懐疑的であったのである。

 なぜ、中共は中国公民に「大きな嘘」を売りつけることができたのか。
 これは単純ではなく、また不可解な疑問である。なぜならば、ほとんどの中国人の目には、信ぴょう性のなさに苦しめられている中共が、その信ぴょう性の欠如に打ち勝っているように見えるからである。中共は数々の理由により中国で憎まれている。そしてその憎悪の他に、見かけの信ぴょう性さえ欠けていると理解されている。それではどのようにして中共は、のけ者と想定した者たちへの迫害に着手し続け、多くの中国公民をその加害者の隊列に加え続けられるのであろうか。

 中国は複雑で多面的な社会だという観察は、使い古された言い方である。しかしそれは、一方の中共に対する軽蔑と恐怖、そしてもう一方の中共のプロパガンダキャンペーンの相次ぐ成功という、説明のつかないこれらの相反する行動を理解するための基本となる。

 我々は少なくともいくつかの、これらの不可解な相反する行動に至る要因を確認できると信じている。まず、すべてのファシスト政権のように、中国は好戦的な愛国主義とナショナリズムに応じることで大きな利益を得ている。国の内外に架空の脅威を作ることが試みられる。中国における西側の帝国主義勢力による侵略と略奪の歴史は、これら西側勢力に対して統合失調症のような態度を作り出してきた。19世紀から20世紀にかけて中国が帝国主義国家の侵略で被害を受けたという、風化してしまいかねない遺産を執拗に主張する中国の傷ついたプライドを生かすことに、特筆すべき成功をあげてきた。

 中共を常々ひどく嫌っている人々も、反米デモやチベット、台湾、東シナ海あるいは南シナ海の島々に対する領有権の要求については、中共の指導者たちを陰で支持している。

 同様に、国内問題に関して中国共産党の習慣的な嘘を嘲笑する多くの人々を私は知っている。しかしながら、彼らはまた、特定の問題について党の路線を鵜呑みにしていた。

 たとえば、ほぼ100%の中国人が死刑制度に賛成している。私が冤罪の被告に対する処刑は避けられないという考え方から死刑制度に異議を唱えると、ほとんどの場合、信じられないという反応が返ってきた。典型的な返答は、中国の警察は有罪ではない人物を起訴しないから、刑事裁判にかけられた人物に無実の者はいないというものであった。しかし、この議論をする人の多くは、中国共産党と中国全体のシステムにとって最も耳障りな批評家であった。彼らは頻繁に中共の信頼性について非難していた。しかし、中共が警察と法廷をミクロのレベルまで管理しているという事実は、彼らの頭には決して思い浮かばないのである。

 私が中国にいた頃に一緒に働いていた弁護士のほぼ全員が、人民日報の日付が唯一の真実というジョークをしょっちゅう思い起こしていた。しかし、自分の子供二人を殺害した女性法輪功修煉者の話について、ある弁護士と議論したことを私はよく覚えている。その時、私は法輪功について何も知らず、話はでっち上げだと主張しなかった。ただ、なぜ与えられた根拠を信じなければならないのかと聞いてみた。

 議論は、法輪功修煉者は「ひどい人々」であるという弁護士の言葉でヒートアップした。私はその確信について尋ねた。その弁護士は、この法輪功の母親による二人の幼児の殺害の話を例に挙げて答えた。私が「しかし、どのようにしてあなたはそれが真実であると、それが本当に起こったことであると知ったのか」と尋ねると、彼はただ夕方のテレビのニュース番組を見て知ったと答えた。私もそれを見ていた。その時、私は誰が中国中央テレビ(CCTV)をコントロールしているかを彼に思い起こさせた。彼は頻繁に、CCTVの報道を信じるべきではないと主張している人であった。それでも彼は、中共が「人民の敵」に対する大規模な運動を始めた時に、法輪功は明らかに邪悪であると断じて、中共中央宣伝部の検閲を通じて伝えられたテレビ番組に基づいて議論をおこなった。

 私は同様に、南京のレストラン毒殺容疑者について、他の中共批評家・懐疑論者と議論を交わした。この女性もまた、処刑されようとしている容疑者が法輪功修煉者であり、修煉した結果罪を犯したという新聞やテレビの主張を鵜呑みにして法輪功に怒り、非難した。
 北京の天安門広場で法輪功学習者とされる5人が集団焼身自殺を図った時、印刷媒体やテレビは集中的に報道した。これは非常に効果的だった。私の観察では当時、事件報道を知った大部分の中国人が、法輪功にうんざりしていた。

 私でさえ、この集団自殺が生じたこと、および報道が本物であるという「事実」を受け入れた。これまで見てきた他のほとんどの反法輪功の話と違って、一つのライブ映像が流されたため、私は恐ろしい事件の「目撃者」となった。いくつかの理由で、私はそれでも反法輪功にならなかったが、この事件報道は事実だと疑わなかった。わずか数年後、私は、この事件が北京の警察による自作自演であったという説得力ある証拠を見ることができた。

 法輪功への迫害に精通している誰しもが、今は、本当に何が起こったかを知っている。映像自体は本物だったが、事件自体は嘘だった。自らにガソリンをかけて火をつけた5人は、あきらかに法輪功学習者ではなかったことが示された。「抗議者」それぞれの背後には、消火器を手にした警官が立っていた。そして、5人は難燃性の衣類をまとっていたため、着ぶくれしていた。また、消火器は通常、天安門広場の中心部から非常に遠いところに設置されているであろうということにも思い至った。この事件が演出され、計画されたものでない限り、消火器を持った10人の警官が、ただちに消火に駆けつけることはできなかったはずである。

 しかし当時、我々はそんなことを考え付くはずはなかった。私は、事件が自作自演だとは主張しなかった。中国の弁護士との議論における私の主張は、観察結果に限られていた。第一に、どのような組織や活動にも、一部の過激派が存在するからである。精神不安定な米国の母親が「イエスがそのようにしなさいと言った」という理由で、5人の子供をバスタブに沈めたからといって、私はキリスト教を非難したりしない。第二に、焼身自殺は、迫害によって人生を狂わされた人々の自暴自棄からくる反応でありえたからである。第三に、1960年代初期のベトナムの佛教僧や、最近のチベット僧の同様の焼身自殺は、行き過ぎたヒロイズムと自己犠牲からの行為と認められていたからである。

 私たちは、この中国における迫害、そしてその迫害を容易にしたメディアキャンペーンから、一つの教訓を得た。つまり、国が占有するメディアは信用できないと意識している人でさえ、報道が繰り返されれば、場合によってはそのメディアによって騙され、操られてしまうということである。その場合とは、「大きな嘘」が絶え間なく繰り返されていて、かつメディアの独占が絶対的であるため、糾弾された者が声を出すことができない状態で、しかも国のプライドのための愛国主義的な主張が絶え間なく続くか、あるいは外部や内部の敵の脅威が不当に利用される場合である。そうなると、十分に教養があるので国の宣伝機関の報道に騙されそうもない人々でさえも、実際には再三再四、騙されてしまうのである。

 西洋人なら、紙媒体や放送のメディアの情報の100%が完全な情報独占状態に置かれた時に市民に与える影響を想像してみるべきであろう。市民は全般的で様々な皮肉を言うが、しかし単一の視点から報じられる特定の問題あるいは出来事については繰り返し騙される傾向がある。過去15年の法輪功への迫害はこの好例である。

 私たちの西洋のメディアも、様々な形の賄賂で動く。確かに、米国とカナダの民間メディア機関は特別な既得権益を代表しており、これら特別な既得権益に利益をもたらすようニュースの重みづけを行っている。しかし、完全なメディアの独占、とくに国家による独占がないため、名誉を棄損された者は通常、世間に対して返答し、反対の視点を与えることができる。

 もし情報あるいは見解の出所が、広く世間に軽蔑されているプロパガンダ機関である場合、決してそれを軽視してはならない。糾弾されている母親が法輪功修煉者ではなく、あるいは、子供を殺してさえいなかったことを知る隣人が、間違いなくいたはずである。法輪功修煉者であれば、法輪功の教えは殺人を容認していないと、メディアのインタビューに答えられたはずである。南京のレストランでの大量毒殺事件の犯人は法輪功修煉者ではないと証明できた人がいたはずである。法輪功修煉者ならば簡単に、疑惑の天安門焼身自殺事件で、自殺を試みた者の座禅の姿勢が法輪功と異なっていると指摘できたはずである。

 しかし、どうすればこのような指摘ができたであろうか。どうすれば大勢の前で異論を唱えることができたであろうか。彼らには、いかなる声をあげる方法も閉ざされていた。彼らが出した編集者への手紙は出版される可能性がなかった。新聞の論説欄に意見を書くこともできなかった。テレビのニュース番組でインタビューを受けることもできなかった。公共の場でプラカードを掲げて集会を開くこともできなかった。ただ一つの声だけが聞かれた。この、様々な事件に対する単一的な視点のみが、いやになるほど日々繰り返され、そして反対意見が一切聞こえて来ずに、返答が現れなければ、中共のメディアによる報道は何も信じないようにと助言した人々でさえ、自分自身の意見よりもその報道を信じ始めるのである。

 法輪功修煉者が糾弾された時、反論ができる場所がなかった。起訴されたとおりの有罪であろうと、卑劣な中傷の犠牲者であろうと関係なく、法輪功修煉者の声は中国公民に届くことはなかった。

 さらに迫害の初期、市民は中共の法輪功に対するヘイトキャンペーンを受け身的に鵜呑みにするだけでは済まされなかった。煉功を非難し、修煉者を公の場で批判させるための多くのメディアによる大規模な糾弾大会は、反地主闘争、反右派闘争、文化大革命、反孔子運動、反林彪運動などの先例を嫌というほど思い起こさせた。このようなキャンペーンはいつも、受け身的な読者や視聴者を、積極的にその批判キャンペーンに参加する人に変えるのに役立つよう、中共によって仕組まれたものであった。

 実際に迫害に参加した人々には、その心理面にも効果てきめんである。参加者は共犯者となったがゆえに、一層関与を深めていく。文化大革命の最中、自分の政治的な純粋さと運動への忠誠を示すために、妻が、夫に対する大衆からの厳しい非難と暴力に参加するのは、めずらしいことではなかった。文化大革命の期間も法輪功を迫害する期間も、実際に迫害に参与するのは、自分がキャンペーンのターゲットになることを避けるためでもあった。

 公衆の面前での非難、警察からの恣意的な殴打、財産と銀行口座の没収、雇用者による法輪功修煉者とされた者の強制解雇、「管理」と称する、修煉者の日常的で恣意的な拘留と投獄など、これらは、法輪功修煉者とは何か「普通の人間ではない」者であり、従って普通の人に対して払う基本的な敬意を払う必要がないということの暗黙の受け入れを強化するために行われた。中国の警察、人民解放軍、医療関係者、そして従順に殺人や悪魔のような拷問を行う看守が、これらのこと全てを実行していた。そしてホロコースト以来の人間性に対する最も残酷な犯罪が見つかった。もちろん私は、健康な人々の大量殺人や、生存しているドナーの生簀や、需要に応じて屠殺され、その臓器が国のために販売されて巨額の利益を中国へもたらしていることに言及する。

 ナチスが死の収容所を決して公に認めなかったように、中国の公民には、中共が法輪功修煉者に対して行っている非人道的で残虐な犯罪について知らされることはないということを忘れてはならない。ユダヤ人と法輪功修煉者に向けられた、人間ではなく悪魔であるとみなす運動の役割は、いずれも、全市民を対象とするものではなく、むしろ、残虐行為に加担する政府組織の者たちを麻痺させるためのものであった。迫害を加える者たちの耳に、瀕死の犠牲者たちの叫び声は届かない。なぜならば、彼らは人間ではなく「単なるユダヤ」や「単なる邪教のメンバー」とみなされたからである。

 国家の医療従事者を法輪功修煉者の非人間化に関与させたこのキャンペーンの成功は、おそらく比類するものがないであろう。現代の中国とナチス・ドイツ以外で、正しき法の裁きはおろか、中国の「法廷」でさえ有罪判決が下らなかった健康な人間を、定期的に殺害することに積極的に参加する医療専門家がいることを、誰が想像できるであろうか。1930年代のドイツと現代の中国以外で、裕福な顧客に生き生きとした臓器を供給するために、臓器移植を行う病院の医師と中国の刑事「裁判所」の「裁判官」とが連携して「ドナー」を殺害している「殺人委員会」があることを、誰が思いつくだろうか。しかし、これが中国の今日の医療従事者の現実である。これは法輪功を非人間化する中国共産党の迫害政策なしに、実行が可能であろうか。

 中国に詳しい人が証明するように、中国には「法の支配」がない。法律は、その時の暴君の指示でどうにでもなる。法輪功は「邪教」であると宣言され、江沢民の単純な命令で「起訴」の対象となった。現在にいたってもなお、合法的な制度に基づいて法輪功に適用された中国刑法の条文はない。もしそのような条文があったとしても、「法廷」は、法律の解釈や証拠の審議をすることは決してなかったであろう。時の元老は、単にすべての法輪功修煉者を有罪とし、迫害を進めたのである。

 臓器収奪のための大量殺人が残虐行為の一つとして現在進行している中、中国が法治国家というのは滑稽な嘘偽りである。1979年以後、中共は第三帝国の時代にナチスがやったように、法制度を本物に見せかけることに努力してきた。それは全体主義の国の圧政者にとって、明らかに見せかけの法制度を指し、全ては法律に根差していると国内外に主張するのにとても重要だからである。

 まさに中国の「法制度」の虚偽を物語っているのは、中国の裁判所は憲法が保障する権利を奪われた法輪功修煉者からの訴訟を受けつけないということや、また中国の弁護士は法輪功修煉者を弁護することを禁止されていることである。

 中国が「法の支配」の下にあり、中国の司法が独立しているという明らかな嘘をつくことは、中国の尊厳を海外に示すために必須の基本的なツールであった。このツールは、中共自体によって、またはこれに傾く西側諸国の小間使いにより、広く使用されてきた。

 この最悪の人権侵害に寄与した責任があり、しばしば「法的改革」を展開しているとカナダ市民に嘘をつく中共指導部と親しい友人といわれるカナダの二人の元首相が、中国で次々と明らかになった。法輪功への迫害が始まってから3年目の時、ジャン・クレティエンは江沢民と肩を並べて、江政権の「最後の10年の人権状況は、江沢民氏のリーダーシップのもと、驚異的な進歩を遂げた」と絶賛した。クレティエンの後任であるポール・マーティンは、ここまで滑稽ではないものの、中国の疑わしい人権状況の進歩と「法の支配」の実施を称えた。この二人の首相とも、中共が法律より上に位置し、法規、警察、検察、 「法廷」と法律の解釈のすべてを牛耳り、理論上、そして実際に、完全に制御しているという基本的な事実に言及したことはなかった。

 中国は、中共によって制御される法体系を持つか、あるいは「法の支配」を行うしかない。両方の概念を持つのは不可能である。
 中国共産党が法制度の外形と構造を支配しているかぎり、西側のクレティエンやマーティンに、その法制度の中身を無視して、中国で「法の支配」が順調に進展中であるという誤った説明を国民にさせ続けることが可能となる。

 中国共産党が力を持ち続ける限り、弾圧や強制的な臓器収奪が、近い将来終息すると考えるのは難しい。しかし、これを実現するには、中国国内の人、世界の人々に、この犯罪の存在を徹底的に知らせる必要がある。

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[1] Judgment of the Ecclesiastical Sanhedrin Court in Jerusalem, July 15, 2008

 

執筆者紹介
クライブ・アンスレイ(Clive Ansley) 

カナダの人権弁護士、中国大陸で14年間弁護士業務に携わる。中国語も堪能。中国の裁判所で代理訴訟300件以上、中国の法律問題の専門家として北米、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、香港などの法廷で専門家の見解を陳述したことがある。カナダの二つの大学で中国問題の研究と中国の法律の教育に従事したことがある。