税率5%の島 EUが語りたがらない成長モデル

2025/12/30
更新: 2025/12/30

1978年、人口わずか25万人の、極めて貧しかった大西洋の小島は、今日のブリュッセル(EU)では異端視されかねない決断を下した。

法人税率を極限まで引き下げ、欧州最後とも言うべき「本物の」特別経済区を築き上げたのである。

それから47年。

EUによる数えきれない調査と精査を経た現在でも、その島は衰退するどころか、まったく逆の姿を示している。GDPは1995年以降で4倍に拡大し、欧州平均との格差は20パーセンテージポイント以上縮小した。近年の失業率はポルトガル本土を下回り、法人税率5%の制度も2033年まで合法的に更新されている。

石油はない。テクノロジーの奇跡もない。巨額の補助金もない。

あるのは、低い税率と、自ら稼いだ富を手元に残す自由だけだ。

これは、欧州の中央集権的な計画立案者たちが、あまり語りたがらない物語である。

半世紀前、ポルトガル領マデイラ島は、欧州でも最貧層に属する地域の一つだった。失業率は二桁に達し、移民は後を絶たず、人々は段ボール製のスーツケースを手に島を後にした。経済と呼べるものは、バナナ、マデイラワイン、そしてわずかな手工芸品にほぼ限られていた。

島であることは、絵葉書的な魅力などではなく、本格的な発展を阻む構造的制約そのものだった。

転機は1976年の自治権獲得で訪れる。そのわずか二年後、1978年に新たに選出された地方政府大統領、強烈な存在感を放つアルベルト・ジョアン・ジャルディン氏は、当時としてはきわめて急進的でありながら、驚くほど単純な発想を提示した。

「地理は変えられない。ならば、税制を変えよう」

ジャルディン氏はその後37年間にわたり、島の舵取りを担うことになる。

リスボンはこの提案を受け入れた。ポルトガル政府は、場当たり的な補助金や公共事業では、島が抱える根深い構造問題を解決できないことを理解していたからだ。加えて、当時のポルトガルは、欧州経済共同体(EEC)加盟を目前に控えており、国内最貧地域に対して、外部にも説明可能な成長戦略を必要としていた。

1970年代後半から80年代初頭にかけてのEECは、現在のEUとは比べものにならないほど自由主義的であり、この構想を単に黙認したのではなく、地域的結束を実現する正当な手段として、明確に位置づけたのである。

こうして誕生したのが、マデイラ国際ビジネスセンター(通称:マデイラ・フリーゾーン)である。法人所得税の大幅な軽減、カニサル工業自由貿易地区における各種免税措置、国際サービス業向けの競争力ある制度が段階的に整備された。

さらに戦略的な傑作として、低コストかつ柔軟な法制度を備え、EU旗国としての信頼性にも疑義の余地がないマデイラ国際船舶登録(MAR)が加えられた。

迅速な行政手続き、ワンストップの許認可、資本と利益の完全な本国送金の自由。マデイラは「立地」で競うことをやめ、「税制の知性」で競う道を選んだのである。

その経済的インパクトは、まさに圧倒的だった。わずか数年のうちに、島は農業と観光にほぼ全面的に依存する経済構造から脱却する。代わって、国際ビジネスサービスと海事分野における欧州有数の拠点として、高い評価を獲得していった。

経営コンサルティング会社、持株会社、物流事業者、ヨット管理会社、テクノロジー企業が相次いで進出。マデイラ国際船舶登録(MAR)には、ギリシャ、ドイツ、北欧諸国の船主に加え、世界最大級のクルーズ会社や貨物船運航会社が集結し、マデイラは欧州でも最大規模かつ最も評価の高いオープン・レジストリの一つへと成長したのである。

失業率は着実に低下し、恒常的にポルトガル本土を下回る水準で推移するようになった。税収も大きく伸びたが、それは税率を引き上げた結果ではない。新規投資と新設企業の流入、実体経済活動の拡大によって、課税ベースそのものが爆発的に拡大した帰結である。1995年から2022年にかけて、マデイラのGDPは年平均5.2%で成長し、ポルトガル本土の3.9%を大きく上回った(いずれも名目値。DREM/INE長期統計、2024年)。

この転換の劇的さは、1970年代後半の状況と対比すれば明白だ。当時、マデイラの一人当たりGDPは欧州平均の約40%にすぎなかった。それが2023年にはEU平均のおよそ75%にまで上昇している。しかもこの間、EUの構造基金や結束基金による一人当たり支援額は、他の超周辺地域と比べてもはるかに少ない水準にとどまっていた。相対的な経済水準がほぼ倍増した事例は、EU域内でもきわめて稀である。

国際船舶登録に目を向けても、その存在感は際立っている。現在、マデイラ国際船舶登録(MAR)は欧州第3位の規模を誇り、世界トップ20に入る複数のクルーズ会社が主力レジストリとして選択している。1000隻を超える船舶がマデイラ船籍を掲げ、登録手数料、法務サービス、船級協会、海事保険を通じて、年間数億ユーロ規模の収益を生み出している。そのほぼすべてが、1987年以前には島に存在しなかった、新たな資金流入である。

一方、より広義のマデイラ国際ビジネスセンターには、2500社を超える認可企業が集積している。その多くはフォーチュン500企業の子会社であり、マデイラを欧州における持株会社やトレジャリー拠点として活用している。これらの企業は、数千人規模の高度技能を持つマデイラ人を直接雇用し、その平均給与はポルトガル本土を大きく上回る。さらに、法律事務所、監査法人、信託会社、ITプロバイダーといった周辺エコシステムを支え、50年前には想像すらできなかった産業基盤を形成している。

おそらく最も象徴的な統計は、これだろう。1970年当時、就労年齢にあるマデイラ人のおよそ4人に1人が国外で暮らしていた。現在もディアスポラは存在するが、人口の純移動数はすでにプラスに転じている。加えてマデイラは、人口当たりの新規企業創出数において、常にポルトガル国内トップ3に名を連ねている。

この成功は、ブリュッセルにとってきわめて居心地の悪い現実だった。1990年代以降、欧州委員会は「過度な国家補助」を理由に、繰り返し調査を開始する。上限の設定、詳細な報告義務、さらには地元雇用創出の数値目標まで課された。それでもなお、この制度を葬り去ることはできなかった。

そして2015年、委員会は再び動く。

今度は「経済的実体」を要求したのである。実在するオフィス、実在する従業員、島内に物理的に存在する事業活動。皮肉なことに、制度を弱体化させるために導入されたこの要件は、結果としてそれを強化した。企業は本格的な拠点を構え、マデイラ人を雇用し、地域経済に深く根を下ろすようになったのだ。

この制度を完全に廃止するには、EU条約そのものを再交渉し、書き換える必要がある。それは政治的にあまりにも険しい山であり、欧州委員会の誰一人として、これまで本気で登ろうとした者はいない。

この15年、欧州は残されたあらゆる税制競争の芽を体系的につぶし、OECD主導による法人税最低税率15%の導入を誇らしげに推進してきた。そのEUにおいて、ポルトガルはなお、マデイラの5%法人税率を2033年まで更新している。

マデイラは、EU全域で唯一、完全に制度化され、完全に合法であり続ける特別経済区である。繰り返し攻撃されながらも、繰り返し存続が認められてきた。その理由は単純で、機能しているからである。

これは、異国的な例外として片づけられるべき事例ではない。本来、規範とされるべきモデルだ。

マデイラは、単なる美しい観光地でも、クリスティアーノ・ロナウドの故郷でもない。競争的な税制政策が、遠隔で周縁的、資源にも乏しい地域を、いかにして持続的な経済的成功へと導きうるかを示す、生きた証拠である。

ブリュッセルがこの前例を恐れるのは、それが「税制調和」という中央集権的ドグマを、根底から揺るがすからにほかならない。

税制競争は、国家を破壊しない。

国家を築くのである。

( 経済教育財団〈FEE〉)

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。