近年、中国のネット上では「情緒価値」という言葉をよく耳にするようになった。これは、商品やサービスの機能だけでなく、「使って気分がよくなる」「心が満たされる」といった感覚的な価値を重視する考え方を指す。
この流れの中で、中国では今、「気分をよくするための消費」が大きな注目を集めている。最近では「情緒消費(気分や感情を満たすための消費)」「情感消費(心の満足を求める消費)」「興味消費(趣味や好きなことにお金を使う消費)」といった言葉をメディアで相次いで取り上げている。さらに当局はこれを2026年の経済を支える「新しい原動力」と位置づけ、政府報告にも盛り込んだ。
実際、この分野は中国で急速に広がっている。中国の調査会社・知萌研究の分析によると、2022年から2025年にかけて、中国の関連市場は年平均18.63%で成長した。また同社の調査では、「気分を癒やしたい」が51.2%、「ストレスを減らしたい」が50.0%、「自分へのご褒美」が48.8%と、これらが主な動機になっている。好きなキャラクターのグッズを買う、癒やしのサービスを利用する、小さなご褒美を自分に与える。こうした日常的な支出が、いま大きな流れになっている。
ただ、この現象は世界で見られる消費の伸びとは性質が異なる。日本やアメリカ、韓国でも、趣味や娯楽にお金を使う動きは広く見られるが、本来こうした消費は生活に余裕がある社会で自然に増えるものだ。中国の特徴は、不動産不況や若者の就職難、収入不安が強まる中で、逆にこうした消費が伸びている点にある。
専門家はここに中国特有の事情があると見る。ボストン北東大学で金融を専門とする邱万鈞教授は、世界中に似た現象はあるものの、中国では景気が下向きで、雇用環境も厳しく、住宅も重い負担となる中で広がっている点が異例だと指摘する。本来なら就職や住まいといった構造的な問題を改善すべきだが、現実にはそこに十分な手当てがなされないまま、「気分をよくするための消費」が前面に押し出されているという見方だ。
中国問題の専門家、王赫氏も、欧米では経済成長と並行して心を満たす産業が育ってきたのに対し、中国は不景気の中で逆に伸びていると指摘する。これは人々の心理的な重圧がそれだけ強いことの表れであり、当局が示す経済の見通しとのずれが浮き彫りになっている。
背景には「大きな買い物ができない現実」がある。住宅や車といった高額な支出を控える人が増え、その代わりに数百円から数千円で気分転換できる商品やサービスにお金が流れている。政府にとっても、こうした小さな買い物は人々にお金を使わせやすく、消費を動かす手段になりやすい。
ただし、この分野には限界もある。米サウスカロライナ大学エキケン校の謝田教授は、本来こうした消費は生活費を差し引いた後に余裕資金があってこそ広がるものだと指摘する。しかし現在の中国では、生活費や住宅費の負担が重く、自由に使えるお金が限られている人も多い。こうした消費が長期的な経済成長を支えるかどうかは不透明だ。
さらに邱教授は、こうした消費は単価が低く、流行の移り変わりも早いため、不動産のように経済全体を支える力は持ちにくいとみる。かつて中国経済を支えてきた不動産は、鉄鋼や金融など多くの産業と結びついていたが、小さな消費ではそこまでの波及効果は期待できない。
問題はそれだけではない。専門家は、こうした消費が若者の不安や苦しさを根本から解決するわけではないと指摘する。失業や低収入、将来への不安が続く中で、買い物は一時的な気晴らしにはなっても、長く心を支えるものにはなりにくい。
中国で今広がっているのは、豊かさの中で生まれた消費の広がりではない。先の見えない暮らしの中で、人々が少しでも気持ちを軽くしようとして選んでいる小さな支出である。一見ささやかな消費の変化は、社会のゆがみや不安をそのまま映し出している。
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