中国共産党による「越境弾圧」が世界的な課題となる中、中国人留学生・彭婕妤さんが人権活動家としてカナダで立ち上がった。彼女の実体験と勇気は、中国国内外で抑圧に苦しむ人々へ希望と変革のメッセージを届けている。
カナダ東岸の港町、ハリファックス。その冷たい風の中、若い女性が標語を掲げ、毅然とした表情で世界に「天は中共を滅ぼせ。越境弾圧を止めろ」と訴えた。
その女性は彭婕妤(Ashlynn Peng)さんである。中国湖南省出身の留学生で、かつて中国共産党体制の下で抑えつけられて生きてきたが、いまは海外で中国共産党に公然と異を唱える人権活動家として活動しており、中共による越境弾圧の標的にもなっている。
「私は特別に反体制派を選んだわけではありません。ただ、沈黙を選ばなかっただけです」と彼女は語る。
抑圧の被害者から能動的な行動者へ、その変化は、彼女自身の決意の証である。
中国で芽生えた疑問
彭婕妤さんは湖南省長沙で生まれた。小学校では国旗掲揚式の際に共産党を称える歌を歌わされ、「共産党がなければ新しい中国はない」と暗唱することを求められた。
一方、家では祖父母がひそかに語る大躍進期の飢饉や文化大革命の密告、血なまぐさい暴力の話を耳にした。
「それでも家族は『共産党に感謝しなければならない』と言うんです。『飢え死にしなかっただけ幸運だ』と。でも私は、それが人災だと分かっていました」と彭さんは振り返る。
彼女は家族に「中共は人々を互いに憎しみ合わせ、責任逃れをしているのではないか」と問いかけたが、母と祖母は激怒し、手を上げたという。
学校では授業中、粉飾された歴史に疑問を呈したところ「外国勢力に洗脳された」と教師に罵られ、教室から引きずり出された。それ以降、学校で孤立し、いじめに遭い、長くPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむこととなる。
「その環境では、間違うことよりも、疑うことのほうが危険でした」と彼女は後に述懐する。

自由の国で発した初めての声
2019年夏、18歳の彭婕妤さんはカナダへ留学した。国境を越えれば恐怖から解放されると信じていた。
当時、香港では「反送中」運動が広がっていた。彼女は初めて検閲されていないニュースに触れ、若者たちが傘や旗を掲げて巨大な権力と対峙する姿に衝撃を受けた。
「その瞬間、心の中の封印が解かれた気がしました」と語る。
彭さんはSNSで香港デモに関する情報や意見を共有し始めた。それが最初の公的な発言であったが、やがて彼女の環境を大きく変えることになる。
2022年、中共の「ゼロコロナ政策」は極端さを極めた。地域封鎖、ペットの殺処分、隔離施設での混乱。その実態に怒りが広がる中、新疆ウルムチの住民が火災で犠牲となるニュースを見て、彼女はカナダの寮で泣き崩れた。
「あれは感染対策ではなく、国家による暴力でした」と振り返る。
同年夏、ハリファックス市中心部で開かれた「反送中三周年」集会に参加し「Free Hong Kong」と書かれた旗を掲げた。これが初の街頭行動であった。
「緊張しましたが、中国共産党と習近平の独裁体制に反対する立場を明確にできたことを誇りに思いました。人間としての良心を貫けたと感じます」と語る。

海外にも及ぶ「越境弾圧」
2022年夏、彭婕妤さんは抗議の写真をSNSに投稿し、他の中国人留学生にも関心を呼びかけた。
しかし直後、ネット上では罵声と脅迫が殺到。かつての友人たちからも「売国奴」「国家安全局に連行されるぞ」との言葉が飛び交い、敵視されるようになった。
大学では盗撮され、個人情報を掲示板に晒された。
投稿から2週間後、中国にいる父親のもとへ長沙公安から電話があり「あなたの娘はカナダで中国の国家安全を脅かす行為をしている」と告げられた。
その電話が、彭さんの運命を変えた。
両親は体制を信奉する人々であり、彼女の行動を理解できなかった。父は絶縁を宣言し、母は「国を裏切った」「資本主義に洗脳された」と罵倒。さらに「私でもお前を通報する」とまで言い放ったという。
「監視から逃れたつもりでしたが、恐怖は一緒に海外までついてきたのです」と彼女は吐露する。
外出を恐れ、夜は悪夢にうなされる日々が続き、PTSDの症状は悪化した。
昨年秋、街頭で中国人女性に罵倒され「国安に報告する」とスマートフォンで脅迫されたこともあった。
しかし彼女は冷静に「意見を言う自由はありますが、嫌がらせをする権利はありません」と返した。女性は数百メートルつきまとったが、彭さんが「警察を呼ぶ」と警告すると立ち去った。
「その時はっきり分かりました。中共の支配は地理的ではなく、心理的なのだと。彼らは恐怖を人々の生活の一部にしているのです」と語る。
後に彼女は、このような行為が「越境弾圧」と呼ばれていることを知った。
中共は海外の異見者を脅迫するため、家族を狙い、個人情報を収集し、恐怖を拡散する。自由の国にいても、心を囚われのままにする。それがその支配構造である。

恐怖を超えて、行動する人へ
PTSDの苦しみを抱えながらも、彭婕妤さんはカナダの地元コミュニティや心理療法士の支えを受け、少しずつ回復していった。
そして、恐怖の被害者であることをやめ、行動者となる決意を固めた。
2022年末「Freedom China Halifax」を設立。中国の民主化・人権・自由を訴える民間団体である。同志とともにウルムチ火災の犠牲者追悼会や白紙運動の記念、天安門事件の追悼などの活動を行ってきた。
2024年には、中共による海外での浸透と脅迫行為を告発するソーシャルメディア専用ページを開設し、地元住民への啓発を進めた。
同年、カナダ市民協会に参加し、ハリファックス支部の責任者として地域活動を統括している。
彼女は「越境弾圧は個人の問題ではなく、世界の民主主義そのものへの挑戦である」と強調する。
「それは中国人の口をふさぐだけでなく、世界中を沈黙に慣れさせるものなのです」と語る。
現在も活動現場では、親中派からの罵声や盗撮に遭い、家族は国安の監視にさらされている。
それでも彼女の信念は揺らがない。「沈黙は抑圧者を助けるだけであり、被抑圧者を救うことは決してありません」
帰国の道が閉ざされ、祖父母を思いながらの日々が続くが、それでも彼女は歩みを止めない。正義への信念と勇気が、彼女を前へと進ませている。
これらの経験を経ても、彭婕妤さんは自分の行動を全く後悔していない。彼女は地元のコミュニティからの支援に感謝しており、それが彼女が暗闇から抜け出す助けとなった。
「抑圧の苦しみを知ったからこそ、声を上げる責任があると思います。専制に抗うために。この世界には、不正に対して声を上げる人が必要なのです。中国人の良心を呼び覚まし、真実を求めるために」
彭婕妤さんの物語は続いている。彼女は多くの活動を経て、自らの成長を実感しているという。「恐怖はもう、私を支配していません。私は前よりずっと強くなりました」
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。