中国共産党はなぜ「愚策を連発し 誤りを重ねる」のか?

2026/04/23
更新: 2026/04/23

2026年に入っても、中国共産党は相変わらず、内政・外交における多くの重大な決定で、一度ならず誤りを重ね、次々と失策を犯している。

例えば、1月3日には中共は特使を派遣してベネズエラのマドゥロ大統領と会見した。2月9日には香港の著名なメディア人である黎智英氏に重い判決が下された。3月23日には習近平が初めて北京を離れ、雄安新区を視察した。4月には「翻墙」(インターネット規制を回避する行為)への全面的な取り締まりを強化した。

米軍が1月3日にマドゥロ氏を拘束する数時間前、中共はそれにまったく気づかず、邱小琪特使を派遣してマドゥロ氏を支援し励ましていた。黎智英氏は中共に逮捕される前、完全に香港を離れることができたが、彼はあえて残り、自らを犠牲にして中共の悪を世界にさらそうとした。そして中共は案の定その通りに行動した。

複数の河川が集中する低地に雄安新区を建設することは、常識のある人なら誤りだと分かるが、習はまったく気づかず、午年最初の地方視察として雄安を選び、世間の笑いものとなった。情報の自由な流通はイノベーションの活力の源である。中共は「イノベーション国家」を目指すと主張しながら、その逆を行っており、巨額の資金を投じて「グレート・ファイアウォール」を構築するだけでなく、「翻墙(ネット規制の回避)」行為を厳しく取り締まっている。

これらはすべて重大な政策判断の誤りであるが、中共はそれを誤りとは認めず、逆に自画自賛し、これらの重大な決定を英明で偉大な壮挙だと称えている。では、中共はなぜ「愚策を連発し、誤りを重ねる」のか。

理由は多いが、重要なものを挙げれば、おそらく三つある。

第一 異なる意見や反対意見を沈黙させること

いかなる賢明な政府や指導者であっても、正しい決定を下すためには、異なる意見や反対意見に耳を傾ける能力が必要である。

「諸説を聞けば賢明になり、一方に偏れば判断を誤る」という言葉がある。人々が真実を語ることを許され、特に異なる意見や反対意見を自由に述べることができてこそ、最大限に事実の真相に近づき、何が起きているのか、なぜそうなのかを明らかにすることができる。そしてさまざまな案の中から最良の案を見つけ出し、正しい決定を下すことができる。

しかし、中共が政権を樹立して以来、毛沢東は数十回に及ぶ血なまぐさい政治運動を発動し、真実を語る者を攻撃し、異なる意見や反対意見を述べる者には「反党」「反社会主義」「反毛沢東思想」などのレッテルを貼り「徹底的に批判し」「地に叩きつけ」「さらに一万の足で踏みつける」といった扱いをした。

その結果、毛沢東の重大な政策判断の誤りは次々に続き、最終的には十年に及ぶ文化大革命を引き起こし、十年の大災厄を生み、国家全体を崩壊寸前まで追い込んだ。

元全国人民代表大会法制工作委員会研究室の高鍇主任の回想によると、習近平の父、習仲勲が全国人民代表大会副委員長を務めていた時期、彼はたびたび皆に対して、異なる意見を保護し尊重すべきだと語っていた。

ある討論会で習仲勲は次のように述べた。

「私は長い間、どうすれば異なる意見を保護できるのかという問題を考えてきた。党の歴史を見ると、異なる意見によって引き起こされた災難があまりにも多い。『反党同盟(反共産党同盟)』『反革命集団(反体制とされた集団)
』『右傾投降(妥協に傾く弱腰姿勢)
』『左傾投機(過激で非現実的な左寄り路線)』など、私が経験してきたものだけでも何十件、百件近くある。しかし最後に調べてみると、その大多数は単に異なる意見を述べただけであり、思想の問題にすぎなかった。その中には正しい意見も少なくなかった……。したがって、私は『異なる意見保護法』を制定することができないかと考えている。どのような状況で異なる意見を述べることが許されるのかを規定し、たとえ意見が誤っていたとしても処罰されるべきではないと定めるのである」

1990年10月30日、習仲勲が最後に全国人民代表大会常務委員会会議に出席した際にも、彼は「異なる意見を持つ者を反対派とみなすべきではなく、ましてや反動派として扱うべきではない。異なる意見を保護し、重視し、研究すべきである」と述べた。

習仲勲は中共の元老の一人であり、生涯で三度も粛清を受けたが、比較的開明的な人物であった。これこそが、彼の息子である習近平が中共の「後継者」選抜で勝ち抜き、政権を掌握できた最も重要な理由の一つである。

しかし習近平は政権に就いてから、特に第二期以降、好条件を台無しにしてしまった。なぜか。異なる意見や反対意見を沈黙させたことが重要な原因の一つである。

習は父・習仲勲の生前の切なる願いを完全に忘れ去っただけでなく、毛沢東晩年の過ちを繰り返し、異なる意見や反対意見を述べる者を処罰している。

2020年、武漢でパンデミックが発生して間もなく、紅二代であり、すでに引退していた69歳の著名な企業家 任志強が習を批判する文章を書いた。その文章は何者かによって海外サイトに転載された。この文章は一部表現が鋭かったものの、全体としては理性的で建設的な内容だった。しかしそのために任志強は逮捕され、党籍を剥奪され「重大な腐敗」を理由に懲役18年の刑を宣告された。

記録映画『武漢封城』などの調査によると、2020年1月23日から4月8日までの武漢封鎖76日間の間に、感染症に関する言論によって引き起こされた「文字獄」(言論による処罰)は638件に達した。

さらに多くの人々が異なる意見や反対意見を述べたことで、「国家政権転覆扇動罪」や「国家政権転覆罪」などの罪名で重刑を受けている。

2026年の今日、中国大陸は再び「万馬斉喑究可哀(誰も自由に発言できない社会は実に痛ましい)」の時代に戻ってしまった。

最高決定権者である習近平はもはや真実の言葉を聞くことも、真相を見ることもできない。虚偽の言葉と虚偽の現象に基づいて下された重大な決定が、誤りを重ねないはずがあるだろうか。

第二 常識に背くイデオロギー

中国共産党はマルクス主義を指導思想とする政党である。

2018年5月4日、習近平はマルクス生誕200周年記念大会で、マルクスは「人類史上最も偉大な思想家」であると述べた。マルクスが中共に残した「最も価値があり、最も影響力のある精神的財産」は、彼の名で呼ばれる科学理論 、マルクス主義であるとした。習近平は、マルクス主義は「人類社会の発展法則を創造的に明らかにした」と考えている。そして、続けて九回にわたり「マルクスを学ぶ」と述べ、中共の党員に「マルクス主義の科学的真理」で頭脳を武装するよう求めた。

マルクスとはどのような人物なのか。生前にサタン教に加わり、死後はロンドンのサタン教崇拝の中心地であるハイゲート墓地に埋葬された、サタンの信徒である。

サタンはアブラハム系宗教(特にキリスト教、ユダヤ教)において邪悪の化身であり、もともとは最高位の天使(あるいはルシファー)であったが、嫉妬、傲慢、狂妄、憎悪などによって神に反逆し、堕落して悪魔となった。

サタンのイメージは、旧約聖書の初期ではいわゆる「告発者」であったが、後期には絶対的な悪の源へと変化し、しばしば「堕天使」「嘘の父」「大紅竜」「蛇」などで象徴される。

『マルクスの魔への道』という書籍は、多くの史実を用いて、マルクスはサタンの人間世界における代弁者であったと証明している。

早くも1848年、マルクスは『共産党宣言』において資本主義に死刑判決を下した。しかし2026年の今日に至っても、資本主義国家であるアメリカは依然として世界第一の強国である。

178年前にマルクスが資本主義に死刑判決を下したことは、巨大な嘘であった。これが「偽」である。

マルクスは『共産党宣言』の中で堂々と次のように宣言している。
「共産党人は自らの観点と意図を隠すことを軽蔑する。彼らは公然と宣言する。彼らの目的は、暴力によってすべての現存する社会制度を打倒することによってのみ達成される」

この言葉には三つのキーワードがある。「暴力」「打倒」「すべての現存する社会制度」である。

マルクスは世界のすべての国と地域のすべての社会制度を憎んでいた。これは冷静に世界を見る態度なのか、それとも極端に歪んだ心理で世界を見る態度なのか。常識のある人ならば、明らかに後者だと考えるだろう。

この憎しみを解消するために、マルクスは自らの弟子たちに何を求めたのか。暴力を用い、人を殺し、血と火によって「すべての現存する社会制度」を打倒することである。

これは極端な国際テロ主義の言論である。マルクスは国際テロ主義の総頭目とも言える。これが「悪」と「闘」である。

いわゆるマルクス主義とは、本質的に常情、常理、常識と完全に背反する「偽・悪・闘」である。

中共がマルクス主義を指導思想として堅持するということは「偽・悪・闘」を指導原理として堅持するということである。

習近平が政権に就いてから、特に第二期以降、江沢民、胡錦濤、習近平の三代にわたって最高指導者に仕えた王滬寧の導きの下で、一歩一歩マルクス主義の原教旨へ回帰し、口ではマルクス主義を堅持すると言いながら、実際には「偽・悪・闘」を指導原理としている。

習が「偽・悪・闘」を指導原理として重大な決定を下せば、それが誤りを重ねないはずがあるだろうか。

第三 自由民主に対する極度の恐怖

今日の世界では、常情、常理、常識を認める人々は、誰もが自由民主を望んでいる。

自由について言えば、現在の先進国、そして多くの新興国や地域では、アメリカ第32代大統領フランクリン・ルーズベルトが提唱した「四つの自由」が基本的に実現されている。すなわち、信仰の自由、言論の自由、恐怖からの自由、欠乏からの自由である。

1997年以前の香港や、現在の台湾でも、すでに「四つの自由」は実現されていた。

「四つの自由」は、科学的な政策決定を実現するための重要な保障である。信仰の自由は思想の自由を基礎としており、信仰の自由があれば思想の自由もある。人々が政党や団体、組織の制約を受けず自由に独立して思考することができ、独立した思考に基づいて自由に発言することができ、しかもその発言によって逮捕、監禁、判刑、拷問、処刑を恐れる必要がなく、さらに衣食住にも困らないのであれば、人々は必ずさまざまな異なる意見や反対意見の中から最良の政策案を見いだし、正しい決定を下すことができる。

しかし、中共が中国大陸で中華民国政権を打倒してから76年が経つが、中国大陸の民衆の「四つの自由」は中共によってほとんど奪われてしまった。

「四つの自由」を奪われた中国の各階層の人々は、思想の牢獄の中で生活しているのと同じであり、あれも考えられず、これも言えず、真実を語れば処罰されるのではないかと常に恐れている。真実を語れば仕事を失うかもしれないと心配している。このような状況で、最善の方法を考え出し、正しい決定を下すことなどどうして可能だろうか。

民主について言えば、最も基本的な民主は真の選挙である。

真の選挙には少なくとも三つの要素がある。第一に、少なくとも二人の候補者から一人を選ぶこと。第二に、候補者が有権者に対して選挙公約を説明すること。第三に、有権者がどの候補者に投票するかを自ら決める権利を持つことである。

もし真の選挙があれば、選挙を必要とする重大な決定は多数の有権者の意思を代表する可能性があり、そのようにして下された重大な決定は、最良でないとしても次善の決定にはなる。

しかし、中共が政権を握ってから76年の間、中共中央総書記、国家主席、中央軍事委員会主席、全国人民代表大会委員長、国務院総理などの指導者は、一度として二人の候補者から一人を選ぶ形で選ばれたことはない。すべていわゆる「等額選挙」、すなわち一人の候補者から一人を選ぶ方式である。さらに、これらの候補者は党代表や全国人民代表大会代表に対して選挙公約を説明したこともない。第三に、党代表や人民大代表は中共があらかじめ決めた候補者に投票するしかなく、そうでなければ投票の資格すらない。

つまり、中共は政権を握って以来76年間、一度も真の選挙を行ったことがなく、常に偽の選挙を行ってきたのである。このような「偽の選挙」によって選ばれた人が下す重大な決定が良いものになるはずがあるだろうか。

中共は暴力と嘘によって政権を奪取し、暴力と嘘によって政権を維持している。ひとたび「四つの自由」が実現し、真の選挙が行われれば、中共は崩壊する。

これこそが中共が自由民主を恐れる最も重要な理由であり、同時に重大な政策判断が誤りを重ねる重要な根源でもある。

結語

2023年10月16日、中共は『崇禎:勤政的亡国君』という書籍を販売停止した。

多くの評論家は、この本が販売停止された真の理由は、書名と表紙の宣伝文句が中共の指導者を暗に風刺していると見なされたためだと考えている。

この本の宣伝文句は次のようなものである。

「愚策を連発し、誤りを重ねる。『勤政』であればあるほど国を滅ぼす。」
「崇禎皇帝がどのようにして自らを絶路へ追い込んだのかを理解する。」

中共がこの本を販売停止したことは、まさに自ら罪を認めたようなものである。

王友群