1つの暗黒の刻印 2つの悪魔の政権

2026/11/07
更新: 2026/11/07

11月7日は、中国共産党(中共)が公式に定める「十月革命」の記念日である。1917年のこの日(ロシア暦10月25日)、レーニン率いるボリシェビキはペトログラードで武装クーデターを起こし、冬宮を占拠してロシア臨時政府を打倒した。

109年が過ぎ、ソ連はとうに解体した。しかし、あの「革命」が生んだ悪しき果実である中共政権は、中国の大地で今なお悪行を続けている。

毛沢東は1949年6月、中共創立29周年を記念して書いた『人民民主主義独裁について』で、「十月革命の一発の砲声が、われわれにマルクス・レーニン主義を届けてくれた」と述べた。客観的に言えば、この言葉は確かに間違いではない。しかし、ソ連が届けたのはマルクス主義だけではなく、暴力による権力奪取、殺戮による体制維持、そして人々を餓死させる全体主義のひな型一式だった。

ソ連共産党と中国共産党は、師と弟子の関係にある。両党の歴史を並べてみると、その罪悪までほとんど同じであることに驚かされる。これは偶然ではなく、共産主義体制そのものがもたらす必然である。

暴力による権力奪取 政権は銃砲から生まれる

ボリシェビキは選挙で政権を得たのではない。1917年11月、ロシアでは同国史上初の普通選挙となる憲法制定議会選挙が行われた。ボリシェビキの得票は約4分の1にとどまり、社会革命党が大勝した。ところが1918年1月、憲法制定議会は開会からわずか1日で、レーニンが派遣した赤衛隊によって強制的に解散させられた。民意が党の意向に合わなければ、銃剣で民意を取り消す。これがソ連共産党による支配の出発点だった。

中国共産党の出発点も全く同じである。1921年、コミンテルンの資金援助と指導の下で結成された中共は、その後、ソ連から受け取った資金で武器を購入する一方、農村で「土豪を打倒し、土地を分配する」運動を進め、最終的に内戦で政権を奪取した。毛沢東は、さらに露骨に「政権は銃口から生まれる」と述べた。中共の政権樹立以来、中国人民はこの政権に対する意思を投票で示す機会を失った。

注目すべきは、中共が権力を奪う過程で「民主」「自由」を繰り返し叫んでいたことである。抗日戦争中、『新華日報』『解放日報』は数多くの社説を掲載し、国民党の一党独裁を批判して、普通選挙、言論の自由、報道の自由を求めた。しかし、政権を手にすると、これらの約束は全て忘れ去られた。新聞には一つの声しか許されず、選挙には一つの結果しかなく、批判する者には「反革命」のレッテルが貼られた。

うそは権力を奪う道具、暴力は権力を守る手段である。この点で、ソ連共産党と中国共産党は完全に一致している。

武力で抵抗を弾圧 人民に銃を向ける

銃によって奪った政権は、銃によってしか維持できない。両党が抵抗に対処する方法まで全く同じである。戦車と機関銃だ。

ソ連共産党は1918年に「チェーカー」を設立して「赤色テロ」を始め、裁判を経ない処刑が常態化した。1921年には、かつてロシア共産党を支持したクロンシュタットの水兵たちが自由選挙を求めたが、赤軍によって流血の弾圧を受けた。

ソ連の公開された公式機密文書のデータによると、1930~1953年、グラーグの強制労働収容所には少なくとも1800万人が収容され、このうち170万~270万人が収容所内や流刑の途中で死亡した。

1956年にはソ連軍がハンガリーに侵攻し、人々の抵抗を弾圧した。1968年にはチェコスロバキアに侵攻し、戦車で「プラハの春」を押しつぶした。

中共の暴虐さも、「父親」であるロシアに引けを取らない。

1950年代初めの「反革命鎮圧運動」や「土地改革」では、多くの地主や「反革命分子」が処刑された。1957年の「反右派闘争」では、数十万人の知識人が右派とされ、夾辺溝の労働改造収容所だけでも、約3500人の収容者のうち生きて出られたのは500人余りにすぎなかった。

1959年、中共軍はチベットに進軍し、チベット人の抵抗を弾圧した。チベット軍区が編さんした『チベット情勢教育基本教材』には、「人民解放軍はチベットの反乱分子8万7千人を殲滅した」と記されている。その後も、チベットは長年、厳しい抑圧下に置かれてきた。

1989年6月4日、20万人を超える中共軍が首都の天安門広場に進軍した。戦車によるひきつぶしや機関銃による掃射で、数多くの学生や市民が死傷し、その暴行は世界に衝撃を与えた。

2014年、習近平政権は新疆で大規模な収容所を設け始めた。ウイグル人などの少数民族100万人が拘束され、洗脳を受け、行方不明となり、処刑された人も少なくなかった。

2020年に香港国家安全維持法が施行されると、メディア関係者や異見を持つ人々に対する大規模な摘発が行われ、弾圧は今も続いている。

ソ連共産党と中国共産党の弾圧の論理も、驚くほど似ている。まず、抵抗する人々に「白匪(反革命の賊)」「富農」「反革命」「暴徒」「分裂主義者」といったレッテルを貼り、普通の人を「敵」に変える。その後は、「敵」に対してどんな手段を取っても当然とされる。

今日の中国は、旧ソ連を超えている。中共は軍事費を上回る「社会安定維持」予算と先端技術を使い、人々を管理する手段を絶えず強化している。

地域を細分化した管理、人の顔を識別する技術、インターネット検閲が、目に見えない巨大な網を張り巡らせている。陳情者は行く手を阻まれ、「闇の監獄」に閉じ込められる。人権擁護に取り組む弁護士たちは、2015年の「709一斉摘発」で次々に連行された。中国人民は、至る所に張り巡らされた縄で身体も思想も縛られている。

同じ大飢饉 人為的につくられた地獄

20世紀で最も悲惨な二つの飢饉は、いずれもこの二つの共産主義国家で起き、どちらも人災だった。

1930年代初め、スターリンは農業の集団化を強行し、農民の穀物や家畜を没収して、いわゆる「富農」を排除した。1932~1933年、飢饉はソ連全土を襲い、特にソビエト・ウクライナで深刻だった。「ホロドモール」と呼ばれ、「飢餓による絶滅」を意味する。人口1億人余りのソ連全土で、餓死者は数百万人に上った。ところが、憤るべきことに、ソ連はその間も穀物を輸出していた。

その20数年後、中共は「父親」であるロシアの悲劇を、そのまま繰り返した。

1958年、毛沢東は「大躍進」と人民公社運動を始めた。各地では単位面積当たりの収穫量を水増しして「衛星を打ち上げる」と称し、当局はその虚偽の数字に基づいて穀物を徴発した。

1959~1961年の大飢饉では、人口6億人余りの中国で、非正常死した人が数千万人に達した。新華社の元記者、楊継縄氏は『墓碑』で約3600万人と推計し、中央党校が出版した『共和国重大事件紀実』は「およそ4千万人前後」と記している。飢饉が最も深刻だった年にも、中共は穀物を輸出し、対外援助を続けていた。

さらに恐ろしいのは、うそと沈黙である。

ソ連の1937年の国勢調査で人口の大幅な不足が明らかになると、スターリンは調査を主導した統計担当者を逮捕した。

中国では、信陽などで餓死者が至る所に出ていた事実が、各段階で隠蔽された。真実を語ろうとした人は「右派」とされた。中共の教科書は今も、この人災を「3年間の自然災害」と呼んでいる。数千万人の命を奪っても過ちを認めようとしない政党が、どうして心から人民に責任を持つだろうか。

同じように「不忠」な身内を殺戮

共産党は人民に残酷なだけではなく、身内にも同じように残酷である。権力が制約を受けない体制では、誰もが次の「敵」になり得る。

スターリンによる1936~1938年の「大粛清」では、2年間で68万人が銃殺された。1934年の全連邦共産党(ボリシェビキ)第17回大会の代表1966人のうち、1108人が逮捕された。同年に選ばれた中央委員と中央委員候補139人の約7割が逮捕、または銃殺された。ソ連邦元帥5人のうち3人が処刑され、赤軍の高級将校はほぼ一掃された。

中共にも同じ遺伝子がある。1930年代初め、江西省のソビエト区で行われた「AB団粛清」では、数千人の紅軍将兵や幹部が殺された。1942年の延安整風運動では、多くの共産党幹部が自白を強要され、取り調べを受けた。政権樹立後、1959年の廬山会議では、人民のために訴えた彭徳懐が失脚させられ、最後は文化大革命中に迫害によって死亡した。

国家主席の劉少奇はつるし上げられ、1969年に開封で死亡し、「劉衛黄」という偽名で火葬された。文化大革命では、北京から地方まで、数え切れないほどの幹部がつるし上げられ、拘束され、迫害によって命を落とした。

こうした内部の殺し合いは、毛沢東の死で終わったわけではない。その後、総書記を解任された胡耀邦と趙紫陽のうち、前者は失意の中で病死し、後者は15年間の自宅軟禁の末に亡くなった。

今日、習近平は「反腐敗」の旗印を掲げ、政敵や軍の高級将校への粛清を繰り返している。10年余りで拘束され、刑を言い渡された幹部は790万人に上る。法の支配も独立した司法もない体制では、「反腐敗」と「粛清」の境界は全て党首が決める。忠誠を尽くす相手は、指導者個人だけである。今日の同志が、明日には「裏切り者」になり得る。

市場経済への反対 計画経済がもたらす貧困

共産主義は私有制を諸悪の根源と考え、市場を「資本主義の尾」と見なす。そのため、ソ連共産党は民間の商工業を廃止し、5か年計画を実施した。中国共産党は「公私合営」や「統一買い付け・統一販売」を進め、人々の衣食住や移動まで5か年計画に組み込んだ。

その結果はどうだったか。ソ連の人々はパンや靴を買うために長い列をつくり、店の棚は空になり、最後は経済停滞の中で国家が解体へと向かった。中国の人々はかつて、食糧配給券、布の配給券、食用油の配給券で生活していた。数億人の農民は今も戸籍制度によって土地に縛り付けられ、二級国民として扱われることを強いられている。

中共は今日、経済的成果を誇ることを好む。しかし、改革開放後の発展は、まさに計画経済の縛りを緩め、民間企業の設立や外国資本の参入を認めた結果である。

これは市場経済の成功を示すものであり、共産主義の成功ではない。ところが近年、習近平政権は古い道へ戻り、国有企業が拡大して民間企業が後退する「国進民退」を進め、民間企業を抑圧し、外国資本を制限している。経済の失速は、全体主義が市場に抱く本能的な恐怖が、何も変わっていないことも示している。

計画経済の大きな弊害は、何をどれだけ生産し、いくらで売るかを、一握りの官僚が何億もの人々に代わって決めることにある。権力が集中すれば、必然的に無駄、不足、腐敗が生まれる。そして、その権力を維持するためには、職業選択、移動、取引の自由を人々から奪わなければならない。党による経済支配と人々の意思の抑圧は、必然的に後退と悪循環をもたらす。

信仰への恐怖 寺院破壊から法輪功迫害まで

マルクスは「宗教は人民のアヘンである」と述べた。共産党は、人々に党だけを信じ、指導者だけを崇拝するよう求め、党以外のあらゆる信仰を政権への脅威と見なす。

ソ連では「戦闘的無神論者同盟」が設立され、多くの正教会の教会堂が破壊されたり、倉庫に転用されたりした。数万人の聖職者が逮捕され、流刑に処され、銃殺された。

中共は文化大革命中、「四旧打破」を掲げ、仏像を壊し、経典を焼き、寺院を破壊し、僧や尼僧を還俗させた。その後も、チベット仏教、地下カトリック教会、家庭教会、イスラム教への弾圧は途切れたことがない。

最も長く続き、規模が最大なのは、法輪功への迫害である。法輪功は「真・善・忍」を原則とする仏家の修煉法で、1990年代に中国で広く普及した。当局も調査後、わずか数年で修煉者が7千万人に達し、6千万人余りの共産党員数を超えたことを認めた。これが当時の中共党首 江沢民に恐怖と嫉妬を抱かせ、江沢民は1999年7月20日、全面的な弾圧を命じた。

江沢民政権の弾圧手段は、恐るべきものだった。国家機構の全てを動員し、メディアを使った虚偽情報や中傷によって法輪功を悪魔のように描いた。警察、検察、裁判所、司法行政機関に学習者の拘束を命じ、労働教養所、刑務所、「洗脳施設」に送り、拷問で信仰放棄を意味する「転向」を強要した。

心を修め、善を目指す法輪功の人々への迫害は、中国の法の支配と道徳を根底から損なった。

学習者を「転向」させるため、警察・検察・裁判所、国家機関、学校、企業や事業組織、住民委員会まで動員された。家族への連座、公職からの追放、年金の支給差し止めが常套手段となった。この運動の中で、一般の人々も態度表明や批判への参加を強要され、社会の良心は少しずつすり減らされた。

法輪功側の情報源が幾重もの情報封鎖を突破して行った実名による集計では、27年間に少なくとも数千人が迫害によって死亡した。だが、これも真相の氷山の一角にすぎない。数百万人の修煉者が拘禁、労働教養、刑事処罰、拷問、失踪の被害に遭い、大規模な生体臓器摘出の対象にさえなった。

2019年、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の検察官を務めたジェフリー・ナイス卿が議長を務める独立した民間法廷「中国法廷」は、中国では良心の囚人からの強制臓器摘出が長年行われており、法輪功学習者が主な被害者集団であると認定した。

中共は法輪功への迫害を海外にも広げている。2024年から、習近平政権は迫害をさらに国境を越えた弾圧へと強化し、海外の学習者や独立系メディア、神韻芸術団に嫌がらせを行い、外国政府にも圧力をかけている。

27年間、国内外の法輪功学習者は平和的に真実を伝え続け、暴力に訴えたことはない。その姿は、共産主義による暴力支配に対する最も力強い反証となっている。

今も続く苦難 共産主義は人民の不倶戴天の敵

ソ連は1991年に解体し、東欧の共産党政権も相次いで崩壊した。では、なぜ中国人民の苦難は今も続いているのか。中共が経済成長と引き換えに沈黙を得る方法を学び、民族主義で人々の目をそらし、技術を使って監視を強めてきたからである。しかし、こうした変形した手法も、共産党の本質を変えてはいない。

これは、特定の共産党指導者による個人的な悪行にとどまらず、国家機構による「執行の逸脱」だけでも説明できない。同じ制度そのものがもたらした結果である。

共産主義が私有財産をなくそうとすれば、必然的に人々の生計を奪う。「プロレタリア独裁」を実現しようとすれば、異見を暴力で扱うことになる。人々に共産党だけを信じさせようとすれば、他の信仰を迫害せざるを得ない。人民の幸福を目指すと口では言いながら、実際には人民の生命、財産、自由、信仰を奪うことを党の目的としている。

1991年、ソ連が解体し、ロシアの人々は74年にわたる共産主義の呪縛から抜け出した。

109年前にペトログラードから響いたあの砲声は、その発祥の地では既に静まった。しかし、中国では今も響き続けている。中国人民の苦難は、この政権とともに存在している。共産党が中国で歴史の舞台から退いて初めて、1世紀以上に及ぶこの苦難は本当に終わるのである。

トランプ米大統領は、ソ連共産党の「十月革命」109周年を前に、「反共産主義週間」の開始を宣言した。これは、世界への警告でもある。

共産主義は人民の救世主ではなく、人民の不倶戴天の敵である。

(責任編集:高義)

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
韋拓