中国共産党の金属疲労、迷走する人民解放軍

2005/12/13
更新: 2005/12/13

【大紀元日本12月13日】中国は悠久の歴史のある国家であり数千年の間、幾多の王朝が栄枯盛衰を繰返して来た。個々の王朝や政権には当然のことながら、それを支える膨大な官僚組織があった。科挙に代表される官吏登用が当時の人士に無数の悲喜劇をもたらしたことも漢から清朝に至る数知れぬ漢詩や詞を読めば歴然としている。時として目にする員外郎なる言葉も組織の肥大が招いた苦肉の策であったろう。

もとより現代中国は共産党の支配する一党独裁政権により支配されており、歴史書の王朝とは全く異なるものではあるが、その官僚機構を見る限り科挙こそ無くなったものの、控えめに見ても昔と同じく党内の人脈にかなり依存しているものと思われるものが少なくない。皇帝や権臣に媚び登用された昔の高級官僚と同様、当然のこととして出身重点大学、地縁や血縁まで含めた人脈が出来あがり、その下には又それを支えるピラミッド型の人脈が出来、更にその下にも同様な繋がりが出来るのは人間の性かもしれない。世に言う上海閥と技術系の最高学府である清華大学をもじった大清帝国なる言葉も明らかに参画出来ない人達の羨望や揶揄をも込めた表現であろう。

当然の事ながら、中国にあって最大且つ堅固を極める組織の代表が人民解放軍である。文化大革命が終焉したころ、積年の夢を果たし入営していた農村の青年達が、兵役期限到来を前になんとか軍に残ろうとして涙ぐましい努力、例えば夜中の3時ごろから兵舎の掃除を始めるというような話は日本にまで伝わって来たものである。当時、農村出身の青年にとっていわば唯一の身を立てる方法であったのであろう。しかも、軍に残れても高級将校になれた人材は殆どいなかったとの話であるが、一方、共産党幹部や将軍達の子弟は、例外なく要職にあると聞いている。確か「世冑は高位を履み、英俊は下僚に沈む」という言葉があったが。

さて、人民解放軍は建軍の歴史から悪名高い国民党軍とは異なり厳正な軍律を標榜し正しく党の銃であったし、装備にこそ劣っていても八路軍(パーロ)の名称で当時の日本でも一目置かれる勇猛果敢な存在であった。長征をはじめ厳しい内戦を経た人民解放軍の名は朝鮮動乱を含め世界の注目するところとなった。結果的に他国には無い総後勤部という組織も含め、世界に冠たる数百万の兵士を持つ最大の陸軍国になったのである。人民解放軍は動乱の時代には、最も信頼に足る組織であり、その士気もきわめて高かったといえよう。然しながら、時代の変遷と共に国内の敵が消滅した結果、建軍の精神は次第に希薄化し、組織自らが党の指導下にありながら着実に増殖し、一種の国家内国家へと変貌を遂げていったようだ。我々の言葉で言う圧力団体になってしまったのである。

猿や狼の群れにすら序列がある。まして人間の世界では3人集まれば2つの閥が出来てしまうらしい。命令系統が全ての組織においては典型的な実例であろう。明治時代の日本海軍が薩摩、陸軍が長州閥というのも歴史的事実である。人民解放軍も例外ではなかろう。まして総後勤部というユニークな組織が結果的に軍事産業を傘下におさめることとなったのはいわば当然の結果でもあったろう。世界最大の陸軍や規模的には未だ世界屈指ではないかも知れないが海空軍、戦略ミサイル部隊を含めた四軍の傘下には、産軍共同体として相当の企業集団が存在する筈である。勿論、給与や年金等厚生費用を合せると国防予算が公表の数値の何倍にも達するとしても何の不思議もない。問題は党の軍隊がいつのまにか党を左右するほどの確固たる勢力になっていることであろう。組織が停滞、肥大、硬直化すると御多分に漏れず効率が低下し不心得者も出る。一例を挙げると虚報かも知れないが以前信じられないような規模の密輸事件が発覚したことがある。海軍や主務官庁との結託が無ければあり得ないような規模であった。少なくとも一流海軍としては前代未聞の話である。又、一部の軍人や退役軍人が米国との戦争の可否を公言したり、示威行動なのか台湾解放を彷彿とさせる軍事演習をおこなったりするのも、ある意味では国務院の意向を帯した場合もあろうが、むしろ国務院が引き摺られているような場合すらあるのではなかろうか?度重なる抗議にも拘らず中国海軍測量船が日本の経済水域を侵犯するのも、その辺の証であろう。軍関係の要路の人物、もしかすると有名な十大元帥の子弟と思しき姓の将軍が「米国と戦争になれば西安以東は廃墟となり数億の中国人が失われるが、米国でも数百の都市が灰燼に帰す」と述べたとすれば、先ず、一個人の意見としては認識されないであろう。いくらなんでも国務院が事前に発表を許可した訳でもなかろうが、ほんの十年前ならあり得ぬ出来事ではなかったか。

膨大な世界最大の官僚組織を備える中国である。多少突飛な人物がいても何の不思議もないが、軍部を含めた官僚組織が既に一種の金属疲労をおこしているのではなかろうか。若しそうであればその責任は中国共産党に帰属する。軍歴のない胡主席が例え軍事委員会トップを兼務し、江沢民氏の残影を払拭しようとしても、僅かの将領の昇進や配置転換のみで軍を掌握出来るとは誰も思うまい。まして前主席が上皇とは言わぬまでも隠然たる勢力を維持することは、御本人の意向はともかく彼の下で台頭して来た将領やその部下の高級士官達にとっては絶対に譲れない線であろう。つまり牢固とした官僚組織である。まして通常の政府官僚機構に於いておや。それこそ胡主席つまり現代中国の泣き所ではなかろうか。胡主席が仮に超人的人物であったとしても全てを掌握するには相当の年月が必要であろうし、その間に、胡首席がペレストロイカを始めたゴルバチョフ氏のような華麗な変身を遂げる事が出来れば理想であろうが、彼の過去の経歴を考えると見果てぬ夢のような気がするのは筆者だけではあるまい。東欧で始まったオレンジ革命等を考えると如何にも同様なことがありそうではあるが、所詮、東欧諸国の人口は中国の一省にもはるかに及ばないのである。矢張り、彼をその方向に押し出す力は中国の13億の人民の総意に待つべきであろう。大衆は直ぐには動かないかも知れないが明らかに変化の兆候がある。6百万人にも及ぶ党員の離脱は、その明らかな証拠である。いわば不動の象徴であった中国の名山である泰山が鳴動し山容が改まり始めたのに等しい。

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