江沢民生誕100年の仮面 北京の称賛が歴史から消し去るもの

2026/08/29
更新: 2026/08/29

論評

8月17日、中国の国営メディアは、江沢民・元中国共産党党首の生誕100年を記念する記事を一斉に掲載した。環球時報、チャイナ・デイリー、新華社は、江沢民を「長年の試練を経た共産主義の戦士」「揺るぎない信念」を持ち、「人民への深い愛情」を抱いた人物として称賛する文章を転載した。

しかし、そこでは語られていないことがある。江沢民は天安門事件をきっかけに出世し、自ら法輪功への迫害を開始した。また、「厳打(犯罪撲滅)」運動を展開し、今日の新疆における厳格な治安統制体制の基礎を築いたほか、香港が自治を失っていくことにつながる法的な土台を整えた。さらに、果たされることのなかった約束と引き換えに、西側諸国から世界貿易機関(WTO)への加盟を引き出した。

以下では、こうした中国当局のプロパガンダと歴史的記録を照らし合わせていく。

「長年の試練を経た共産主義の戦士」か、それとも究極の生存者か?

中国共産党側の主張: 中国共産党(中共)の現党首である習近平は、江沢民について、20歳だった1946年に入党して以来、「共産主義の理想と信念を揺るぎなく堅持した」と称賛した。

反論: 江沢民はソ連で訓練を受けた「ブルジョア」出身の技術者であり、本来なら文化大革命で標的とされてもおかしくない人物だった。しかし粛清されることなく、技術官僚としてひっそりと出世を重ね、1985年には上海市長にまで上り詰めた。

ある中国研究者は江沢民を「抜け目なく狡猾な政治家」と評し、同時代の人々からは「風見鶏」や「植木鉢」とあだ名された。『フォーリン・アフェアーズ』誌によると、江沢民は特定の政策路線に身を投じるのではなく、党、軍、治安機関など、あらゆる派閥に資源を「惜しみなく与える」ことで権力基盤を築いた。

江沢民が党の路線から外れることがなかったのは、そもそも彼自身に独自の路線がなかったからである。実際、その年の党の路線が何であろうと、江沢民自身がその路線そのものだったのである。

天安門事件――江沢民を押し上げた虐殺

中国共産党側の主張: 生誕100年を記念する記事では、天安門事件について一切触れられていない。前述した中国国営メディアの記事はいずれも、この出来事を飛ばし、1989年の江沢民の昇格へと話を進めている。

反論: 江沢民が1989年6月に中国共産党総書記に就任したのは、まさに上海市党委員会書記として、抗議活動に同情的だった新聞を停刊させ、流血を伴わずにデモを抑え込んだからである。当時の中国最高指導者、鄧小平もこれを「成功」と評価していた。

中国共産党総書記だった趙紫陽は、戒厳令への支持を拒否したため失脚した。一方、江沢民が抜擢されたのは、それとは正反対の姿勢を取ったからである。1989年6月3~4日に北京で起きた虐殺では、死者数について数百人から少なくとも1000人、さらには1万人を超えるとの推計もある。この天安門事件こそ、江沢民が権力の頂点へと上り詰める直接的な契機となった。その後14年間にわたり権力を握った江沢民は、この事件を公に批判することは一度もなかった。

法輪功――江沢民が自ら始めた迫害

中国共産党側の主張: 中国国営メディアによる生誕100年の報道では、この問題について一切言及されていない。

反論: 1999年7月20日、江沢民は膨大な人数の学習者を擁する法輪功に対する全国規模の弾圧を開始した。法廷でまとめられた文書によると、弾圧は同年4月から7月にかけて段階的に激化し、最終的には迫害運動を統括する超法規的組織「610弁公室」の設置命令に至った。

中国問題専門家の横河氏はラジオ・フリー・アジア(RFA)に対し、「当時、政治局常務委員会では誰も江沢民を支持していなかった。これは江沢民一人の決定だった」と語っている。

その後、大規模な拘束、強制労働、拷問が行われ、強制的な臓器摘出についても信憑性のある証拠が示されてきた。一部の推計では、その犠牲者数は天安門事件の死者数を上回るとされている。

チベット、新疆、そして「厳打」のひな型

中国共産党側の主張: 生誕100年の報道ではこの問題について触れられていない。一方、『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』は、中国共産党軍の将軍が江沢民について、「敵対勢力」に対抗し、軍の党への忠誠を維持したとして称賛したと報じた。

反論: 江沢民政権下で1996年から始まった「厳打」運動は、チベットや新疆における「分裂主義」を標的とし、約2万人が処刑され、大規模な拘束が行われたとの信憑性のある報告がある。こうした政策は、今日のウイグル人に対する「再教育施設」につながる制度的な土台となった。ウイグル人の宗教活動に対する規制は、1997年のグルジャ事件(伊寧事件)を引き起こした。当局の公式発表では10人が死亡したとされる一方、亡命者側の情報では犠牲者ははるかに多かったとされている。

1995年には、ダライ・ラマが当時6歳のゲンドゥン・チューキ・ニマをパンチェン・ラマの転生者と認定した数日後、中国当局が同少年を連れ去った。史上最年少の政治犯ともいわれ、その後、現在に至るまで公の場で姿を確認されていない。

香港――失われた自治への布石

中国共産党側の主張: 中国国営メディアの記事は、江沢民が「改革開放を推進した」と評価し、1997年の香港の中国への返還についても、問題のない大きな成功として描いている。

反論: 香港返還そのものは鄧小平が取り決めたものだったが、「一国二制度」の極めて重要な最初の10年間を統治したのは江沢民だった。江沢民政権は早い段階から、香港基本法23条に基づく国家安全保障関連法の制定を推進するとともに、香港の裁判所の判断に対して北京当局が基本法を再解釈する権限を行使することを常態化させた。これらは後に習近平政権が2020年の「香港国家安全維持法」で用いたのと同じ手段である。

江沢民が一夜にして香港を取り込んだわけではない。彼は、後継者たちがその仕事を完成させるための「れんが」を一つずつ積み上げたのである。

「中国をWTO加盟へ導いた」――北京が最も誇る功績(そして最も検証に値するもの)

中国共産党側の主張: 『環球時報』の記事は、WTO加盟を江沢民の「不朽の功績」の一つとして挙げ、『チャイナ・デイリー』は、江沢民が中国を世界の需要と結びつけたと評価している。

反論: 江沢民政権下で、中国は恒久的正常貿易関係(PNTR)とWTO加盟を獲得したが、その大部分は改革や知的財産権(IP)保護を進めるという約束を前提としたものだった。しかし、その約束は守られなかった。1994年、ワシントンは最恵国待遇(MFN)と人権問題を切り離したが、それによって米国は主要な交渉手段を失った。まさにその後、江沢民は法輪功への迫害や「厳打」運動を進めていった。

1999年の「コックス報告書」は、米中関与が進められていた同じ時期に、中国が米国の核・軍事技術を標的としたスパイ活動を行っていたことを記録している。

また、米通商代表部(USTR)が20年以上にわたって実施してきた通商法301条に基づく調査結果は、技術移転や知的財産権保護をめぐり、中国がWTO加盟時に約束した内容と実際の慣行との間に、根強い隔たりが存在することを裏付けている。

「自由化を約束し、優遇的な市場アクセスを引き出す」というパターンは、後の時代になって突然現れた例外ではない。江沢民の時代にすでに確立されていたのである。

称賛記事が語ること、そして語らないこと

中国国営メディアの記事を並べてみれば、その手法が浮かび上がってくる。環球時報、新華社、チャイナ・デイリーは、江沢民の「並外れた勇気と先見性」や「人民への深い愛情」を称賛する一方、天安門事件、法輪功、パンチェン・ラマ、グルジャ事件、そして「厳打」による処刑については一切触れていない。

『チャイナ・デイリー』の特集記事は、江沢民がひそかにスペイン語を勉強していたという逸話を紹介し、その人間的な一面を描いている。しかし、その同じ時期には約2万人の処刑が進められていた。

『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』は、中共軍の将軍が江沢民を引き合いに出し、軍に対する「党の絶対的指導」を求めたと報じた。これは皮肉にも、江沢民を貫いていた本質が何だったのかを裏付けている。江沢民が最も得意としていたのは、組織に党への忠誠を徹底させることであり、海外向けに描かれた「経済に精通したテクノクラート」というイメージではなかった。

そして、どの記事も江沢民の統治下におけるWTO加盟や「小康社会(ややゆとりのある社会)」の実現を功績として挙げているが、そのために西側諸国に何を約束したのか、あるいはその後、何が履行されなかったのかについては一切触れていない。

実際の経済的成果は前面に押し出され、江沢民という人物そのものを称賛する材料にまで膨らませられる。その一方で、同時並行で進められていた弾圧は、歴史から単純に消し去られている。

結論

江沢民は、決して凝り固まったイデオローグではなかった。多くの評価によれば、毛沢東や習近平と比べて親しみやすく、実際、残虐さも少ない人物に見えた。しかし、江沢民の出世は、彼が一度も批判しなかった天安門事件の虐殺によるものだった。彼は自ら法輪功への迫害を開始し、その犠牲者は天安門事件の死者数を上回った可能性がある。また、約2万人の処刑につながった「厳打」運動を展開し、今日のウイグル人収容施設につながる統制システムを築いた。江沢民政権は、ダライ・ラマが選んだ後継者を認めさせないため、6歳の少年を失踪させた。そして、香港の自治も、中国がWTO加盟時に交わした約束も、状況次第で変更できるものとして扱うというパターンを作り上げた。

これらの行為に狂信的な思想は必要なかった。必要だったのは、現在、江沢民を称賛する人々が「信念」と呼んでいる資質だけだった。すなわち、中国共産党の権力がどちらへ向かっているのかを常に見極め、どれほど大きな人的犠牲を伴おうとも、その流れに従って動くという、決して外れることのない本能である。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
Stu Cvrk
米国の退役軍人。退役時の階級は大尉。米海軍で30年にわたり現役・予備役を問わずをさまざまな任務に就き、中東や西太平洋での豊富な作戦経験を持つ。海洋学者およびシステムアナリストとしての教育と経験を積み、米海軍兵学校を卒業。兵学校時代に受けた古典的なリベラル教育は、自身の政治評論の重要な基盤となっている。