最先端の農業技術は生きている

2026/09/21
更新: 2026/09/21

論評

私たちは炭素に取りつかれた世界に生きている。炭素を測定し、取引し、課税し、規制し、それを捉えるために設計された巨大な機械を建造している。人類が引き起こした害から人類を救うためには、ますます複雑なテクノロジーが必要になると私たちは告げられている。しかし、最も強力なテクノロジーが、私たちが発明する必要のあるものではなかったとしたらどうだろうか。それが、神がすでに設計されたものだったとしたらどうだろうか。

「再生型農業:土壌の炭素貯蔵、生物多様性、利益の結びつき(Regenerative Agriculture: Connecting Soil Carbon Storage, Biodiversity, and Profit)」と題された新しい査読済み論文は、その答えがすでに私たちの足元にあるかもしれないという証拠を示している。この研究は、エクジシス財団(Ecdysis Foundation)のジョナサン・G・ラングレン(Jonathan G. Lundgren)氏が率い、「環境研究:食料システム(Environmental Research: Food Systems)」誌に掲載された。

研究者らは、米国15州とカナダ2州にまたがる210の畑作農場を調査した。トウモロコシ、大豆、小麦などを生産するこれらの農場を、従来の慣行農法から高度な再生型農法へと続く段階的な連続体に沿って分類した。そして、耕起の削減、土壌の被覆維持、家畜の導入、堆肥や有機肥料の活用、さらに化学肥料・除草剤・殺虫剤・殺菌剤の不使用といった実践を行っている農場ほど、より高い「再生スコア」が与えられた。

研究者らは炭素だけに注目したわけではない。複数の深さで土壌をサンプリングし、微生物群集を測定し、植物の多様性を記録し、数万匹の昆虫やその他の無脊椎動物を回収し、鳥の数を数え、収量を調査し、農家から財務情報を収集した。その結果は注目に値する。

最も再生型である農場は、最も慣行的な農場に比べて、土壌中の全炭素量が約39パーセント多かった。また、微生物バイオマスが66パーセント、真菌バイオマスが181パーセント、そして植物の根と共生して栄養や水の吸収を助けるアーバスキュラー菌根菌が371パーセント多かった。

再生型の農地では、非作物植物、土壌上や葉の上の昆虫、土壌に生息する生物、そして鳥類がより多く生息していた。これは、特定の測定値だけが望ましい方向に動いたという孤立した現象ではない。命が一体となって戻ってきたように見えたのだ。

再生型農場は慣行農場に比べて平均収量は低かったものの、その収量は国の平均と同等の水準を維持していた。さらに重要なことに、純利益は同等であった。慣行農場はコンバインでより多くの商品作物を動かしたが、必ずしも農家に多くのお金を残したわけではなかった。

この発見は、私たちが農場を生産的と呼ぶときに何を意味しているのかを再考させるべきである。ある畑がより多くの収穫量を上げる一方で、より多くの肥料、より多くの農薬、より多くの購入資材を必要とし、別の畑が十分な食料を生産し、より多くの生命を支え、より多くの水を保持し、より多くの炭素を蓄え、農家に同じ利益をもたらすとしたら、どちらの農場が真に生産的と言えるだろうか。

研究者らはその研究の多くを温室効果ガスの緩和という文脈で組み立てている。彼らは、観察された差が米国のすべての畑作農地に再現された場合、土壌に保持される追加の炭素は、米国の全温室効果ガス排出量の約1.49年分に相当すると計算した。

それは並外れた計算であるが、正しく理解されなければならない。研究者らは既存の土壌炭素蓄積量の差を測定したのであり、米国の農地が毎年永遠にその量を吸収し続けられることを証明したわけではない。また、この観察研究は、農場がその差を蓄積するのに正確に何年かかったかを立証したものでもない。

私自身も、すべての農地を企業の「炭素の帳尻合わせ」のための道具に変えてしまうことにはあまり関心がない。炭素はあくまで生態系を測る一つの物差しにすぎない。生物の営みがうまく機能しているかを知る手がかりにはなるが、それ自体が農場の目的なのではない。農家は企業の代わりに炭素を閉じ込める下請け業者ではないし、豊かな土壌が、他所での環境汚染を帳消しにするための免罪符(オフセット)に貶められてはならない。

土壌中の炭素とは、肥沃さそのものである。それは有機物であり、植物の根であり、微生物の生命であり、改善された土壌構造である。それは地面が雨を弾くのではなく、受け入れるのを助ける。それは植物、菌類、動物、大気の間の交換に参加する。政府が炭素クレジットを発明するはるか以前から、神は炭素が生命の世界を巡るように設計されていたのである。

この研究が証明した本当の成果は、単なる炭素の数値ではない。それは、自然の摂理を尊重して管理された農場が、しっかりとした利益を上げ続けながら、より豊かな生命を育んでいたという事実である。炭素、菌類、植物、昆虫、鳥類は、それぞれ別個の勝利なのではない。それらは、システムが機能を取り戻したことの異なる表れなのだ。

この研究はまた、農家自身を動機づけたものが何であったかも調査した。再生型農家のほうが、土壌の健康や家族の身体的・精神的な幸福を意思決定の理由として挙げる傾向が強かった。一方、慣行農家は、財務、収量、事業規模の拡大を優先する傾向が強かった。

だからといって、一方のグループが善で、もう一方が悪ということではない。農家は概ね、自分たちに手渡された経済システムの中で意思決定を行っている。何十年もの間、そのシステムは量、均一性、そして特化を報酬として与えてきた。それは農家に対し、足元で失われていく土壌の豊かな生命力を無視し、収穫量の多さだけで成功を測るよう刷り込んできたのである。

農業の再生とは、農家の役割に対する捉え方を改めることから始まる。現代の産業型農業は、農家を「購入した資材をまき、言いなり通りの収穫を強制する作業員」のように扱いがちである。一方で、近年の環境保護論の中には、人間を「自然から締め出すべき侵入者」とみなす極端なものもある。

再生型農業は、もう一つの新しい可能性を示している。それは、農家が自然環境においてきわめて重要な役割を果たす「キーストーン種(生態系を支える要の存在)」になり得るということだ。人間が土地を荒廃させてしまうことがあるのは事実だが、それだけが私たちのもたらす影響のすべてではない。思慮深い農家であれば、家畜、植物、あえて地面に刺激を与えること、そしてその後の回復といったプロセスをうまく組み合わせることで、生物の多様性と豊かさを高めることができる。

たとえば、牛が草を食べ尽くしてしまう前に移動させ、植物が再び育つ時間を与えることができる。また、直射日光から土壌を守り、堆肥を土に返し、植物の種類を増やし、機械には決して真似できない働きをしてくれる小さな生き物たちが暮らす環境を整えることもできるのだ。

これは人間が自然から身を引くことではない。それは、人間が謙虚さと責任を持って自然に参加することである。創世記には、人間が園の外に置かれ、決してそれに触れてはならないと指示されたとは書かれていない。人間は「それを耕し、守るため」に園の中に置かれたのである。私たちの目的は、受動的な観察では決してなかった。それは管理(スチュワードシップ)であった。

この価値ある素晴らしい研究でさえ、今や定番となった「気候変動の緩和」や「地球環境の修復」という現代的な枠組みの中で語られている。研究者たちがそうした言葉を使う理由はよく分かるし、彼らが突き止めた炭素に関するデータも確かに重要だ。しかし、私たちは必ずしも「人間が自然を破壊した」という罪の意識や、「テクノロジーが私たちを救わなければならない」という恐怖心から議論を始めなくてもよいのではないだろうか。

むしろ、私たちは次のような事実を思い出すことから始めるべきではないか。土壌はもともと生き物であふれるように設計され、動物たちは大地を移動するようにできており、植物は微生物を養うようにできている。そして私たち人間は、これらすべての関係性を注意深く見つめ、その世話をするための能力を与えられているのである。

本当に最も先進的な農業技術とは、新しい機械や化学物質、あるいは複雑なコンピューターモデルのことではないのかもしれない。それは、本来あるべき姿で機能している「自然(神)の摂理」そのものであり、農家がようやく「自然の管理人」としての本来の役割を取り戻すことなのだ。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
再生型農業と牧畜に取り組む農場主。食の主権、土壌の再生、そして自給自足やホームステッド(自立型生活)の教育に力を注いでいる。