百家評論 部屋を出よ、ゲームを置け

今なぜ少年たちは「男」になれないのか? 本物の人生は「居心地の悪さ」の先にある

2026/09/21
更新: 2026/09/21

論説

人類史の大半において、自立し、人から認められ、心通う相手や家族を持ちたいと願う若い男は、子ども時代の守られた環境を抜け出し、社会の中で自らを「役に立つ人間」に磨き上げる必要があった。働き、稼ぎ、拒絶される恐怖を乗り越え、勇気を養って責任を引き受けなければならなかったのだ。

そうした自らの欲求こそが、彼を一人前の大人の世界へと引き入れる原動力だった。

私は男性性が有害だとは思わない。男性性は世界において不可欠な均衡を保つ力である。最良の形であれば、それは庇護的であり、生産的で、勇敢で、冒険心に富み、進んで重荷を背負うものだ。男たちは建設し、探検し、防衛し、養い、家族や社会を機能させ続けるための肉体的リスクを引き受ける。

私が危惧しているのは、男性特有の衝動が強すぎることではない。その衝動をバーチャルな世界へと逸らし、少年が本物の大人になる前に満足感を与えてしまうテクノロジーを、私たちが作ってしまったことにあるのだ。

私が愛し、称賛してきた男たちは、最初から完成された存在として生まれたわけではなかった。何かが彼らの背中を押し、安楽な場所から未知の世界へと引きずり出したのだ。

私の夫エリアスは、16歳のときにメキシコを離れ、徒歩でアメリカへ渡った。その旅は恐ろしく危険なものだったが、留まり続けることの苦痛——貧困、不安定さ、そして両親や兄弟姉妹を養いたいという欲求——が、旅立つ恐怖に打ち勝ったのだ。

23歳までに、彼はさらなるリスクを冒して私と結婚した。私たちは国も文化も、社会経済的な背景も異なっていた。私の方が年上で、かつては彼の上司でもあった。互いに恐れを抱く理由は山ほどあったが、彼はその未知の世界にも踏み込んだ。彼は夫となり、父親となり、稼ぎ手となり、私たちが一人では決して築けなかった人生を共に築き上げるパートナーとなった。

私の弟ライランドは、10代の頃、スノーボードへの情熱に突き動かされて山へと向かった。彼はタホ湖を目指して家を出て、スキーリゾートの厨房で過酷な労働に耐えた。その先には、山をスノーボードで滑り降りるという爽快感が待っていたからだ。

私の父とその兄はニューヨークを離れ、西部へと向かった。二人はリンゴを収穫し、油田で働いた。やがて彼らは、私の母とその双子の妹と結婚した。2組の夫婦は家を買い、全員で一緒に暮らし、一つの屋根の下で家族を築き上げた。

親友の一人であるマイクはバンドを組んでおり、音楽業界で成功することを夢見てロサンゼルスへ移住した。表舞台ではなく裏方としてのキャリアではあったものの、彼はまさにその夢を実現させた。彼は今もその業界で働き、人々が集い合える機会や現実の空間を作り出している。

その追求が彼にもたらしたのは、キャリアだけにとどまらなかった。彼は生涯の伴侶と出会い、結婚し、子どもを授かった。その報酬は、彼が最初に家を出たときに想像していたどんなものよりも有意義なものだった。

友人のアレックは荒れた家庭環境の出身で、軍隊へと直行した。軍隊は、規律、連帯感、奉仕、そして責任を通じて、古くから少年たちを男へと押し上げてきた組織だ。だが、彼を今日の男へと形作ったのは、COVID-19のパンデミック下で声を上げたことだった。沈黙を守る方が容易だったはずの場面で、彼は勇気を奮い起こし、自分が正しいと信じることのために公然と立ち上がる意志を見出したのである。

エリアスはアメリカを目指して歩いた。ライランドは山へ向かった。父は西部へ油田を求めて旅立った。マイクは音楽を追ってロサンゼルスへ行った。アレックは軍に入隊し、後に自らの安全を危険に晒して声を上げた。

どの男も、恐怖を克服するほどに強い欲望によって、安全で慣れ親しんだ場所の先へと引き出されたのだ。彼らが見出した報酬は、必ずしも当初思い描いていたものとは限らなかった。しかし、その追求は彼らに相応の対価を要求し、その要求に応えることで彼らは成長したのである。

何年も前、友人のリアムが突拍子もないことを言った。「もう女性とデートしたいかどうかも分からないよ。ポルノの方がずっと楽だからね」

当時、インターネットとは「行く」場所だった。私たちはパソコンの前に座り、接続し、やがてそこから離れた。ポケットに入れて持ち歩くことも、ベッドの脇に置いて眠ることもなかった。

私は反論した。ポルノは人間の親密さの貧相な模造品に過ぎず、本物の女性や現実の関係性の代わりにはなり得ないように思えたからだ。だがリアムは、今や無視することが困難になったある事態を警告していたのである。

代替物は、本物と同等である必要はない。人が本物を追い求めるのをやめてしまう程度に、その飢えを鎮めることさえできれば十分なのだ。

ポルノは、求愛も、拒絶も、献身も、責任も伴わずに性的充足を提供する。ソーシャルメディアは、自分を真に知ってもらう労力を要さずに注目を提供する。ビデオゲームは、物理的な世界で目に見えるものを一切生み出さずとも、地位、測定可能な進歩、競争、そして繰り返される勝利を提供する。

危険なのは、これらの体験が何の報酬も与えないことではない。危険なのは、それらが「十分すぎる」報酬を与えてしまう点にある。

婚姻統計は、私たちの生活がどれほど劇的に変化したかを物語っている。1960年、アメリカ人男性の初婚年齢の中央値は22.8歳だった。現在ではほぼ31歳である。1980年には、一度も結婚せずに40歳に達したアメリカ人はわずか6パーセントだった。2021年までに、その割合は25パーセント——4人に1人——に達した。

結婚は単に先送りされているだけではない。増加するアメリカ人の一部にとって、それはもはやまったく起こり得ない事象となっている。25歳から54歳の男性において、妻または同棲パートナーを持たずに生活している割合は、1990年の29パーセントから2019年には39パーセントへと上昇した。

婚姻の遅れには、住宅費、賃金、教育、家族の崩壊、期待の変化など、多くの原因がある。しかし、もう一つの無視しがたい数字が存在する。2022年、独身男性のうち真剣な交際または気軽なデートを求めていると答えたのは半数に過ぎなかった。残りの半数は、探してすらいなかったのだ。

同時に、全国代表調査においてアメリカ人男性のほぼ半数が、前週に意図的にポルノを視聴したと回答した。これはポルノが結婚離れの原因であると証明するものではない。だが、リアムの警告を再考せざるを得なくさせる。かつて男たちを女性へと駆り立てた衝動が、自分の部屋を一歩も出ることなく満たされる、あるいは少なくとも鎮められてしまうとしたら、一体何が起きるのか。

ゲームについても同様の配慮が必要である。ゲームをプレイすることが男を無能にするわけではない。ゲームはやりがいがあり、社交的で、楽しいものになり得る。しかし、若い男性の労働時間の減少を研究している経済学者たちは、ビデオゲーム技術の向上が男性の余暇に対する価値観を高め、労働時間減少のかなりの部分を説明していることを突き止めた。

これは単なる時間の浪費の問題ではない。発達プロセスの断絶を意味している可能性があるのだ。

孤独、性的欲求不満、退屈、そして失敗への恐怖は苦痛である。しかし、それらは行動を起こす力にもなり得る。若者を、技術を学び、金を稼ぎ、対人関係の勇気を養い、女性にアプローチし、拒絶を乗り越えて再挑戦するよう突き動かすこともある。かつては、居心地の悪さこそが原動力だったのだ。

今日、若い男は自室から出ることなく、性的刺激、疑似的な仲間意識、承認、競争、そして達成感を得ることができる。世界が彼にその報酬を自力で得る能力を求める前に、機械が彼に感情的な報酬を与えてしまうのだ。

こうした若者たちを怠惰だと決めつけるのは容易である。だが、その説明は冷酷であり、不適切だと私は考える。彼らは、かつて男たちを成長へと駆り立てていた「居心地の悪さ」そのものを和らげるよう、周到に設計された環境の中で生きているに過ぎない。

したがって、これは男たちへの非難ではない。これは招待なのだ。

部屋を出よ。コントローラーを置け。ポルノを消せ。不満を感じる程度には飢えさせながらも、立ち止まったままでいられる程度には満たしてしまう、その安楽さから足を踏み出せ。

己の勇気が求められる場所へ行け。目に見える何かを現実に残す仕事をせよ。拒絶されるリスクを冒せ。ボタンのクリックでは手に入らない技術を身につけよ。姿を見せなければ誰かが気づいてくれる、そんな仲間を見つけよ。重い荷を背負え。自分以外の誰かに対して責任を持て。

最初に追い求めたものが、最終的に見出すものとは限らない。冒険を求めて家を出た先で天職を見つけるかもしれない。音楽を追い求めた先で家族を見つけるかもしれない。自由を求めて責任を見出すかもしれない。愛情を求めて女性に声をかけた先で、人生のすべてを共に築き上げる相手を見つけるかもしれない。

シミュレーションによる報酬は即座に得られ、予測可能で、小規模だ。本物の報酬は不確かなものであり、だからこそそれに手を伸ばすには勇気がいる。

だが、その居心地の悪さの向こうに待っているのは、いまだ想像すらしたことのないほど偉大な人生かもしれないのだ。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
再生型農業と牧畜に取り組む農場主。食の主権、土壌の再生、そして自給自足やホームステッド(自立型生活)の教育に力を注いでいる。