単騎の趙雲

時は3世紀、中国の強大な漢王朝は崩壊しました。この混乱期には、英雄や勇敢な人物が現れました。劉備の右腕として知られる趙雲もその一人です。
2024/06/26

中国四大名著の一つ:三国志演義

「昔から、天下の大勢は長く分かれていれば必ず一つになり、長く一つであれば必ず分かれるという」―『三国志演義』冒頭
2024/05/16

三顧の礼【ことわざ】

ある人が劉備に諸葛亮を推薦しました。彼が稀代の天才だというのです。そこで劉備は、関羽と張飛を連れて隆中の諸葛亮に会いに行きました。ところが、諸葛亮はあいにく不在で、どこに行ったのか、いつ戻るのか、わかりませんでした。劉備は非常に残念でしたが、しかたなく引き返すことにしました。

友人間の義【雅(みやび)を語る】

前回は、精神的に支え合ってくれる友人を大切にすべきことを話しました。これ以外に、友人間で大事にしなければならないのは「義(義理)」です。 三国時代はまさに「義」とは何かを後世に伝えています。劉備、曹操、諸葛亮、張飛などの武将のことを多くの人が知っています。中でも忠義を貫いた武将がいます。それが関羽です。では、関羽は何をしたのでしょうか。
2023/04/01 雅蘭

君臣の道――忠【雅(みやび)を語る】

前回、劉備がどのようにして部下の忠心を得たのかをお話ししました。「忠」の代表的な人物が岳飛です。皇帝自ら「精忠岳飛」の4文字を書き残しました。では、なぜ岳飛が「忠」の代表的な人物となったのでしょうか? 岳飛は幼いころから武術を習い、二十歳になる前には、すでに150kgの大弓を射るまでに至ったといいます。また、歴史書や兵書にも長け、まさに文武両道です。岳飛の母は国家防衛に尽力せよという期待を込めて、その背中に「尽忠報国」と彫り残しました。岳飛もまたこの通りに行いました:
2023/01/21 雅蘭

君臣の道――礼 現代にも応用できる上司と部下の接し方【雅(みやび)を語る】

劉備は仁徳あることで有名です。関羽や張飛と兄弟のように接し、ともに数々の苦難を乗り越えました。諸葛亮を迎える際に三度も訪ね、死ぬ間際も、諸葛亮に対し、自分の息子がもし大事を成すことができる人なら補佐を頼むが、その器がないなら、取って代わっても良いと言ったのです。
2022/12/03 雅蘭

【三国志を解釈する】(14)忠義か不義か 献帝を取り巻く人々が現した義

呂布に従った陳宮は曹操に捕らえられたが、曹操に降伏せず、死ぬまで後悔しなかった。これは、国に有力な君主がない時、義の果たし方だ
2021/12/15 劉如

【三国志を解釈する】(13)曹操は天 劉備は人 孫権は地 三国志演義が伝えた三才の文化観

董卓が廃帝を強行したことは、「帝は帝ではなく、王は王ではない」という予言が完全に当たったことを意味します。では、歴史が天命によって定められているのであれば、漢の末期に三国が共存したのはなぜでしょうか。
2021/12/09 劉如

【三国志を解釈する】(12)乱世の難題 答えが徳に潜む

人々が怒りの声を上げようと上げまいと、社会全体は意識的に正義を実践しており、董卓の行動は当然ながら非正義とされた。礼儀や法律は状況に応じて変わることがあるが、人間としての道徳感は変わることはない。古代人は明白に生きていた
2021/12/02 劉如

【三国志を解釈する】(10)童謡が予言していた皇帝の運命と董卓の死 

「帝は帝にならず、王は王にならず、千乗万騎は北邙山を追い駆ける」当時、子供たちに歌われたこの童謡は漢霊帝の死後、最後の二人の皇帝の運命を予言していた。作者は天意の存在を暗示している
2021/10/21 劉如

【三国志を解釈する】(9)中国人に義を教えた「三国志演義」

古代の人々は、「天経地義」という規範を信じ、それは天の理と人の道に合致するという意味に限りません。『三国志演義』では、「天経地義」のもう一つの深い意味を明らかにしています。それは王朝の交代は、天が主導を行い、地が演じる役割を果たすことによる結果だということです。
2021/09/25 劉如

「十常侍」の専横 張飛 腐敗役人を鞭打ち

張飛が怒りで督郵に鞭打つ話は、『三国志演義』の第二回に出てくる有名な話です。この話は、張飛の正直さと正義感、民衆のために悪を排除する勇気を示すためだけではなく、漢霊帝時期に、「十常侍」と呼ばれる宦官たちが宮廷を掌握して好き勝手に行動し、皇帝を欺き、忠誠心の強い官吏や将軍を陥れたり排除したりする現象を詳しく描写している典型的な場面です。しかし、その目的は、暗い現実を暴くことではなく、後漢がやがて分裂する危機に直面している様子、及び英雄たちが続々と現れることを予感させることにあります。
2021/09/20

【三国志を解釈する】(7)劉備 誓いを破り、大義を失い、白帝城に死す

劉備と張飛との出会いに続いて、ついに関羽の登場です。張飛の声は雷のごとく、勢いは奔馬のごとくというものでしたが、関羽の相貌は神将のごとく、一身に神威を帯びており、一見しただけで人々に畏敬の念を覚えさせるものでした。関羽は身の丈9尺(後漢の尺度では約208cm)、髭の長さは2尺(同じく約46cm)、熟した棗(ナツメ)の様な紅顔、唇は朱を塗ったよう、切れ長の目、太く逞しい眉を持ち、その風貌は堂々たるもので、威風は凛々たるものでした。
2021/09/13 劉如

【三国志を解釈する】(6)張飛と劉備 剛と柔の組み合わせ

初めて読者の前に姿を現し、劉備と出会った張飛が、『三国志演義』ではこのように描写されています。
2021/08/31 劉如

【三国志を解釈する】(5)劉備は腐れ儒者ではなかったのか?

前章では、黄巾軍が反乱を起こし、張角軍が幽州(注1)の国境に攻め込んできたので、状況は危機的であったということを紹介しました。総督である劉焉は、全県に義勇兵を徴集する召集令状を発行し、その召集令状が涿県(注2)に届いたということです。そこで、劉備が正式に登場することになり、「桃園結義」の物語が始まりました。
2021/08/28 劉如

【三国志を解釈する】(2)三国志が現代に伝えた遺産 「義」とは?

「三国志演義」は「義」をテーマとしています。この長い物語の巻頭は、劉備、関羽、張飛が張飛の屋敷の裏にあった桃園で血の繋がらない義兄弟として誓いを結んだ「桃園結義」(桃園の誓い)です。 では、この「義」とは何でしょうか。
2021/08/04 劉如

【三国志を解釈する】(1)素朴な疑問 「三国志演義」と「三国志」の違いは何か?

諸葛亮、劉備、関羽、張飛、曹操の名を知らないものはいません。これらの英雄が活躍する三国志の何百もの物語のほとんどは『三国志演義』で語られていますが、これらの物語はすべて「三国志」を題材にしています。では「三国志演義」と「三国志」、この2つの作品はどう違うのでしょうか。
2021/08/02 劉如

諸葛孔明――自らの降格を要求【千古英雄伝】

三国時代のお話です。丞相(じょうしょう)の諸葛亮は劉備の遺志を継ぎ、建興6年(西暦228年)に北伐を敢行し、魏の拠点を次々と攻め落としました。しかし、武将の馬謖(ば しょく)が軍令に従わなかったため、諸葛亮が率いる蜀の軍は惨敗しました。陥落させた多くの城が再び魏に取り返され、諸葛亮らは漢中へ退くことになりました。
2021/04/23

偉大なる男・関羽

中国の歴史上、最も尊敬されている人物に、あの有名な「関羽」が挙げられる。
2019/02/24

曹操――千年にわたり誤解され続けた大義の士【千古英雄伝】

「三国志」というと、人々は劉備、関羽、張飛を義の士と言い、曹操は義が無いかのように言われている。実のところ曹操も義の厚い人間の王である。最も分かりやすい例は、趙雲子龍が単騎で主である阿斗(劉禅)を救った際、曹操は兵士に射殺させることができたが、曹操はそれをしなかった。
2019/02/10

曹操――本当の姿【千古英雄伝】

三国時代の輝かしい政治スター曹操と言えば、頭に何が浮かぶでしょう?人々は「三国演義」で描かれた悪賢く、奸佞、手段を択ばない梟雄を思い浮かぶでしょう。実は本当の曹操はこのような者ではない。それは作者の羅貫中が劉備・関羽・張飛の義を際立たせるため、曹操の人格を虚構したのである。それでは歴史上の真実の曹操はどんな人なのでしょうか。
2018/09/27